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『エターナルズ』とアメコミ映画の演技の進化。

世界中で大ヒット中ですねー。
前々回の「でびノート☆彡」【クロエ・ジャオ監督の「腐女子サイド」が炸裂!『エターナルズ』】で、ジャオ監督がMCUに二次創作マナーを持ち込んで大成功した件について書きました。

ジャオ監督がインタビューで語ってたんですが、彼女は『幽☆遊☆白書』の大ファンで、高校時代は「蔵馬」と呼ばれていたらしいです(笑)
そんなジャオ監督が撮った映画『エターナルズ』は、二次創作作品的な「親密さ」の表現・・・最強の戦士たちが日常生活の中、様々なカップリングで愛し合ったり、嫉妬したり、仲良くご飯を食べたりする・・・が映画全編に満ちていて、それが新たなMCUファンを獲得つつあるようです。

この「親密さ」路線、おそらく今後のMCU作品に影響を与えてゆくと思うのですが・・・今回の演技ブログ「でびノート☆彡」はこのアメコミ映画の演技の歴史について語ってみたいと思います。

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『アイアンマン』と『ダークナイト』

2008年公開の2つのアメコミ映画『アイアンマン』と『ダークナイト』はアメコミ映画の演技史の中でも画期的な作品でした。

80年代のアメコミヒーローの演じ方は、わかりやすいシンプルな人物造形のキャラクター演技でした。元気な奴は元気、ニヒルな奴はニヒル、ワイルドな奴はワイルド・・・全てのキャラは「一面的」にデフォルメされ、キャラの「一貫性」が良しとされました。
それが90年代に入ると、ヒーローたちはみんな一斉にダークサイドに堕ち、トラウマを抱えて内向的で陰気な感じになってゆきます。当時は暗く悩んでる人の方がリアルに見えたのですw。

その流れが『アイアンマン』と『ダークナイト』の出現で大きくひっくり返ります。トニー・スターク、ジョーカーという人物は複雑で、80年代的な「陽」と90年代的な「陰」両方の顔を持つ「多面的」な人物造形で描写され、それがとんでもなく魅力的だったんです。

そしてヒーローの人物造形法は「一面的・一貫性なキャラクター演技」の時代が終わり、「多面的・変化するコミュニケーション演技」の時代に入ってゆきます。
この新しい演技法は『アベンジャーズ』シリーズの中にも持ち込まれ、アベンジャーズたちは状況に揺れ動き変化してゆくヒーローたちとして描写されます。アイアンマンもキャップもソーもハルクも、どんどんキャラが変わりましたよね。

ボクはDCもその路線で進むことを期待してたのですが、ヒース・レジャーの死によってそれは実現せず、『ダークナイト ライジング』以降のDC作品の人物造形は『ダークナイト』以前の「一面的・一貫性なキャラクター演技」に戻ってしまい、現在に至っています。それでDCヒーローたちはいつまでも暗く重々しいんですよね。

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多様性の時代。

そしてそんな輝かしい日々からも10年以上の年月が経ち・・・世界はさらに変わります。「正義vs悪」という考え方自体が古臭いというか、時代に合わないものになってしまったんですね。

それまでの映画で描かれていた対立構造は、負けたほうが滅亡するもしくは改心することによって解決されてきたのですが・・・「正義」の名でもって相手を滅亡させるもしくは改心させることこそが「悪」なのではないか?という見方・・・「多様性の時代」が来たんです。

人種問題、格差問題、宗教の問題、ジェンダーの問題などで対立に次ぐ対立で苦しむアメリカや今の世界の現実を反映して、映画の脚本も演出も演技も変化しました。ポリコレというと多少聞こえが悪いですがw、正義と悪で線引きしなくなった結果、ヒーローとヴィラン(悪役)の区別すらも無くなって、すべての能力者がフラットに対立するようになったのです。

そしてその流れの中で2019年、2本のアメコミ演技の歴史的傑作が公開されました。映画『ジョーカー』と、Amazonプライムのドラマ『ザ・ボーイズ』です。

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相手のことが理解できない、という演技法。

『アベンジャーズ』のヒーローたちも頻繁にぶつかり合ってはいましたが、それはお互い「相手のやり方も理解できるけど、俺のやり方はそうじゃない」という対立でした。
ところが『ザ・ボーイズ』のヒーローたちの対立構造はもっとリアルなんですね。お互い「相手のやり方は全く理解できない、どう考えてもおかしい」なんです(笑)。これぞトランプ以降の分断するアメリカ、2020年代の世界のリアルな姿じゃないですか。

