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「初日、タクシーが溝にはまる」【2023年度版】 秘境 ワハーン回廊 自力での行き方/楽しみ方+旅行記#3 ドゥシャンベ→ホログ編

いつもお世話になっています。
旅する百姓です!!

【イントロ】

前回の記事にて、
ドゥシャンべでしなければならない準備/私自身の体験
を紹介しました。
ドゥシャンベでしっかり準備ができていれば、
事務的な問題なく、ワハーン回廊に臨めるはずです。
心配な方は、または、そもそもワハーン回廊ってなに?という方は、
秘境 ワハーン回廊 自力での行き方/楽しみ方#1 準備編
秘境 ワハーン回廊 自力での行き方/楽しみ方#2 ドゥシャンベ編
をご一読ください!!

さて、今回の記事では、
いよいよワハーン回廊の旅の起点となるホログへの行き方を紹介します。

本記事の構成は、
①ドゥシャンベ→ホログ(Korog)へのアクセス/注意点
②私の旅の記録
です。

①にて、ホログまでの行き方だけではなく、
事前に知っておいた方がいい情報を書いておきました。
もしも、自身で冒険したい方、石橋は叩かずに渡りたい方は、
①だけ読んでいただければ大丈夫かと思います。
②では、私の旅の様子を写真と共に紹介しながら、
宿や食べ物、出会った人などをシェアしていきます!!

本記事を通して、
・読者さんがホログまでの行き方の大枠が想定できたら
・また旅したいな〜と思ってもらえたら
幸いです!!



①ドゥシャンベ→ホログへのアクセス/注意点

これ以降、下線が引かれた地名をクリックすると、
Google Mapの実際の場所に飛ぶことができます。
実際の場所が気になる方は是非確認してみてください。

ドゥシャンベ→ホログ(Khorog)へのアクセス

 ドゥシャンベからホログまでの道のり

手段:シェアードタクシー(Shared Taxi)
価格:300-450Somoni  (4300〜6100円程度)
乗車時間:17~20時間
出発時間:4時から6時の間に数台
到着時間:翌日深夜から3時の間
出発場所:パミールタクシー乗り場(Taxi To Pamir)
到着場所:ホログ中心地

パミールタクシー乗り場には、遅くとも5時に到着しておいてください。
シェアードタクシーは一日数本しか出発しません。
遅く着いたら、それだけ枠が減っていきます。
早朝4時から5時に到着し、「ホログ」と言って回れば、
誰かが必ず案内してくれます。比較的奥まったところに、
ミニバスや4×4の車が停まっています。
ドライバーが見つかったとしても、満席になるまで出発しません。
荷物を乗せもらったら、そこで数時間待つ可能性があります。
5時に到着して、遅くとも8時に出発ができます。
7時以降に到着した場合は、乗れる可能性がほぼ0に近いと思ってください。

道すがらは、ランチ休憩/ディナー休憩が一回づつ、
加えて、トイレ休憩が何回か入ります。

価格面は、400〜450Somoniが基本です。
ただし、同乗者のタジク人と仲良くなって、
そのまま現地人価格で乗れたという情報もとあります。
人当たりが良ければ、300Somoniで乗れるかも?

注意点

・早めの行動を!!
前掲と重複しますが、
パミールタクシー乗り場(Taxi To Pamir)には、
遅くとも5時に到着しておいてください!!

・長時間+道路環境が悪い
最長でも到着まで20時間かかります。
運転手のほとんどが、道路状況の良い南に回る迂回路をとります。
その経路の総距離は約600KM。
アフガニスタン国境沿いの谷は特に悪路です。
緩慢な運転が強いられるだけでなく、
落石や事故、狭い道路の譲り合い運転によるさらなる遅れの可能性があります。
必ず、酔い止め、非常食、水を持っておいてください。
また、ホログまでの道ですでに2000Mの標高を超える場所もあるので、
高山病対策を忘れずに。


