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なぜYouTubeアニメ版『なぜ銅の剣までしか売らないんですか?』を観ないんですか?

観ましょうよ。

子どもが観るには邪道すぎ、大人が観るには正道すぎるRPG

『なぜ銅の剣までしか売らないんですか?』というタイトルが(いわゆる“なろう系小説”らしく)端的に示す通り、この作品は、経済社会の闇やら人間の愚かさやらをRPGパロディで風刺的に描く社会派ファンタジーだ。
頭でっかちで斜に構えた作風を想像するかもしれないが、その認識に間違いはない。何しろ「Fラン大学就職チャンネル」なんて名前で活動している人の著作だ。毒にも薬にもならない話になるはずもない。
自分から薦めておいて何だが、恐らく、人を選ぶ作品ではある。好みや自身の境遇によっては、不愉快になるような描写もあるだろう。

それでも、できる限り多くの人に見てもらいたいと思うのは、
この作品が本質的にはめちゃくちゃ王道な英雄物語だからだ。

バツは主人公として適格すぎる

才気と野心のある見習い商人のバツが行く先々の街で知恵を働かせ、その街の商人たちを出し抜く様は、王道ファンタジーというよりも嘘喰いやクロサギの系統に近く見える。
だが騙されてはいけない。商人バツはいかにも勇者性の強い存在だ。

まず、商人バツは「銅の剣までしか売れない」世界の仕組みを変えるため、冒険に出る。
まだ自分で店を切り盛りした経験もない見習いにも関わらず、世界を変えられると信じて、実際に行動を起こす。
世界という大きな力に、ちっぽけな存在のはずの主人公が挑む。
これはごくごくシンプルな冒険の基本構造だ。なぜ銅はまずそこを押さえている。

次に、この物語における「商人」というジョブの属性についてだ。
この世界の(そして、世のベタなRPGの)勇者は、選抜されて任務を与えられる、公共的な存在だ。彼らは世界が決めるままに生きて、死ぬ。
それに比べて商人は、あくまでも自由に、主体的に、冒険的に、行動力と努力を以て生きる。その生き様は極めて冒険者的だ。
経済社会をテーマにしたファンタジーだから商人が勇者属性なのはまあ当然なのだが、起業家がリスクを取る冒険者として讃えられる現代を生きていればこそ、このあたりの描かれ方が抵抗なく受け容れられるのだろう。

商人が主人公だからってゲテモノかと言ったらそんなことはなく、
金という力を使って、ちゃんと敵幹部を倒して世界の中枢に向かっていくから、きちんとRPGとして面白くなっているのだと思う。

そして。そして……!





〈ここからはネタバレになります。最終話まで観るか、原作小説を読んでからの閲覧をおすすめいたします〉





〈ネタバレ〉○○○○○としての『なぜ銅』

この物語って、貴種流離譚に入ると思うんですよね。
世界を導く高貴な義務を背負った主人公が、そうとは知らずに世界を周遊し、自分なりの世界観を手に入れて、遂には自分の親を、つまり既存の世界を超える。
この“人間は経験により現在を超えられる”“世界をよりよくすることはできる”という希望が、英雄譚の一番美味しいところの一つだと僕なんかは思っていて『なぜ銅』はそこを完璧に描き切っていると思うんですよ。
つまるところ、この作品の本旨は「RPGを現代社会ライクに描くことで夢を壊す」ことではなく「現代社会をRPGのように描いて希望を見せる」ことなんですよ。
だから、あくまでも正道。
本質的にはすごく真っ当な物語なんですよね。

しかも、そのさらにもう一歩先、勇者がやがて魔王となり、次の勇者に打倒されるまで……というところまでエピローグで描き切り、最後は小劇場演劇みたいな青臭い、どエモい人情噺で締めてくる。ここまでやります?

え、ここまでやります??
先日紹介した『騙し絵の牙』も継承モノとして偉大でしたけど、
こういうしんみり来るオチまではやってませんでしたよ?
これを描く人間、あまりにも人間が好きすぎるでしょ……。

『なぜ銅』ぜひ暇な時にでも観てみてほしい

仮に未読・未視聴のままここまで読んじゃった人でも、まだ遅くない。
ぜひ観て/読んでみてください。

ただ、僕のように『Fラン大学就職チャンネル』を就職後も視聴し続けるような社会人にはならない方がいいと思います。







うっ、ついでにこれとかもすすめておこう……。
こちらはがっつり社会派ドラマですね。
なぜかアプリ化している。

それでは。

常に前よりダサい語りを心がけます。