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マザーツリー


 北九州市内には公園に隣接するように深い森が数か所あり、いずれも市街地にあるとは思えない程、奥に行けば行くほど原生林のような神聖な雰囲気を醸し出している。

ある森の中に一本の巨木が立っている。おそらくクスノキではないかと思うが定かではない。私はそれを勝手に「マザーツリー」と呼んでいる。文字通り「母なる木」だ。周囲を取り囲むように若い木や異なる種の木が密集しているが、そのマザーツリーの存在感は他を圧倒し、そのエリアに君臨している。

時々この樹のことを思い出し、会いに出かけたりする。



「マザーツリー」とはカナダの森林生態学者スザンヌ・シマード氏の著書のタイトル名。

シマード氏はカナダ・ブリティッシュコロンビア州生まれ。森林の伐採に代々従事してきた家庭で育ち、幼いころから木々や自然に親しむ。大学卒業後、森林局の造林研究員として勤務、従来の森林管理の手法に疑問を持ち、研究の道へ。木々が地中の菌類ネットワークを介してつながり合い、互いを認識し、栄養を送り合っていることを科学的に証明してみせた彼女の先駆的研究は、世界中の森林生態学に多大な影響を与え、その論文は数千回以上も引用されている。研究成果を一般向けに語ったTEDトーク「森で交わされる木々の会話(How trees talk to each other)」も大きな話題を呼んだ。




その著書の冒頭には次のような一節がある。



 『真実を求めるこの探求において、木々は私に、彼らの知覚力、反応性、相互のつながりと会話を見せてくれた。

先祖から受け継いだ伝統を発端として、子ども時代を過ごし、慰めと冒険の舞台となったここカナダ西部の森での私の探索は、森の叡智に対するより深い理解へと成長し、さらに、この叡智に対する尊敬をいかにして私たちが取り戻し、自然との関係を修復できるか、ということの解明へと発展した。

その最初の手掛かりの一つは、木々が地中に張り巡らされた菌類のネットワークを通じて交わし合っている、暗号めいたメッセージを盗み聞きしているときに訪れた。

この秘密の会話の経路を辿っていくうちに、このネットワークは林床全体に広がっており、拠点となるさまざまな木や菌同士のつながりが存在していることがわかったのだ。

粗削りながらそれを地図にしてみると、驚いたことに、一番大きくて古い木は、苗木を再生させる菌同士のつながりの源であることが明らかになった。

しかもそうした木々は、若いものから年寄りまで、周りのすべてのものとつながり、さまざまなスレッドやシナプスやノードの複雑な絡まり合いにおける中心点の役割を果たしているのである。

こうした構図のなかでも何より衝撃的な一面───このネットワークには、私たち人間の脳と共通点があるという事実───が明らかになった過程をご紹介しよう。

森のネットワークでは、古いものと若いものが、化学信号を発することによって互いを認識し、情報をやり取りし、反応し合っている。

それは私たち人間の神経伝達物質と同じ化学物質であり、イオンがつくる信号が菌類の被膜を通じて伝わるのである。

歳取った木には、どの苗木が自分の親族であるかがわかる。

歳取った木々は若い木々を慈しみ、私たちが子どもにそうするのと同じように食べ物や水を与える。

そのことだけでも、私たちが足を止め、息を吞み、森の社会性について、またそれが進化にとっていかに必要不可欠なことであるかについて真剣に考えるきっかけとしては十分だ。

菌類のネットワークは木を周囲に適合させるらしい。

そしてそれだけではない。こうした古い木々は、子どもたちの母親なのだ。

母なる木、マザーツリー。

森で交わされるコミュニケーション、森の保護、森の知覚力の中心的存在であるこうしたマザーツリーは死ぬときに、その叡智を親族に、世代から世代へと引き継ぎ、役に立つことと害になること、誰が見方で誰が敵か、常に変化する自然の環境にどうすれば適応し、そこで生き残れるのか、といった知識を伝えていく。』

スザンヌ・シマ―ド著『マザーツリー』




この短い一節だけでも、マザーツリーの存在とその驚くべき重要性に気付かされるような思いがしてくるのだが、この文章を読んで思うのは、このことはマザーツリーについての説明であると同時に、人間としての母親についても深く言及しているように感じる。

敢えて言えば、それは「母性」というものではないだろうか。

noteの記事を読んでいると、この母性というものを御自身の心の中にしっかりと意識しながらご子息・ご息女を育てている女性の方がいらっしゃる。

そうした方のお話しを読んでいると、単に母親という目線ではなく、このマザーツリーのような慈愛のような波動を感じる。
その言葉は子どもではない自分にとっても深く心に浸み込んでくる。そして胸が暖かくなるのだ。





男は到底女性に敵わない。
母親のような強さを持つことはできないと思う。

しかしながら男という身体的性別を持っている人の中にも、半分は男性性、もう半分は女性性という両親から受け継いだ内的エネルギーが存続する。
世間の中で男性であっても母性のような慈愛の心を失ってはいない人と出会うことが時々あるのは、その人の中にある女性性が活性化しているからだと思う。

世の男性たちの多くが内なる女性性に目覚め、慈愛を胸に秘めることができたとき、社会はもっと住みやすいものになるだろう。

今日は「母の日」。
それは別名「母性の日」と呼んでもいいのではないかと思う。







ノナの星
中村由利子




森に御一緒いただきありがとうございます。





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