医ケア親が考える「犬と関わるように障がいのある子と接する」の是非
息子が医療的ケア児となってからというもの、医療や障がいに関するニュースを意識して読むことが増えました。
そして今日、目にしたのがこの記事です。
この記事については、ネット上でも非難が溢れていました。非難する人々は、もちろん「障がいのある生徒たちに対して、犬と関わるように接する」ことが許せないのだと思います。
最初に断っておきますが、この校長が非難されることは、私もおそらくは妥当だと思っています。
しかし、この記事にある「障がいのある生徒たちに対して、犬と関わるように接する」というフレーズだけでは、あまりにも抽象的であり、正確に批判しようがないと思うのです。
「生徒たちの障がいとは何なのか?」
「犬とは?またそれとの関わり方とは?」
そうした具体的なことを想像せず、単に自分のイメージ(または世間の常識)を投影しただけで批判するというのは、もはや思考停止です。
一口に障がいと言っても、身体面では視覚や聴覚、音声機能など様々あります。知能面では、数えたらキリがありません。
また"犬"と言っても、ペットのほかに野良犬や繁殖犬、また海外では食用まで様々考えられます。それぞれに対する接し方は、果たして同じなのでしょうか。
もちろん、さらに細かく考えることもできます。例えば同じペットの中にも、多様な待遇が存在しているはずです。実際、飢餓に苦しむ人々よりも、裕福な暮らしをしている(ようにみえる)ワンちゃんもいます。
このように具体を想像していけば、「障がいのある生徒たちに対して、犬と関わるように接する」という発言は、すぐに非難されるものとは限りません。
例えば「犬は音声機能が人一般とは異なるが、その他様々な手段でコミュニケーションを取ることは十分に可能だ。音声機能に著しい障がいを持つ子どもに対しては、同じように多様なコミュニケーションをしっかり意識して接したい。」という、非難すべきでないケースも考えうるからです。
※とはいえ、責任ある立場にも関わらず、安易に今回のような発言をする人物が、そこまで思慮深いとは考えにくいのが実際のところです。またニュースになっている時点で、報道各社はある程度の非難の確実性をもっているはずです。
要するに、今回の記事の見出しだけで、もはや条件反射的に非難している人々は、具体を想像できず、自分の常識のみで判断しているのだと思うのです。
思考停止という点で、非難されるべきは自分かもしれない。私も気をつけていきたいと思います。