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Ribbon

女優ののんが監督をつとめた劇場映画デビュー作

 実は『私をくいとめて』が良かったので、彼女には注目してたんですよね。ググったりYouTubeを見たりして。立ち位置的にも面白いじゃないですか。テレビ番組では見ないけど映画やCM、演劇では引っ張りだこ。実力も知名度もあるから仕事はコンスタントにあるけどテレビだけ干されているって、今の時代、本人にとっては最高なんじゃないですかね。時間とかにそこまで拘束されずに済むから自由だし、挑戦もできますからね。

 実際、音楽ライブを配信したり、アート作品を制作したり、YouTubeで『おちをつけなんせ』を監督したりしてチャレンジを続けていますよね。そういうのを知っていくと、やっぱり応援したくなっちゃいました。以前は何となく「騒動起こしたりアートに手ぇ出したりして、何か変な子だよね」というイメージだったんですが、具体的な活動内容を知った今は「アーティストとしてどういうことを考えているのか知りたい」と思うようになりました。

 映画って監督の思考とか思想とかが漏れて出てきますし、題材が美大生だからアートに対してどう考えているかが表現されているに違いないと思って『Ribbon』の公開を楽しみにしていたんです。

 というわけで、せっかくなので監督の舞台挨拶がある回に、シネリーブル神戸まで観に行ってきました。

初監督作品としては及第点

 さて、映画ですが、初監督作品としては及第点だと思います。卒展に向けて作品作りに励んでいたところ、コロナ禍がやってきて卒展が中止になり、目標を見失ってしまった美大生のやるせない気持ちや空虚な気持ち、どこにもぶつけることのできない怒りなどの感情がよく描かれていました。コロナ1年目のあの時期にしかない空気感を表現できるのは、稀有な才能だな〜と思いました。

シークエンスが長すぎ冗長

 ただその一方で、まだ未熟な故と思われる欠点も見られました。まず最初に気になったのは、少し冗長すぎる点です。複数のシーンによって構成される、ひとつのエピソードのまとまりをシークエンスと言いますが、シークエンスが長すぎるんですよね。

 僕は始まってすぐのバス停のシーンで、既に冗長だなと思っていました。この辺で終わりかなと思ったら、そこからかなりの時間、会話が続いたんですよね。起承転結の後にもう一回、転結がくるようなイメージですかね。これが演劇なら一つのセットでドラマが展開していくので少しくらい会話が続いても場が持つのですが、映画は場所や視点がどんどん変わっていくメディアなので、基本ワンシーンに話題はひとつにすべきです。

 長くなりそうならシーンを二つに分けて、別のシーンを挟むとかした方が良いと思います。例えば主人公・いつかの両親が、大学が休校になったのを心配して「様子を見に行ってよ」と話しているシーンを挟むとか。あるいは、シーンは一つのままで、異物を投入することで前後に分けても良いです。例えばバスが来ていつかと平井の姿が見えなくなり、ドアの開閉音がして走り去ってもまだ二人はそこにいて、続きの会話が始まるみたいな。セリフで「しばらく会えなくなるからもう少し話したい」とか言わせなくても、何だか別れづらいんだなと伝わるから一石二鳥です。

 で、話を戻しますが、バス停のシーンだけでなく、その後の両親とのシーンとか妹とのやりとりとかも長いです。たぶん丁寧に描こうとしたのだと思いますが、もう少しコンパクトにまとめてほしかったです。

エピソードの羅列になってるけど箱書きしてる?

 それともう一つの大きな欠点として、母、父、妹が、日を分けて順番に1人ずつ訪れるのがエピソードの羅列に見えました。しかもシークエンスが、いつかが目覚めるところから始まるのをスタイルとしているので余計にそう見えました。エピソードを順番に並べてしまっていて、しかも必ず目覚めるところから始まるので単調なんですよね。

 日常って必ずしも予定した通りに進むわけじゃないじゃないですか。例えば妹が来てるところに平井から電話があるかもしれないし、母がいてもたってもいられず様子を見に来るかもしれない。もしかしたらそれらが全部、同時に発生するかもしれません。そのエピソードに決着がつかないまま次のエピソードが来ちゃって、2番目のエピソードに対処してたら1番目も決着がついていたとか、そういう工夫が欲しかったです。

 脚本家は箱書きといって、場所、登場人物、何が起きるかをシーンごとに書いた表を作るんです。そしてその表を見ながらシーンの順番を入れ替えたり不要なシーンを削ったり、ひとつだけ長いシーンがあったらそのシーンを見直したり、時には構成自体を見直すことや登場人物を減らすこともあります。もしかするとその工程を踏んでいないんじゃないかなと思いました。

朝起きるところから始まるのは単調に感じる

 あと、そもそもいつかが目覚めるところからシークエンスが始まるというスタイル自体が弱いとも思いました。だって朝起きるところから一日が始まるのって、人間にとって当たり前じゃないですか。映画っていかにして端折るかが追求されてきたメディアで、朝起きるシーンがないけど翌日になっていることが分かるように描くものなんですよ。例えば「人間は規則正しく生きるべきだ」ということを描きたいから、あえて主人公が朝起きるところから始める、とかなら有効かもしれないですが、この映画はそういう作品ではないので。

 この、朝起きるところから始まるスタイルが、単調の原因にもなっているのでもうひと捻り欲しかったですね。

 ところでメインビジュアルで、リボンがたくさんついた衣装を着ているじゃないですか。あれ確か序盤で一回出てきただけで、その後一切出てこなかったと思うんですが何だったんですかね。僕はてっきり何かの伏線かと思っていたので回収してほしかったです。

 あと、平井の絵は平井が自分で仕上げた方が良かったんじゃない?

まとめ

 というわけで欠点をつらつら書いてきましたが、基本的には及第点だと思っています。コロナがもたらした様々な感情や、コロナ一年目の空気感が感じられたのは本当にすごいです。キャラクターも描けていたし、構成も悪くないです。

 そして何よりコロナ禍に卒展の中止という素材を見つけ、すぐに映画化に動き出した行動力は素晴らしいと思います。次回作も楽しみです。

製作年 2021年

製作国 日本

配給 イオンエンターテイメント

上映時間 115分

スタッフ
監督・脚本・企画 のん
製作統括 福田淳
エグゼクティブプロデューサー 宮川朋之
クリエイティブ スーパーバイザー 神崎将臣、滝沢充子
プロデューサー 中林千賀子
特撮 樋口真嗣
特撮プロデューサー 尾上克郎
音楽 ひぐちけい
撮影 彦坂みさき
照明 岡元みゆき
録音 佐藤里佳、原川慎平
美術 福田宣、清田楓菜
装飾 田中智寿子

キャスト
浅川いつか のん
平井 山下リオ
公園で出会う男 渡辺大知
いつかの妹・まい 小野花梨
いつかの母 春木みさよ
いつかの父 菅原大吉

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