・大所帯のグループで旅をしない
旅の仲間を見つけて旅をするのは、
非常にいい事です。
だたし、ワハーン回廊/パミールハイウェイを旅するなら、
最大でもご自身を含めて2人がベストです。
大きなバスの移動ではないので、
3人以上いるせいでシェアードタクシーやヒッチハイクの
乗車可能人数をオーバーしてしまうことがあります。
私もその被害者です笑。


②私の旅の記録

[5日目] ドゥシャンベ→ホログ(Khorog)

8月なのにフリースを着ておかないと寒い朝4半。旅仲間(Maniと日本出身のS氏)と私含めて3人でGreen House Hostelからパミールタクシー乗り場(Taxi To Pamir)へ出発しました。徒歩でも10分から20分の距離感にあるので、本当にアクセスの良いホステルでした。


5時にタクシー乗り場に到着しました。この大きく仰々しい看板をまっすぐ歩き、突き当たりを左に曲がると、早朝でしたが、すでに3台のホログ行きの車がありました。

そのうちの、一台はすでに荷物が積まれていました。

朝5時半ですが、すでにホログ行きの車には人だかりがありました。

2台目には、タジク人4名、私たち3人、イスラエル人カップル、ドライバーのお孫さん、合計11人が乗車することになりました。7人乗り車に11人です。助席には、私とManiが座りました。5時に到着し、なかなかシェアードタクシーは出発しませんでした。「満員になるまでは出発しない」はこの中央アジアでは当たり前。イスラエルカップルの彼は、出発時間が遅いことに、非常に神経質になっていました。時間に厳しい人にとっては、不快な旅ですね。同乗する17歳のタジク人との会話で、待ち時間が流れていきました。最後の乗客が見つかった8時に出発しました。乗車人数は、前座席に5人、後方座席に3人。地獄のような狭さでした。最後の乗客が見つかった8時に出発しました。サイドブレーキが常に鼠蹊部にささっている常に不快な移動。

そしていきなり事件が。ようやく乗車できて一息していたのも束の間、都市部を運転しているときに、急に隣車線の車が割り込んできました。その車を回避するために、私たちの車は急カーブで歩道に突っ込みました。私はその瞬間を助席から眺めていました。「これは死ぬかケガだな」と思いました。大きな振動とともに、なぜか急降下していきました。幸い膝に黒血ができただけですみました。何とか車からみんなが降りることができました。外から見ると初めて自分たちの状況がわかりました。旅の初日、車が溝にはまってしまいました。

溝にはまる私たちのシェアタクシー

事故の発端となった車はすでにどこかへ逃げてしまいました。そして、警察や目撃者、ドライバーの三つ巴の口論が始まりました。4人の警察は何が起こったのかを確認していました。Maniの話すヒンディー語は、タジク語と共通の語彙を共有しているようで、会話が何となく分かるようでした。彼によると、車の乗車可能人数を大幅に超えているから、こんなことが起こったと、私たちのドライバーに罰金という名の賄賂を請求してるんだそうです。私たちのドライバーもこれに激怒。他の運転手も同じことをしているのに、どうして取り締まらないのか、と叫んでいました。それを見て、ドライバーのお孫さんはショックのあまり涙を流していました。彼女を慰めがながら、私たちとイスラエルカップルは苦笑いしながら、改めて、自力でワハーン回廊/パミールハイウェイの冒険の難しさをしみじみ感じていました。

警察とドライバーは、車の陰で静かに何かを議論していました。もしかしたら、賄賂が発生しないような決着がついたのかもしれません。しかし、ドライバーの鬼気迫る表情から察するに、きっとお金の受け渡しや取引があったのでしょう。私たちや取り掛かった人たちが協力して、車を引き上げました。「車は壊れたわけじゃないんだから、Let’s Go」とドライバーが続投を決意しました。こうして、私たちの長いホログまでの道の始まりました(この時点でまだ朝8時半)。

外は34℃を超えていましたが、エアコンはつけず、窓が全開でした。砂埃がたち、くしゃみが止まりませんでした。罰金を払って落ち込んでいるドライバーが、タバコを吸うときに、ライターをつけてあげるのが隣に座る私の役割でした。

乾燥した丘を何度も越えて行きました。

ドゥシャンベから3時間ほどすると、いよいよ軍のチェックポイントが見えてきました。

軍の検問所。 ドゥシャンベ-ホログ間だけではなく、ホログより先も検問所があります。
GBAO Permitがない、または、なくしてしまうと、ここから自力で戻ることになります。
気をつけて!!

