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救命犬

(文4,200字)

 かれこれ40年ほど前のこと、アジア諸国を巡る一人旅の途中、タイのプーケット島で一匹のとても勇敢なワンコと出会った思い出がある。


アジアを旅するバックパッカーの拠点バンコクのカオサンストリートをぶらぶら歩いていると、旅行代理店の店先に掲げた一枚の写真にふと目が止まった。写っていたのは南国リゾート特有の「真っ白な砂浜とヤシの木と青い海」。
それまでの数か月間、荒涼たるインドネパールを渡り歩いていた直後だったせいか、その景色がまるで砂漠にゆらめくオアシスのように見えた。私はすぐさま深夜23:00発の夜行バスに飛び乗り、憩いの泉を求めてプーケット島へと向かった。

バスに乗っていた乗客は私以外すべて欧米人。たまたま隣に座った中年のドイツ人男性が、タイのリゾートならすべて知り尽くしている旅の達人のような人だった。メモ帳に彼のおすすめのビーチ名とおおよその地図を書き込んでもらう。そこにはホテルや繁華街はなく、バックパッカー向けの安宿しかないとのこと。とにかく人が少なく、とても静かな所だと聞いた。


教えてもらったのは「カマラビーチ」。宿の目の前には、透明なエメラルドグリーンの海が広がり、2キロほど続く白い砂浜にはヤシの木が風に揺れていた。打ち寄せる波とヤシの葉音以外は何も聞こえない。まるで無人島に漂着したかのような静まり返った浜だった。
早朝こそ地元の漁師と釣った魚を求めて村人たちが浜に集まっていたが、日中は旅行客どころか地元の人の姿も誰一人として見ない。一人だけの浜で海水パンツを履いているという滑稽さにふと気づき、それからは裸で過ごした。

このビーチには宿泊用バンガローを数戸提供する宿が一件だけあった。ヤシの葉で覆った屋根と壁、竹の床、木のベッド。窓は木の板一枚を上に持ち上げて棒で支える。突然のスコールを凌ぐだけとしか思えない掘っ立て小屋だ。確か一泊300円位で泊まれたと思う。
宿の主人は年配の女性。従業員の姿は見たことがなく、部屋の管理や調理などすべて彼女一人で切り盛りしていた。一日3食を注文し宿泊していたのは私一人だけだから、それで十分だったのだろう。

そしてこの宿にはいつも放し飼いになっているワンコが一匹いた。
真っ白なブルテリアだ。

部屋の前にある広場で初めてこのワンコを見た時、私はてっきり犬とは思わず、庭で放し飼いにされている「豚」だと真剣に思った。日本ではそれまで一度も見たことがない犬種で、しかもインドではよく路上や庭先で豚の姿をよく見ていたからでもある。
名前や性別はすっかり忘れてしまったのだが、いつでもすぐに駆け寄ってくる姿が可愛く、広場で毎朝毎夕よく遊び、仲良しになった。
人懐っこい性格で、力が強く、運動量が豊富。走りもとても早かった。宿泊客が他には誰もいなかったので、きっと私は退屈凌ぎの恰好の遊び相手だったに違いない。

https://wanpedia.com/bull-terrier-11/より引用



数日経ったある日、いつものように誰もいない浜を歩き、時々泳いでは、またヤシの木陰で寝そべるという無人島生活もどきを過ごしていた。宿から1キロも離れた所まで行けば、そこは自然そのままのワイルドな海岸だった。

波打ち際で海を眺めていた時だった。
突然背後から数匹の犬の鳴き声が聞こえてきた。
何事かと振り返ると、浜辺に隣接するヤシの木陰の鬱蒼たる草むらから、6、7匹ほどの犬が集団で一斉に飛び出してきた。村に住む放し飼いの犬たちが浜に遊びに出てきたのかと一瞬思ったが、それがとんでもない誤解であることにすぐ気づかされることになる。
獰猛な唸り声を上げながら、私に向かって一直線に走ってくるではないか。

野良犬というよりも、それらは野犬というか、飢えた狂犬だった。
波打ち際を背にして立つ私の周囲数メートル先を、あっという間に半円に取り囲んだ。陸側の逃げ道はもうなかった。そして血走った眼をぎらつかせ、唾液を垂らしながら、牙をむき出しにして凶悪な形相で吠え続けた。
人との交流がまったくないと見え、私の言葉のエネルギーには全く反応せず、何らかの意思疎通ができるような気配は微塵もない。
もしかしたら腹を空かせていたのではなく、このエリアは野犬たちの縄張りであり、そこに踏み込んだ私は排除すべき侵入者だったのかもしれない。或いはその両方だったか。いずれにしても、明らかに襲いかかろうとしていたのは間違いない。

こんな所で犬に襲われ、しまいには喰われるのかと、凍り付くような戦慄に全身がすくみ上がった。
ある写真家が撮ったガンジス川河川敷に打ち上げられた人間の死体を貪り食らう犬の写真が脳裏をかすめる。
これはかなりヤバイことになった…。



抵抗する武器になるようなものを探しても、石ころどころか流木の枝一本すらこの美しい砂浜には落ちていない。海パンも無用の長物。もし襲いかかってきた時の唯一の反撃手段として考えられるものは足元の白い砂だけだった。海に逃れたとしても怯んだと思われ、逆にすぐに襲われるか、執拗に追いかけてくるかもしれない。
絶対に隙を見せないように、犬たちから眼を放さず大きく目を見開いて睨みつけながら、ゆっくりとしゃがみ両手に乾いた砂を掴んだ。

