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すきまの光

2021/6/24(木)朝雨、傘もたず濡れ、のち晴れ

会議やアポイントがひとつもなくて気楽だった、仕事場での1日。

隣から定期的にバスッという小さな破裂音が聞こえてくる。これは、"ビートルズのパイセン"(前記事参照)がオフィスレジで買った森永のラムネの袋を放りなげる音だ。数粒口に運んではけっこうな勢いで袋を放りなげるので(ちょっと振りかぶっている)pcの根元にぶつかっているのだ。
パイセンは奥深い。
もの静かで、本当に誰からも頼られるほど仕事ができる人。総じてリアクションは薄い。男上司からの冗談、奥さまのノロケなどは基本反応しないので、そういうときはおもに私が相槌を打っている。
でも、褒められるととても嬉しそう。
女上司はそれを知ってか、「○クン凄いね!」「さすが○クン」とどんどん褒める。すると黙ったまま、んんん…と顔をほころばせる。
酔っ払うとラップ対決をするという噂もある。これは女上司によるタレコミ。
ラップやってたよー!と女上司に言われ、「やってないっすよ」と否定するのだけれど、上司もそこはゆずらない。
しばらくラップ対決やってた/やってないの応酬となり、しまいには「やってたじゃん○○の打ち上げで!派遣の○○さんと!」と具体的に言われていて、"多分やったんだろな"と私は思った。
この日の口元は、ムッとやわくつき出ていた。やっぱりマスクを取った時に見える表情がとても好き。

席でメールを打っていたら、小柄で、のどかなおじさまに、「あっ、と…この前言ってたやつあげよう」と話しかけられる。
皺ひとつないジップロックに丁寧に入れられていたのは、かわいいキーホルダー。
五百円玉くらいのサイズの透明な丸の中に、うちの仕事場のマスコットキャラクターがバンザイしている愛らしい切り抜きが入っている。
背景には桜貝をこまかくくだいたものをちりばめていて、ところどころ螺鈿のような色のオパールの粒もほんの少し混ぜてある、とても凝った彼の手づくり。

彼は仕事場の人に時々つくってあげているらしくって、前回は鬼滅の善逸くんの切り抜きのをもらった。感動してよろこんでいたら、第二作目をくれたのだ。
「今○○作ってみた、とかあるでしょ……?」とゆったり彼は話しだす。
「そういうふうに動画に投稿してみたらおもしろいなんて……思ったんだけどね……それで収益をあげてもしょうがないし……」
鬼滅のキャラのはきっと売れるよね……
絶対売れますよ!
でも違法なんだっけねぇああいうのって…
捕まりますね……
そうだよねぇ……だめか……
鬼滅キーホルダーを売るのは断念したけれど、たのしくお喋りする。

彼が去った後、隣でパイセンが首にかけた社員証のあたりをサワっ…と触っていた。見ると彼もこのキーホルダーの黒verを貰っていたらしく、ネックストラップのところにつけていた。オソロ。ちなみにKちゃんも退職前にもらったらしく、オソロ。

フロアのあちこちからハキハキとした若い声が飛んでくる。春に入ってきた新人ちゃんたちが電話をとっている声だ。聞いていると明るい気持ちになる。
そのうちの1人のコがひそかに私がずっと憧れている名前でうらやましい。妄想するときは自分にその名前をあてているほどの憧れ。ちなみに相手は…二次元。
彼女にレクチャーをする場面があり、色々話題をふってみるのだけれど、ハイッ!と表情はかたく、まだうちとけられない。まあそんなものだよねと全然気にしていないので、彼女も気にしていないといいな。
もう1人の新人ちゃんはとてもよく喋る。真新しいピカピカしたパンプスがフレッシュだ。ちなみに私はオシャレ便所サンダル(自称)。パイセンはスニーカーを両足ともデスクの下に脱ぎ捨ててる。みんなそれぞれ。

最近、目の前の事をひとまずしっかりがんばろうと思っていて、それはたとえば今なら仕事だったりする。"ここじゃないどこか"を探して今がおざなりになるのは人生で何度か経験してきたけれど、それが身になっていないのはもったいない!今ここで身につけられることがいっぱいあるな、と思えてからは前向きになった。

家に帰って、週に1度の楽しみにしている友人の弾き語りキャスを待ちながら、翌日の商品販売会議のための勉強をしてみる。
データを読んでいるうちにすっかり時間を忘れてしまっていて、見始めた時にはラスト1曲。その、カバーしていた曲がとてもよかった。
うみのて の"SAYONARA BABY BLUE"。
うみのて はいくつか曲を聴いたことがあったけれど、これは初めて知った。友人のギターが、激情と波のあいだを行き来するような永遠に聴いていたい音だった。
Spotifyで検索してみると、ぜんぜん知らない匿名アイコンのプレイリストが検索にひっかかる。何気なく聴いてみると全部インストで、しかもどれもとっても好きな雰囲気だった。
たとえば、japancakesの"When You Sleep"。
熱くてつめたい金属の星が、なめらかに浮遊しているような音。聴いてみてほしい。私はリピートしている。

夜は筑前煮をつくった。
つい最近まで節約生活だったのだけれど、お給料日も来てちょっとヨユーが戻ってきたので、はりきって買ってきたニンジン、大根、油揚げ、鶏肉をトントンと包丁で切って煮込んでいく。
私はじつは野菜があまり食べられない。
だから食べやすい大きさと薄さにして、ゆっくりと火を通してやわらかくしている。妹からは"それおばあさんだよ〜〜〜!"と言われるけれど。

火を弱めたら、蓋をして、いったん部屋に戻る。
布団の上でぼうっとしていたら、ドアのすきまから、野菜が煮立つ音が聞こえてきた。しゅうしゅうとふきでるガスの音も。

ちょっと泣けちゃうほど、やさしい生活の音に耳を澄ます。

ふいに、昔音楽学校で学長が言っていた言葉を思いだした。
"君たちはすきま産業だ"。
たしか、万能じゃなくたっていいから、あふれるすべての中に、誰もやっていないジャンルや戦い方としての《すきま》を見つけて磨け、というようなことだったと思う。産業とは業界に長くいた彼らしいなと思うけれど、《すきま》というのは私にとってとても親しみやすい。
ステージのいちばん明るいスポットライトもいいけれど、防音の重い扉を開けてこっそり暗いフロアへ入ってきてやがてまぎれた、名もない誰かが放った、かすかな光のような。発見。
パイセンだってのどかなおじさんだって友人のキャスだって筑前煮の煮立つ音だって、私が日常の中に見つけてここに書いてみているものは、そういうものだって思ったりしている。

いつか本を出したいなあと思う。
じんとした人や場所、その日その時、確かに見えたすきまの光を集めて。

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