『ザ・ボーイズ』のヒーローたちは人種・宗教・ジェンダー・貧富の差など出自がバラバラで、人生観も価値観も目的もバラバラ、そんな彼らが「正義のチーム」を組むことで歪みが生じまくるという(笑)、超リアルなストーリーで、当然、演技法もそれに対応して新しくなっています。
『ザ・ボーイズ』の登場人物たちは、アベンジャーズたちみたいな「メタな視点」を持っていないんです。それぞれが自分のいるコミュニティの考え方しか知らないし、それが世界の常識だと思っている。それが彼らの役作りの基本なんです。

この演技法は映画『ジョーカー』でも同じでした。
主人公アーサーの善意は他の登場人物たち全員によって否定され、気持ち悪がられ、笑い者にされる。主演のホアキン・フェニックスは「皆と分かりあいたいのだけど、自分以外の人物の考え方・世界の見え方が全く理解できない」というアーサーを演じています。

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新しい「対立関係」の描写。

『ジョーカー』と『ザ・ボーイズ』の出現によって、2008年の『アイアンマン』から始まったMCU風の演技法も古くなってしまって、MCUは新規軸を打ち出す必要がでてきます。
この「新たな対立構造」をリアルに描写できる新しい演出家が召喚されます・・・それが『ブラックウィドウ』のケイト・ショートランド監督であり、そして我らがクロエ・ジャオ監督です。

クロエ・ジャオ監督はアメリカにおける様々な対立関係の中で不器用に生きる人物を、リアルに、そして美しく描写することができる監督です。
『ノマドランド』『ザ・ライダー』などの作品でジャオ監督の作品の主人公たちは、それこそ映画『ジョーカー』の主人公アーサーのように孤立し、理解されず、自分自身の信じるもののためにほぼ破滅的とも言えるような方法で人生を突き進んで行き、多くの観客の心を打ちました。

おそらくそんなジャオ監督のシリアスな作風をマーベルはMCU作品に注入したかったのではないか?とボクは思うのです。マーベルは「新しい対立関係」をリアルに美しく描写することをジャオ監督に期待したのですが・・・なんとジャオ監督はもう次の段階に進んでいたんです(笑)。

ジャオ監督が実際に撮った『エターナルズ』には多様性が大いに取り入れられてはいるのですが、そこで描かれているのは「対立関係」ではなく「親密さ」・・・共に生きてゆくことの素晴らしさが描かれていました。
そして、それが世界中の観客の心を打ったのでしょう。

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違いを愛でる演技。

そんなわけで映画『エターナルズ』で俳優たちが演じているのは「親密さ」・・・「相手と自分の違いを愛でる演技」で演じられています。そう、理解はできなくても尊重することはできる。愛でることはできるんです。

これはある意味『ジョーカー』『ザ・ボーイズ』のもしかしたら一歩先を行ってるのかもしれません。いやあジャオ監督に拍手、そしてそんな芝居を見事に演じてくれた俳優陣に拍手です。

さあこの『エターナルズ』の大ヒットを受けて、今後のMCUその他のアメコミ映画の演出演技がどう変化してゆくのか・・・そして来年はそろそろ『ザ・ボーイズ』のシーズン3も公開される筈ですし、『ジョーカー』の続編も企画されているという噂がありますからね。アメコミ映画の演技は今後も見逃せないですね。

最後に告知をさせてください😄
12月18&19日の演技ワークショップの参加者を募集しています。
【12/18(土)+19(日)】 『ケアする演技の魅力』やり〼。
内容的にはジャオ監督の『ノマドランド』『ザ・ライダー』系の「親密さ」の芝居に取り組みます。俳優の皆さん、今年一年を「親密さ」の演技で〆ましょう!(追記:18日19日両日ともおかげさまで満席になりました。ありがとうございます。)

ケアする演技2

ではまた!

小林でび <でびノート☆彡>





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