北九州市内には公園に隣接するように深い森が数か所あり、いずれも市街地にあるとは思えない程、奥に行けば行くほど原生林のような神聖な雰囲気を醸し出している。
ある森の中に一本の巨木が立っている。おそらくクスノキではないかと思うが定かではない。私はそれを勝手に「マザーツリー」と呼んでいる。文字通り「母なる木」だ。周囲を取り囲むように若い木や異なる種の木が密集しているが、そのマザーツリーの存在感は他を圧倒し、そのエリアに君臨している。
時々この樹のことを思い出し、会いに出かけたりする。
「マザーツリー」とはカナダの森林生態学者スザンヌ・シマード氏の著書のタイトル名。
その著書の冒頭には次のような一節がある。
この短い一節だけでも、マザーツリーの存在とその驚くべき重要性に気付かされるような思いがしてくるのだが、この文章を読んで思うのは、このことはマザーツリーについての説明であると同時に、人間としての母親についても深く言及しているように感じる。
敢えて言えば、それは「母性」というものではないだろうか。
noteの記事を読んでいると、この母性というものを御自身の心の中にしっかりと意識しながらご子息・ご息女を育てている女性の方がいらっしゃる。
そうした方のお話しを読んでいると、単に母親という目線ではなく、このマザーツリーのような慈愛のような波動を感じる。
その言葉は子どもではない自分にとっても深く心に浸み込んでくる。そして胸が暖かくなるのだ。
男は到底女性に敵わない。
母親のような強さを持つことはできないと思う。
しかしながら男という身体的性別を持っている人の中にも、半分は男性性、もう半分は女性性という両親から受け継いだ内的エネルギーが存続する。
世間の中で男性であっても母性のような慈愛の心を失ってはいない人と出会うことが時々あるのは、その人の中にある女性性が活性化しているからだと思う。
世の男性たちの多くが内なる女性性に目覚め、慈愛を胸に秘めることができたとき、社会はもっと住みやすいものになるだろう。
今日は「母の日」。
それは別名「母性の日」と呼んでもいいのではないかと思う。
森に御一緒いただきありがとうございます。