【小説】SAVERS特別作戦任務 ラストバタリオン 第9話 朝空快少年期の回想と自省

14歳の頃、私は自慢ではないが充実した日々を送れていた。
 学校へ行けば老若男女問わず、児童も教師も問わず皆が私の名を呼び、親切さを隠さない笑顔で迎えては、雑談に興じるなんてこともあった。
 グループホームからの、しかも奇病を抱えていた病弱少年の末路にしては、あまりにも出来過ぎている程に。
 
 しかし、私が望んで選んだとはいえ入学した当初は治安が決して良いとは言えず、上級生からの新入生いじめが横行していた。
 酷いと思ったのは、いじめの加担者は私と同じ小学校に居た上級生の顔も交じっていた事だ。
 ――皆の平和を脅かす連中は、誰であろうと許せなかった。
 入学式からそう時間が経たない頃、すぐにいじめの現場を見てしまった。

 内容は、女子に対する性的いじめだ。
 私は用を足すべく学校の男子厠に向かっていた時、大柄な男子連中が取り囲んで小さな女子の下着に手をかけ、その子は絆創膏だらけの腕を震わせ、今にも嘔吐しそうな顔をして明らかな拒絶反応を示していた。
 その様に吐き気を催しそうだったのは、見ているこちら側だった。

「なんだよチビ」
「チビが用を足して悪いか? あぁ。そうか。僕は糞をもう出したから目の前にこうして転がってるのか? 活きが良くてくっさいな」
「んだとテメェ……お前、何がしたいんだよ? 羨ましいか? 俺らがこうしてエロい事できて」

 大柄な、埃と皺にまみれた学ランを気崩した男子が女子の乳にやっていた手を離し、握り拳を作ってこちらにやってくる。
 名も知らない女子は相も変わらず震えて声も出せず、ただ他の大柄な、それでも目の前にやってきた男と比べれば小さい――その子の手を二人で握り締めていた。
 如何にも凶悪な目つきの、暴力的な性欲に支配された男子は獲物を吟味するのを邪魔された獣の如く鼻息を飛ばし、唸って睨む。

「もう一度言う。今なら見逃すぞ」
「何をだ。その子を離せ。君が恐らく主犯格だろう? なら、許さないぞ」
「じゃあよ、先生にチクるとかだろ。そうなんだろ、チビだからそれぐらいしか出来ねぇもんな!」

 拳が振り下ろされる。
 その瞬間、私はそのオレンジ色に焼けた拳の軌道を見て躱し、小便器の中心に拳が叩きつけられ、血を噴き出すのを見た。
 感染症が心配な所だったが、男の目つきを見てその慈悲は要らない物だと確信する。

「生意気やりやがって……痛ってぇ……!」
「やっちまえレッドキング!」

 後ろから声が聞こえて来る。
 そうか、レッドキング……特撮番組では典型的な脳筋ながら、何体もの怪獣と喧嘩して倒してきた有名怪獣の名だったか。
 ならさしずめ奥に控えている、眼鏡の大男をドラコ、女子を挟んで右側の方をギガスと呼ぼう。
 そんな風に思い、ふっ、と鼻で笑うとレッドキングは歯を剥き出して突進する。

 考えも無しに。

 私は壁に寄ってすれ違ってレッドキングがトイレの入り口まで突っ込んでいくのを見届け、段差に躓いて思い切り顔面と古びてタイルのひび割れた床とがキスしたのを見てから、彼の方に近付く。

「大丈夫か、僕も少し怒りすぎた。けど、悪い事は言わないからもうやめておこう」

 床に血だまりを作っていくレッドキング。
 正に赤の王。
 王は王でも裸の王様である事は否めないが――と考えて、また性格の悪い事を考えるな、と自省しつつ近寄ると、彼がぴくりとも動かない事に気付いた。
 まさか、今の衝撃で気絶、あるいは――と流石に背筋が凍る物を覚えた私は、彼の両肩を掴み、揺らす。

「お、おい! 大丈夫かい!? ねぇ! ねぇったら!」

 そう言った瞬間。
 レッドキングが反転し、私の手を振り払って肩を掴んだ。

「この野郎!! 殺す! 殺してやる! こけにしやがってどいつもこいっつも!」

 宙を浮かぶ私の足。
 徐々に目線が上になっていくのを感じると、私は睨み上げて全身に力を込める。
 すると、面白いように肩に加わっていた筈の力が抜けていき、私を解放していく。
 床に足が着く頃には、レッドキングは何故そんなことができると言わんばかりに目を丸くしていた。

「生憎と、力だけなら人間よりも恐ろしい存在に何度も相対しているのでな。もう一度言う。君をこけにするつもりはない。けど、今まさにこけにする原因を作っているのは君だ。さっさとここから出ていけ」
「へ……このやろ」

 ――それからの展開を一言で片づけるとするならこうだろう。
 正当防衛を言い訳にするには、あまりにも可哀そうだった。と。
 
 狭い便所の中。
 大柄な男子三人。
 モップやデッキブラシまで持ち出す彼らを前に、私は無傷で単調過ぎる攻撃を躱し、突き飛ばし、押しだし、足を蹴りこけさせたりもした。
 モップをロッカーに片付け、デッキブラシを取り上げれば、彼らは恐れ慄いてトイレから逃げ出すのも。

