五月のフルーツバスケット(社会人編)

その日は朝から仕事場が騒がしかった。
6月1日からの全社的な人事異動をひかえ、1年に何度とない"おひっこし"の日。部署が変わる人もそうでない人もほとんどが、もれなく席を移動する。pcやら袖机やらイスまでもあたらしい席へ持っていくのはあまり効率がよいとはいえないけれど、その大変さも相まって、なかなかたのしいおまつり騒ぎになった。


開け放した窓、見ないよう〜にしてきた段ボール箱、ちっちゃいクリップ、アイドルのカレンダー、なんかゴミ、なんか紙。
がちゃがちゃし始めたフロアに声が飛びかう。「この席まだ移動できないー?」「そこは今日休みの〇〇グループ長の席で…」「誰か頼まれてる?」「あ、俺っス」等々。
ちなみにこの俺っス、と答えた先輩。言葉選びが独特で、大真面目な顔で「ここハイパー大事なとこ」とか「これは切腹ものだわ…かたじけない」などという。すこし天然で何よりとても優しいので、仕事場のみんなから愛されている。とくに同性からの支持が厚く、どっちが彼のおもしろエピソードを知っているか、どっちが彼のことが好きかで争いまで起こると聞く。

社会人のフルーツバスケット。当たり前だけれどあらかじめ席次表があって、けつアタックなどであえなく席があぶれる人はいない。
フルーツバスケット、花一匁、ハンカチ落としの便所。小さい頃の遊びって"あぶれるかも""選ばれるかも/選ばれないかも"みたいな生々しいスリルがあるよね。サバイバル精神を養うみたいな目的があるのかな。うわー、花一匁はほんとに苦手だったな…!自分が選ばれないのもなんか気にしてしまうし、いつまでも選ばれない人が出始めるのもつらかった。私は「学校へ行こう!」でやってたみのりかリズム4がいいです。


とにかくこれはそういうのではないので、みんなどこか浮き足立って、普段よりはずむ声でわいわいひっこしを進めていく。
私もそのひとり。
6月から新設されるグループに所属することにもなったこともあり、今年はじめて半袖で出社するほどには、この日のモチベが高かった。
なにより私は移動が好きだ。よくもわるくも。
とても小さな頃に親に連れられて何度か住む場所が変わってきたので、それも影響しているのかもしれない。
兵庫で生まれ、すぐに沖縄に渡り、千葉に住み、幼少期になってから東京へ来た。
それ以降ずっとこの地にいるけれど、本当はこれから、島でも外国でも、もっといろんな土地に住みたいと思っている。


話はそれたけれど、今いるグループじゃなくなるのはかなりさみしい。
今のグループは仕事場でも異色の"ほとんどが女性"という構成で、みんなそれぞれに優しかった。男性はふたりだけだけれど、ラジオ好きの優男と、飄々としてなんだか不真面目なおじさま。
普段から女性陣はおじさまに「もう!人の足元見てる」とか「言ったじゃない」などと口々に叱咤するのだが、彼はどこ吹く風という感じでほいほい聞き流すという図が生まれている。いつも彼がいるときには賑やかだった。
なんだかんだみんなそのおじさまのことが好きらしいねと、以前同い年の女の子と話したことがある。その子は「うちインキャなんで」と言うデスク周りがヴィレバンみたいな個性派ギャルだが、「ついでにみんなうっぷん晴らしてんだよ」と鋭いことを言っていた。
おじさまは自由きままな海外旅行が好きらしく、ロシアで空砲を撃たれたことがあるとの噂だ。今後もし飲み会があれば、話を聞いてみたい。


そんなグループでの最後の思い出作りみたいに、みんなで汗をかきながら、ひとりひとりの移動を手伝っていく。
主に動いたのは、「もうアタシおばちゃんだからサ」と早口でいう元アナウンサーのYさんや、快活なお姉さま、優男さん、私だ。

