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【和訳】スティーヴン・ユァン インタビュー: アメリカン・ドリームを取り戻す

A24のホームページに公開されている、2021年にCathy Park Hongによって映画『ミナリ』に関して行われたインタビュー「Reclaiming the American Dream with Steven Yeun」を日本語に訳してみました。

『Minor Feelings: An Asian American Reckoning』の著者キャシー・パク・ホンと、スティーヴン・ヨンがホワイト・ゲイズ(白人の目線)、韓国人の親、「アメリカ合衆国を再び偉大な国にする (MAGA)」を密かに白い目で見る『ミナリ』について語る。


スティーヴン・ヨンは車で妻が病院から戻ってくるのを待っている間にZoomに参加した。何と愛らしいことか、やはり誠実な夫である。

私は『オクジャ/okja』(2017)、そして『バーニング 劇場版』(2018)でのヨンを見たときからファンだ。多くの素晴らしい主演俳優のように、スクリーンいっぱいに存在感を見せ、我々を惹きつける魅力がある。彼のかわいらしい顔が宝石のような多面性を持ってして悪賢い、あるいは悪意のある内面を引き出す。しかし、ハリウッドは白々しくもアジア系アメリカ人の俳優の存在を無視し続け、またアジア人の男性性を軽視してきたことから、業界はヨンの突出した才能を十分に使ってこなかった。もしかしたら状況はやっと今変わったのかもしれない。リー・アイザック・チョンの美しい成長物語を扱った映画『ミナリ』ではヨンが主役、韓国から妻と二人の子どもと共にアーカンソー州にある畑へと移り住む父親ジェイコブを演じた。『ミナリ』はテレンス・マリックの映画を彷彿とさせる。なぜなら監督リー・アイザック・チョンの子ども時代に関するみずみずしい、感覚的な思い出を基盤にしているからである。この作品が特別なのは、韓国花札や、ジェイコブの息子デイビッドが飲まされる癖の強い薬膳茶などを長く映したショットに見られるように、これらの思い出が韓国人移民の文化に焦点が当てられているためだ。

直接会うと、少なくともZoomを通して見ると、ヨンから自身が演じる人物の暗さや風変わりな雰囲気はほぼ感じられない。彼は真面目かつ親しみやすい。二人で「移民の脳」について話す。私はヨンが自分の本を読んでくれたことへの驚きを表し、彼は「(アメリカと韓国の)中間から来た子」であると未だに感じていることについて語った。私が韓国人であるために、彼は調子に乗っていろいろと話してしまうのではないかと心配していることを告白する。ヨンがアジョッシ、つまり韓国の典型的なおじさんを演じていることについて冗談を交え、そしてまたジェイコブが実は全くアジョッシっぽくないことについても語る。ジェイコブはもっと若い上、家族の安泰よりも成功への欲求を優先するような密かに激しく、偏執狂的な人物である。また、ヨンはジェイコブを演じる上でジェームズ・ディーンを参考にした。このことが意外だと反応すると、ヨンはジェイコブが典型的な、家族を大事にするような男性ではないことを強調した。彼は自身に課された役割から抜け出し、自分のなりたい人になることを望んでいると言う。これはヨン自身にも似ている。ヨンも集団の代表になるのではなく、ただ自分自身を代表するような役を探し求めているのである。

キャシー・パク・ホン (以下 ホン):『ミナリ』と選挙についてお話を聞きたいです。アジア系とラテン系の人や移民の記録的な投票率が、いくつかの赤い州(共和党支持者の多い州)を青い州(民主党支持者の多い州)に変えたり、あるいは赤い州を赤い州のまま維持できるようにしたりすることに貢献しました。ジョージア州は青い州に変わりましたが、テキサス州は赤い州から変わることはありませんでした。そして、この映画はアーカンソー州に住む移民家族の物語です。アーカンソーと韓国人コミュニティにはあまり接点がないように思えます。トランプ政権の後の現在、観客にこの映画がどのように受け止められて欲しいですか。