 女子の名は七瀬さんと言った事も覚えている。
 しばらくたったころ、七瀬さんが同性からも陰湿ないじめを受けているというのが耳に入り、いじめの輪を徹底的に根絶したのもあったか。
 いじめの現場を盗撮し、これを彼らの両親に見せ、学校内に流布。
 不登校児となってしまったのは流石にやりすぎたと反省し、菓子折りと共に一軒ずつ回ったが、私は相当に嫌われていたようで顔を見せただけで嘔吐する人も居た。
 私を殺そうとする子も居たが、その子は少々家庭に問題があったようで、話を延々とその日は聞いて、いじめがストレス発散となっていた事も聞き出した。
 その子とは仲良くなれたのは幸いだったが、そのほかとの仲直りは出来ず、散々な目に逢った。

 他にも牛乳アレルギーに無理解だという教師を辞任に追い込んだ事や、居残りの子がふと気になったので、施設に電話を入れ許可を貰って遅くまで勉強を教えたり、学校内のジュースをこっそり奢る事もあった。

 それらのエピソードが評判となってからというもの、私は、知らぬ間に学校のカースト頂点、王様同然になっていた。
 それが気に入らないという人も居たには居たので、不安定な思春期特有のメンタルに堪えたが、人気者だという自覚が私の鎧であり鎖のように笑顔を強要させられていたのが、不幸だったのか幸いだったのか。

 規律的に見れば、悪童、問題児。
 しかし温和で勇敢というのが大まかな評判だった。
 
 そういう気質もあって、私は昔から人には好かれていたとは思うが――――。

 私が学校生活を楽しんでいた時。
 一緒に帰ろう、と誘ってくれる仲の良い友達が居た。
 七瀬ちゃんと山田君。
 山田君はいつも笑って私に冗談を言い、七瀬ちゃんと私を笑わせてくれていた。
 その日の帰り道は夕暮れ時、私は珍しく居残りをさせられていたので、秋なだけあってすっかりと暗くなっていた。
 辺りは暗闇。
 明るいのは、山田君の発言のみ。
 そんな中で、遭いたくも無い存在に気が付いてしまった。

 ――忘れもしない、あの人型の竜。

 暗闇の中で、爬虫類のような、爛々と金色に光る眼をしていたのを良く覚えている。
 私は知っていた。
 その正体、獲物としてその瞳がこちらに向けられた時、背筋が凍るような感覚を。
 
「あり? なんだぁ~? ありゃ」
「ね。なんだろね」

 呑気なことを!
 私は二人を後ろへ突き飛ばし、静かに言った。

「なるべく遠くへ、私の背中を盾にして逃げてくれ! まだ気づいていない!」
「え? ねぇ冗談きついって、なぁ」

 山田君がそう呟いた瞬間だった。
 山田君の、恐らく居るであろう場所から骨の砕ける音が響いたのは。
 気が付けば、正面には黄色い双眸が見えなくなっていた。
 後ろを振り向く事は、感情では駄目だと叫んでいても、私は振り向かざるを得なかった。

 後悔する事は分かっていたが――なんてことだ。

 蛇の顔をした人型が、山田君の上半身を噛み砕いていた。
 その隣に居た七瀬ちゃんの姿は無い。
 ただ、そこには粘液と血だまり、骨の一部の塊があるだけだった。

 大きく広げた蛇の顔の口の中は、まるで歯のミキサーと呼ぶに相応しく、蛇の牙を付けたヤツメウナギを彷彿とさせる物。
 グロテスクな咥内を見せつけるかのような人外に、私は激情のまま、カバンの中にあるカッターナイフを握り、その中へと飛び込んでいった。
 もう、あの頃の無力だった僕じゃあない。
 
 そう決め込む頃には行動は早く、私は地面を蹴って奴の口内にカッターを突き立てた。

 力加減を違え、根元から折れてしまったのも構わず、私は一心不乱に得物を振るった。
 返せ。
 今すぐその胃袋に流した友の体を、汚物詰まった腸をぶちまけろ。
 
 怨嗟と悔恨の刃では倒す事は叶わなかった。
 奴はただせせら笑うだけで、私の足をわし掴みにしてきた。

 もはやこれまでか、と思った時――私の長い付き合いになる親友の声が聞こえて来た。

「もしもしそこのお兄さん? お取込み中か……? なら、これ・・で用は済むな」
 
 怪人が手を離し、その場に倒れ込む。
 その体には、五本の傷跡が深々と刻まれ、穴を作ってほぼ五枚下ろしになっていた。

 正面に居たのは、黒衣の友の姿。
 ずっと変わらぬ姿の、銀髪緑目の白男。

「俺とつるむ時は着替えてるだけに、学ラン姿は見てなかったけど、似合ってるじゃあねぇか」
「グリード……」
「ああ」

 その時、私はこともあろうに、命を救ってくれた彼に対して怒鳴っていた。
 守るべき物に使うべきだった激情の刃を握りながら、彼に振るいつつ。

「なんでもっと早く来てくれなかったんだよ! お前の力ならそれが出来た筈だろ!」

 他にも、罵詈雑言の限りを彼に投げかけたと思う。
 そのどれもが支離滅裂で、雑言にすらなれていなかった――言葉になっているのは良い方で、嗚咽が混じってほぼ獣の声と化していた。
 散々泣き崩れた私に対して、彼は言う。

「それは、お前の守って来た人だって思ったろう。理不尽な物だ、助けを求めたらそれに応えてみれば気が付けなかった守りに来た者を罵る。それに、俺だって他世界との境界の修復を兼ねて外来の者達を倒してきていたんだ。正直少し疲れてるのに」

 そこで気付いた。
 私の弱さに。
 自分の一瞬ながら縋った物にさえ、牙を剥こうとしてしまう弱さに。
 さながら、獣を前に混乱した駄犬のような弱さが、自分の精神に巣食っている事が、忌まわしく手仕方なかった。

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