見出し画像

「すごいこと」ではなく、小さな希望から始めよう

先日、図書館の新刊コーナーでフラフラしていたら、明石市長(当時)の書籍があり、何気なく手に取りました。

私の泉房穂前明石市長の最初の情報は、暴言ですね。記事などで切り取られた文言を見て、うわ〜〜…こわ…と思った記憶があります。

一方で、当時はFacebookを頻繁に閲覧していたので、彼の良い評判も流れていたので、そのギャップに驚くと同時に、なるほど、記事の切り取りだけではなく、どちらの言い分も聞かないといけないな、と思ったことを覚えています。

どちらかというと、自分とつながりがある人達が評価している方が信頼できたので今回の本も手にとってみようと思ったのです。

読んでみて、あぁこれはいい、ぜひ対話会のテーマ本にしたい、と思いました。

別に、私自身は泉さんの肩をもつわけでもないですが、暴言のことを知っていて、暴言のイメージだけの方に、本屋などでチラ見してもらえるといいかもしれません。

で、本題なのですが、タイトルにもある「社会を変えよう」という言葉。

私も好きっちゃ好きな言葉なんですが、正直、心のどこかでは「社会を変えよう」なんて、どこか、よその、すごい人の話なんだろうなぁ〜とか、私個人の行動でどうこうできるものではないしなぁ〜〜・・・という気持ちが湧きます。

それこそ、泉さんのような、突き動かされるものがあるわけでもないし、と思ってしまうのです。

でも同時に、私の中にも「社会が変わったらいいのになあ」という気持ちがあるというのも事実です。

泉さんの本は「自らの手で社会を変えたい!」という人にとっても、「社会は良くなってほしいけど、どうしたらいいんだろうねぇ、私には大したことはできないよ」という人にとっても、きっと響くものがあると思います。

生きづらさが蔓延しているのが今の社会だと感じています。

あとに生きる人たちのためにも、どんな社会が広がっていったらいいのか。泉さんはその動機のひとつを「復讐」という言葉を使われていますが、他方で根底にあるのは、こうなったらいいのに、というわずかながらの希望をつなげていくことなんだろうな、と思っています。

だから、今回のタイトルを【「すごいこと」ではなく、小さな希望から始めよう】としました。

私は、原動力を「怒り」にすることはありませんが、そういうバイタリティで困難を打破する他人の姿を見て、学べることはあるな、と思うのです。

「泉さんのような政治家がもっと増えてほしい」そんな声もたくさんあるようです。それもそうだと思うのですが、一方で、そういう情熱を持つ方を政治家たらしめるのは、結局は私たちの一票であり、私の選択だと信じています。

本のレビューで目に留まったのは
-----
『選挙に行っても何も変わらない』
そう思っていましたが、考え方がガラリと変わりました。
-----
という言葉でした。

これも、立派な「社会の変え方」だと思うんです。

それぞれの地域や環境で状況は違います。なので、この施策がいいよねという話や、泉さんすごいよね、という話ではなく、自分の生活にとって、ささやかでも何かしらの行動変化につなげられる場にしたいと思っています。

「答えのない対話会」で一緒に探求できたら嬉しく思います。

(文責:森本)

▼テーマ本はこちら
『社会の変え方 日本の政治をあきらめていたすべての人へ(明石市長・泉房穂)』


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?