スティーヴン・ヨン (以下 ヨン):映画の人物たちを人間らしく見て欲しいです。説明を省くために、人物たちのアジア人としてのアイデンティティに焦点を当てすぎないようにしました。一人の人間として、我々の存在、そして親世代の存在を描くことが大事でした。ジェイコブの人生では、いくつかの事柄をより深く理解していく過程が表現されているように思います。つまり、彼だけが家族を支えているわけではなく、家族を支える他の支柱や社会構造があるということです。家族全員がーモニカが、子どもたちが、祖母がー貢献しているのです。
しかし、私自身の心に響くのは、この作品がアメリカン・ドリームを再文脈化している点、アメリカが繁栄できることを示している点です。今、パンデミックの最中で誰が社会を支えているでしょうか?それは間に挟まれている人びと、移民、マイノリティ、女性です。彼らが社会構造を支えているのに、誰も話題にしません。本当に呆れてしまいますよ。移民とマイノリティはこのような人生を長い間送ってきました。何も新しいことではありません。昨年は私の両親が初めて投票に行った年でした。なぜなら、それまで両親からすれば、投票をしても意味がないと思っていたからです。どうせ見えない存在だし、社会は還元してくれないわけですから。中間に存在する者たちとして、他者扱い、外国人扱いされながら生きてきたので、私の周りの面倒だけ見ようと決めていたのです。これらのことを考えると、どれだけ両親が故郷とは別の場所を自分の住処として捉えるようになってきたのかが分かります。長々と話すようになってきましたねーこれが調子に乗るのを心配していた理由です。

ホン:私の母もアメリカに住んで40数年になりますが、今回初めて投票に行きました。それまで投票に行かなかった理由の一部はカリフォルニア州に住んでいて、あまり一票の違いはないと感じていたためです。ただ、違う場所に住んでいたとしても、あまり自分の票が大事だと思わなかったようです。このことがすべての韓国人移民に当てはまるわけではありませんが、政治家は自分たちのことを気にも留めていないと感じるために投票しに行かない人が多いと思います。

ヨン:「ここにいさせてくれるのだから、大統領は彼らに決めさせよう」という考えから来る、変な服従のようなものがある気がします。私の両親は30代のときにアメリカに来たので、お金を稼ぎ、子どもを育てることができれば良いと考えていて、むしろほっといて欲しかったようです。『ミナリ』は親世代が栄えている時代、そしてこの地にどのように貢献しているのかを見るために探究した作品でした。今、人びとはどのように移民が生きているのかに注目すべきです。なぜなら、この状況によってすべての人が移民になっているからです。実際に移民になっていると言いたいわけではなく、流浪と孤立を強いられており、様々な空間の狭間にいるのです。

ホン:ジェイコブが被っている赤い帽子について教えてください。今や赤い帽子は白人の権力と「私の芝生から足をどけろ」というようなアメリカらしい考え方の大きな象徴となりましたよね。

ヨン:私の大きな韓国人の頭に入ったのがこの赤い帽子でした。「トランプは赤い帽子を本当に変なものにしたよな。自分が被ったら何か言っていることになるだろうか」と思いました。でも一番似合っていたので、特に赤い帽子について何かを考えたり、それについて何かあえて言ったりしようとはしませんでした。しかし、やはり撮影中にアイザックに帽子について話すことはありました、自分が各場面で帽子を被った方が良いかについて話しました。撮影が終わる頃に、ジェイコブは自分自身に飲み込まれそうになっているときや、資本主義的な意味で栄光を掴みたがっているときに帽子を被っていることに気がつきました。全てを失って謙虚になっているときは、帽子を被ることはありません。トランプ支持者に対する教訓の意味で被る意図はありませんでした。帽子はサングラスのような機能を果たしていたわけですから。帽子はこの男の心をむしばむ大きな恐怖と苦痛を覆い隠すためにあるものです。ジェイコブの傷は完全に治ることはなく、彼は家族にとって常に良い構成員として存在することはありません。ただ、苦痛から抜け出したとき、謙虚になること、家族に貢献すること、我々全員の間にあるつながりに関して、何かが生まれます。彼は一人で家族の成功と存続を担っているわけではないことに気づくのです。