分担はこうだ。
快活なお姉さまはpcの配線が得意で、絡まったLANや電源をすいすいほどいて外していく。優男さんが新しい席へあらゆる大きなものを運び(彼は体が大きいのだ)、すばやく机の下に潜りこんで、お姉さまの指示通りに線を繋いでいくのは私。
元アナウンサーのYさんは、「すごいね。アタシこういう配線とかわからない苦手で」とか「李ちゃん動きが機敏ねえ」など早口で感嘆しながらぱっぱとデスクを拭く。
pcがあったスペースには思いのほか埃が残っていたようで、拭きあげたウェットティッシュを見て「汚っ」と率直に漏らした。その後ですこしあわてて、「アハハみんなこんなもんよね」と私に笑いかける。私も笑う。そのとき彼女が拭きあげたのは、私のデスクだった。すみません。


夕方になる。
大がかりなひっこしは大方落ち着いた。快活なお姉さまはあたらしい席でプシュッと音を立て、満足そうに炭酸を飲みながらうちわで仰いでいる。半袖着てきてよかったー、としっぽりピルクルを飲む私の側には、あたらしい男上司がやってきた。この彼がなかなかくせものなのだが、これからは私の上司になる。ほんと運命のいたずら。

みんなが賑やかなうちは黙々と仕事をしていた女上司が、少し遅れてひっこしを始めた。(過去記事でカフェにいた彼女である)https://note.com/dessertfilm/n/nc5ac568fd73a

そのふたりの上司は軽口を言いあうほど仲が良い。その時も、何やら彼女のデスクから出てきた一枚の写真を見て楽しそうに笑っていた。
やがて、そっちに呼ばれる。
見てみると、男上司の入社時の写真だった。そんなに遠い昔でないはずなのになぜか写真が白黒なおかげで、白シャツを着てデスクに座る若き日の姿は、坂本久のあのメロディが流れそうな雰囲気だ。そしてそして、なんともふてぶてしい表情。
「昔っから変わらずこんなんなのよ、この人。李ちゃん、このやろうと思ったらまたこの写真見せてあげるね」と言われる。

心からありがとうございます、と思った。
男上司は、はじめて出会った研修で「退席していいですか」と言ってきたり、「ハイ、なんかおもしろい話して」とふんぞりかえったりするので、けっこういやな思いをさせられる。ほんとにひどい時には、sugarの"ひと言いってもいいかな……アーメン"という感じなのだけれど、まれに他の面も見る。
彼もデスク整理中にいろいろ出土したらしく、「これ妻」と若いころの奥さまの写真や、女上司から誕生日にもらったオリジナルTシャツなど、いろいろなものを片っぱしから見せてきた。わるい人ではないのだ、多分。多分ねえ。

そのひとつひとつにほう…!と受け応えをしている間にも、ひっこしていった女上司がバリン!!!と飛沫ガードの大きなパーテーションを割って「やっちゃった笑」と笑っていたり(彼女は実はとてもチャーミングなのだ)、さらに違う女上司が眼鏡を折ってしまいへこみながらテープでぐるぐる巻きにしていたりとてんやわんやだったが、ようやく1日が終わった。


今日はあっという間だったな、と会社を出ると、橋の上で、全部忘れるような夕焼け。
女子中学生たちのグループがその景色をバックにみんなで映ろー、きゃははは、とインカメに向かって集まっていた。
燃えるひかりの中、おそろいの長いスカートが膝元に揺れて。おそらくまだ生まれたまんまの色の前髪がぺたっと額にはりついている。かわいい笑顔だった。マスク越しでもわかる。



移動。
記憶はどんどん更新されていく。
電車に乗れば、私はもうほとんどのことが曖昧になって、時速数十kmで後ろに消えていってる。私はへんに物覚えがよかったり、すさまじく忘れっぽかったりする。こんなふうに文字にする大きな理由は、自分が覚えていたいからじゃない。誰かに読んでほしいからだ。偶然生きているこの時代の片すみにはこんな人たちが"確かに"居て、こんなシーンがあった、そんなことを願わくばおしゃべりみたいに聞いてほしいからだ。ひいては、何度もくじけて、不完全なままでもどう生きるのか、その姿を、自分のも相手のも書きとりたい。それが私の書く理由だ。

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