ここで、GBAO Permitとパスポートを見せる必要があります。タジク人は特に問題なく通れましたが、私たち観光客にはいろいろな質問が投げかけれました。「どこへ行くのか?」「そこへ行く目的はなんだ?」など英語とロシア語で聞かれました。「ヤ ブドゥ イェハッチ ダ  バハンスキー コリドーラ(私はワハーン回廊へいきます)」、「ヤ トゥリスタ(私は観光客です)」と言ってパスできました。

いよいよアフガニスタン国境沿い近くの街で昼食を食べました。カンティーン式のレストランで、サブウェイのように、自身が食べたいものをカウンターで見ながら注文するスタイルです。Maniは牛が食べられないので、私が、「ガビージナ(牛肉)」が入っていないかを通訳する役割でした。結局牛肉量しかなく、彼はマッシュドポテトを食べていました。

キシティ・ポイェン(Kishiki Poyen)以降、いよいよアフガニスタンの国境を接する谷を抜けていくことになります。切り立った山々の間を流れる川に沿って、ただひたするまっすぐ進んでいきます。

高陵な山の間を走行。

悪路と砂埃に耐えながら、進みます。川の向こうにはあのアフガニスタンがあるなんて信じられませんでした。川側で子どもが遊んでいる姿が見えたり、『シュナの旅』で出てきそうな、黄金の小麦の畑があったり。

川辺で戯れるアフガニスタン川の子供達とそれを見守る誰か。

数年前のタリバンの勃興を忘れさせる穏やかさでした。一方で、不安定なアフガニスタン情勢が見え隠れする場面もありました。タジキスタン側(私たち側)では、数十キロおきにタジク兵が道路沿いを警備していました。もちろん、マシンガンを腹に抱えていました。加えて、川の向こう側には、何やら見覚えのある白い旗が・・・。

タリバンの旗が掲揚されていました。

途中、何度も渋滞に遭いました。鉱山会社の瓦礫の処理や、狭い道での車の譲り合い、私たちの車のオーバヒートなどが原因でした。

エンジンを水で冷やす!!

あっという間に日が暮れて、外は真っ暗でした。降るような星は、天空ではなく地上にありました。それはアフガニスタン側の家屋の明かりでした。谷の坂を家々から漏れるが飾り立て、どこか幻想的な光景を見せてくれました。

[6日目]約束が破れた @ホログ

ホログに到着したのは深夜3時。当初は、ドライバーさんが家に泊めてくれると約束していましたが、気が変わったようで、結局深夜に近くのホステルを探すはめになりました。非常に疲れいたので、本当にどこでもいいという投げやりな気持ちでした。一番近くにあった、サレズ ホテル(Suárez Hotwl)は価格が安かったので、そこで寝ることに決まりました。どうやら、ドゥシャンベから来た観光客や国境警備の軍隊の人が泊まれるように、深夜でも営業しているようです。熱々のシャワーがあって助かりました。5人部屋に3人で宿泊できたので、ちょっとお得感もありました。一人当たり90Somoni(1150円)でした。熱々のシャワーで本当に助かりました!!疲労困憊ながら、明日は頑張って起きて、イシュカシム(Eshkashem)や秘境の温泉ビビファティマ(Bibi Fatima)の場所を調べなければ。情報が乏しいワハーン回廊の旅では、現地の人の情報が重要です。慌ただしい。

以上が首都ドゥシャンベからホログまでの道でした。
次回はいよいよワハーン回廊への行き方を書いていきます。
本当に予定通りにことが進まない不確定要素中毒になる旅でした。
是非お楽しみに!!
























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