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消極的な人生と接客的な日常

虚無感に苛まれる午後4時過ぎ

4連休も終わり。
未来のことを考えるよりも今この瞬間を楽しんだほうがよい、というのは流石に経験則で分かってきたけど、
それでもユーウツに浸ってしまうのが人情というもの。

新社会人の高揚を喪うのに6ヶ月は早すぎる。
せっかくどうにか経済社会の中に潜り込めたのだから、もうちょっとキラキラ、ないしはギラギラしていたかった。
だけどこうして、のんべんだらりと休日を使い切ってしまった自分の姿を思えば「ぼくは立派な大人になりたいんです!」なんて、恥ずかしくてとても言えたものじゃない。

さて、今日のぼくは一人で“星乃珈琲”という喫茶店にこもり、書店で買いこんだ人気本『20代で得た知見』を読んでいる。さっきまでは落合陽一展『未知への追憶』を周って、一人何かを分かったような感じで頷いていた。
だが、今考えているのは(一人で過ごす休日としては、ちょっと出費が大きすぎるよな……)という、ごく庶民的なアレだ。後悔とまでは言わないアレ。

こんな、いかにも有意義っぽい一日を過ごしていても、週末を空費している感覚が拭えないのはなぜだろうか。
このプレーは得点につながっていない。思えば、ぼくの日常の余白はずっと、そんな無意味感に浸されている。

人生の得点源がどこかよく分からない

今、ぼくの手許には、定職友人彼女とそこそこ健康な肉体と適度に不健全な精神がある。
客観的に見て、まあまあ順調な試合運びだと思う。
しかし、自分のどの行動が今の手札を形成しているのかが、いまいちよく分からないのだ。

少なくとも、今日のような一日ではない。
しかし、今日とは違う余暇を過ごした記憶がない
試合開始時に与えられたハンデ、偶然にも恵まれた境遇を少しずつ使い潰しているだけなのかもしれない。

そんな風に自虐で締めたくなる。
だが、あくまで素直に考えるなら、きっとこれまで経験した何かが、今ここに活きているはずなのだ。

それが見つかるまでは空費しよう

ぼくの得点方法、ぼくの人格を構成する素材の正体は、今のところ不明だ。
だから、とりあえず適当に時間を使ってみるしかない。

誰かが作った作品を気ままに眺める一日。
そこらを散歩する一日。ぐっすり眠る一日。
仕事での失敗が不安で、心が休まらない一日。
私生活に進展がなさすぎて、心が弛緩しきった一日。

どの時間が、どんなぼくを作っているのか、ほとんどブラックボックスだけれど。
時間を使わない、ということはできないのだ。
だから、今日もぼくは、今日を空費する

おわり。



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