以前少林寺拳法を習っていたことがあった。突きと蹴りが瞬時にできる基本姿勢で構えた。防御と攻撃どちらにもすぐに展開できる姿勢でもある。
前足を相手に向けて立ち、後足は60センチ斜め後方で60度に開いて立つ。重心はその中間。それが身体が最も安定する立ち方だ。

飛びかかってきた時にはまず眼に向かって砂を投げつけ、目くらましをしよう。砂は両手に持ったから、かろうじて先頭2匹には投げつけられる。
目くらましで犬が怯んだ隙に、突きか蹴りを側頭部に正確に打ち込むことができれば一撃で倒せる。最速で2~3秒間に蹴り2発と突き2発。側頭部に強い衝撃が加わると平衡感覚が失われ、おそらく犬でもまともに立っていられなくなるはずだ。その後に急所の腹を狙う。

しかし思いつく反撃シュミレーションは情けないことにただそれだけだった。それもそう簡単にうまくいくはずもないだろう。
全部が一斉に飛び掛かってきたら…。
その時はお手上げ、万事休すだ。
腕や足を喰いちぎられて重傷を負うか、最悪押し倒され喉を噛み切られて死ぬ。残るのは浜辺に散乱する骨だけとなるのか。



数十秒間ほど不動のまま睨み続けたその時だった。
信じられないような光景が視界の片隅に飛び込んできた。

遠くの砂浜から全力疾走で一直線にこちらに向かってくる白い影!

宿のブルテリアが
たった一匹で
あっという間に
私と野犬集団との睨み合いの間に割って入り
牙をむき出して吠えまくり
噛みつかんばかりに
野犬一匹一匹に次から次へと猛然と襲いかかった

いつも宿の広場で見せていた遊び好きのかわいいワンコの姿は消え、獰猛な闘犬、いや手に負えない野獣と化していた。

唸りながら必死に抵抗しようとする野犬たち。
がしかし次第にパニックとなった集団が、ばらばらに散って後ずさりしていく。
それを更に容赦なく追い詰めようとするブルテリア。

数十秒の攻防の末、ついにその激しい剣幕にたじろいだ野犬集団は闘う気力を失い、リーダー格の犬を先頭に尻尾を巻いて一目散に茂みへと逃げ帰っていった。

ブルテリアの圧倒的な気迫の勝利だった。

それはまた獰猛であると同時に、動物の本能が剥き出しとなった時の目を見張るほどに美しい姿でもあった。

私は呆気にとられながら、目の前で繰り広げられるその一部始終をただ眺めた。そしてスローモーションの映像として切り刻むように瞼に焼き付けた。



静けさを取り戻した砂浜の上でワンコを私はしっかり抱きしめた。
何度も「コープクン・クラッ(タイ語でありがとうの意)」と繰り返した。
ワンコも私の顔を舐めまくる。
ただでさえひょうきんな顔は、その時ばかりは本当に笑っている顔に見えた。獰猛な闘犬の姿はもうそこにはなく、いつものかわいいワンコに戻っていた。
それから散歩をするように並んで歩き、宿に戻った。

一部始終を宿の女将さんに話すと、彼女も目を丸くして話を聞き、飼い犬のみごとな武勇伝に感心し、とても喜んで、誇らしげにワンコに何やら現地語で話しかけていた。
この時にやっと、この女性一人で切り盛りする無人島のような海辺の宿に、何故この犬がいるのか分かったような気がした。



当時、青二才丸出しだった私は高度経済成長期の社会の風潮に適合できず、職を転々とした。行く先々で年配の経営者と衝突し、不条理に怒りを抑えきれずその場で火山噴火を起こして辞めるということを繰り返していた。この社会での自分の限界を感じた私は思わず日本を飛び出した。
そして自分なりに生きていくための手がかりを、アジア諸国を巡る旅の中に探し求めた。そうした時に、このワンコは一つのメッセージを与えてくれたように思う。

どうすればいいのかと考えるよりも
自分の体の中から湧き上がる思いを生きよ

それ以来、今でもそのブルテリアのことは「救命犬」と心の中で呼んでいる。命だけでなく、社会のうねりに押し潰されそうだった心まで救ってくれた恩犬である。





40年前のプーケット島にて

宿の食堂からの眺め。窓ガラスはなく屋根もヤシの葉で覆っただけ。浜辺にはビーチパラソルではなく、ヤシの葉で作った日除けが少々あるのみ。浜にはほとんど人影が見えない。
早朝、近くの村人が漁に出る。
遠くに村の家々がヤシの木陰に立ち並んでいるのが見える。
今ではリゾートホテルやレストランが立ち並ぶビーチとなった。
早朝の浜辺。
獲れたての魚を求めて村人が集まってくる。
各家庭の人数分均等に分配されていたようだった。
宿の広場で放し飼いになっていた「救命犬ブルテリア」。姿を見るとすぐにこうして走り寄ってきてよく遊んだ。撮ったのはこの朝のピンボケ写真一枚だけだったのが心残り。
左手に立つ大きな樹の落葉が女将さんによって籠いっぱいに掃き集められていた。その中の一枚の葉を持ち帰って、今でもアルバムの中にこのワンコの写真と一緒に貼ってある。
40年経って赤かった葉はすっかり黒くなってしまった。このワンコの形見のようなものだ。




動画サイトで見つけた2021年のプーケット島。
2004年12月26日にインドネシア西部スマトラ島北西沖のインド洋で発生したマグニチュード9.0の「スマトラ島沖地震」により発生した津波は、タイ南部にも到達。プーケットでも日本人観光客を含む多くの犠牲者行方不明者が出た。
この映像を見ると災害から復興したビーチの様子が伺える。

Phuket Amazing Beaches 
Willy Thuan



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