ホン:ジェイコブを演じるとき、実の父を思い浮かべましたか。

ヨン:はい。ただ、実の父と、韓国人の父親という全体像のどちらを思い浮かべるかについて葛藤していました。ジェイコブは移民のまたさらに移民です。成功を求めて渡米し、そこからカリフォルニアを離れ、アメリカ中部に自分の土地を求めて移住します。一個人として自分がどういう人なのかを探すために安全な居場所を去る人、こういう人はいるでしょうか。他人にアイデンティティを決められるような、韓国社会や私が育てられた環境と並べて考えると、ジェイコブが特殊であることがより分かります。
ジェイコブは自分にいろいろ吹き込んだシステムの外側で自身を見つけようとしており、私は父にその特徴を見出しました。父は韓国でかなり稼いでいました。そこそこ大きな事務所で建築家をしていて、ソウルで家を購入しました。弟の学費も一部払っていました。常に認められようと頑張っていて、その中で1970年代末ミネソタ州に出張に行った際、そこの広大な土地を見て、父はそれが欲しくなったのです。大人になってからずっとアメリカに行くことを夢見ていたのです。しかし、やっとミシガン州に移住したとき、とても怖い思いをしました。私の家族は、すぐに多くの韓国系アメリカ人の家族が経験するパターンに陥りました。自分のコミュニティ、安定した居場所、占領できるような場所を見つけるというパターンです。ただ、私はジェイコブがありふれたアジョッシになることを望みませんでした。彼のモデルとなったのは、異なった生き方をするがゆえに、全てのことをありのままに受け止めたジェームズ・ディーンでした。

ホン:韓国人の親が子どもたちに良質な教育を受けさせるためにすべてを犠牲にしたと言うことについて、ある友人と話をしたことがあります。彼女は「そんなの嘘だよ。あれこれ言う親から逃げたかっただけ」とか「お金持ちになりたかっただけなんだよ」と私に言ってきました。そのような動機は存在し、そういう動機を持つ韓国人は、おそらく個人主義という、よりアメリカ的な精神に惹かれる人なんです。

ヨン:そうです。ジェイコブはビジネス・スマイルをつけたサラリーマンや、つまらない仕事をする人以上の者になりたいのです。

ホン:しかし、私にとって身に沁みる真実らしい映画となったのは、二つの文化を交えていた点ー薬膳と花札が出てきたようにー、そして二つの言語が使われていた点から来るのだと思います。私の家族がそうであるように、劇中の家族は韓国語と英語を両方使っています。私はしばしばアジア系アメリカ人の描写にもどかしさを感じていました。なぜなら多くの場合、英語だけが使用されている上、アジア系の人の英語の訛りをちゃんと再現できていなかったためです。

ヨン:二つの言語を使ったのは、家族をアメリカン・ゲイズ(アメリカ人の目線)、ホワイト・ゲイズ(白人の目線)から切り離したかったからです。移民二世の目線からも切り離したかったです。言葉の部分は怖くもありました。韓国語の部分ではなく、片言の英語の部分を演じるのは勇気のいることでした。キャリアの大部分はそういう仕事を断ってきました。そういうことはやらないと、片言の英語を練習することはしないと決めていました。それに対する恥にかなり悩まされました。ホンさんの著書でも取り上げられているように、ホワイト・ゲイズが、映画ならではの言語があるのです。これがあまりにも普通のこととされているため、その始まりと終わりすら分からない状況にあります。力を持っている人びとは少しずつ横へずれることを学んでいますが、未だにアジア系や移民の俳優には抜け出すことができない型のようなものがあります。つまり、制作陣が直接そのような目線を向けようとしていなくても、俳優自身が目線を当てはめて演じてしまうのです。もしかしたら、ある文化をルーツに持っていないプロデューサーが誰かに「これが売れるためには説明が必要だ」と言われているのかもしれません。「具体性こそが普遍性(specificity is universality)」というフレーズはよく使われますが、正直に言いますね…そんなものクソ食らえです。白人性が未だに一般的だと、多数派であると考えられています。我々は「私にとって分かりやすいように、具体的に説明してよ」と言われているのです。

ホン:これまでのあなたの数々の作品を見ていると、「ああ、この人はこういう人を代表しようとしているんだ」と想像することはできませんでした。ただ、『ミナリ』に出演しているのは、アメリカン・ドリームに関連する象徴的なものがたくさんあるためなのかもしれないと感じました。

ヨン:我々はまだ過程の中にいるのだと思います。アイザックは映画のためにボイスオーバーを書きましたー「ミナリは育ち、移民のポケットから現れ、一年目は枯れ、二年目は生い茂り、周りの水と土をきれいにする」ー我々の親世代への、彼らの犠牲と苦労に感謝を表するためのラブレターだったのです。しかし、アイザックは結局これを使いませんでした。すごくかっこいい決断だったと思います。なぜなら、我々の親の人間性を保つからです。彼らの完全さを保つからです。彼らの存在を示すために、苦労や犠牲と並列する必要はないのです。ジェイコブとモニカと祖母は欠点も含めたありのままの姿で、スクリーン上に登場すればよくなったのです。

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