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ハピネスの定義―生きとし生けるものが本当にしあわせになるには

『生きとし生けるものがしあわせでありますように』というフレーズを聞いたことがあるかと思います。コロナウイルスのパンデミックによって、世界中のたくさんの国が現在緊急事態宣言下で、外出禁止令が出されていたり、感染者や死亡者が日増しに増える中、祈りは自然に誰にでも起こってくるものだと思います。

『一日も早くみんながしあわせに』という願いは世界中の誰しもが、日々願っていることです。こんなことが起こらなければ、自分だけしあわせだったらいいと思っていたかもしれません。人の不幸を願うほど病んでいる人もいたでしょう。でもこのパンデミックは世界中が命の危険にさらされることで、一人のしあわせが世界全体に繋がっていることを教えてくれています。

そしてもうひとつ大切なレッスンは、『しあわせ』ってどういう意味だろうということを再び考える機会をくれているということです。今日はこのしあわせの定義について深堀りしてみようと思います。

サンスクリット語で『生きとし生けるものがしあわせでありますように』というフレーズは、

Loka samastha sukhino bhavantu ロカ サマスタ スキノ バヴァントゥ

です。もしかしたら聞いたことがあるかもしれません。このフレーズは、ヴェーダやウパニシャッドなどの、どの経典にも属さないながらも、どこでも付け加えられる万能マントラとして知られています。仏教においても、テラヴァーダ仏教で使われるパーリー語では、三蔵のあらゆるところに登場し、いろんなヴァージョンがありますが、一番短い文だと、

Sabbe satta bhavantu sukhitatta サッベ サッタ バヴァントゥ スキタッタ

です。この二つを見比べてみると『スキ』と『バヴァントゥ』という言葉がどちらにも出てきます。今日はこの『スキ』という言葉が持つコンセプトについて考察してみましょう。

ハピネスのコンセプト

この『スキ』という言葉が『しあわせ』にあたります。形容詞に変換すると、仏教用語で良く出てくる『スッカ』になります。日本語の『スッキリ』や『スカスカ』と同じ意味で、何にもなくてクリアという意味です。もっと詳しく説明すると、『ス』が純粋・クリアという意味で、『カ』は空間を意味します。直訳だと『純粋な空間』です。

空間が純粋であればあるほど、しあわせだというのはどういうことでしょう?これを理解する上で、知っておくと解りやすいのが、反対語の『ドゥッカ』です。

『ドゥッカ』は仏教で良く出てくる『苦』にあたる言葉で、無常・無我と三つのセットになって出てくるキーワードです。『ドゥッカ』の『ドゥ』は日本語の『ドロドロ』と同じ意味で、物質がゴチャゴチャに混ざっている状態を指します。『カ』は空間なので、直訳だと『混沌とした空間』です。

この二つを照らし合わせると、スッキリ対ゴチャゴチャ、もしくは軽い対重いという構図になっていることが見えてきます。仏教はもとより、ヒンドゥーやジャイナ教を含むインド思想でのハピネスの定義は、軽くってスッキリしていることであり、反対に苦しみの定義は重くてゴチャゴチャしていることを意味します。

ドロドロをスッキリさせると、しあわせになる

この二つを知っておくと、お釈迦様が『この世は苦しみ』と言った意味が、ただの悲観主義ではないことが分かってきます。哲学的に意訳すると『この宇宙空間は、エレメントが混ざって物質化したものたちが、ごちゃ混ぜに右往左往している』と言っているのです。

ではどうしてそれが苦しいのかと言うと、それはなぜ物質が生まれて分化していったかという原因に由来します。noteでも何度もお話していると思うのですが、(詳しくはアガンニャ・スッタの回を読んでくださいね)物質化の起因は『タンハ―』=欲求によって起こるという考え方が仏教(のみならず、インド哲学にはほとんど)にはあるからです。

この欲求のエネルギーは、美しく言うと『クリエイティビティ』であり、悪く言うと、ただの『欲望』です。解脱を目指す方はすべての欲求をアンインストールすることを目指しますが、そうでない普通に生きるわたしたちにとっても、ひとつ履き違えただけで、全く違うものが生まれて自分自身が困ってしまうというのが、この『タンハ―』=欲求の力です。

なので、すべてを手放すことまではしなくとも、自分が何を本当に欲しているのか、はっきりわかっていることが何よりも大切です。わかっていないと、物質的にも精神的にもあれこれ摂取して、自分の部屋も心の部屋も、ゴチャゴチャ汚部屋の住人になってしまう、これが苦しみ=『ドゥッカ』の状態です。

反対のスッキリした『スッカ』の状態を作るには、自分の欲求がどこから来るのか、ゆっくり観察する必要があります。今の世界的な『おうち時間』は、ゴチャゴチャをゆっくり観察するための絶好のチャンスです。

ウイルスだってしあわせになりたい。でも本当のしあわせってなに?

わたしたち生き物は分離による不安や欠乏感から、その穴を埋めるためにいろいろなものを欲しがり、生産し、摂取し、消費します。せっかく作って摂取しても消費されるだけなので、結局その欠けた部分を埋めることができずに、生きている限りただそれをし続けるだけ、というのが命のいとなみです。それは精神面でも物質面でも同じです。

そしてウイルスも全く同じ条件の下活動しています。人工的であれ、自然発生であれ、欠乏感・不完全性がゆえに起こる『タンハ―』=欲求から、必死に分離して増殖しようとする、これがウイルスの持つ機能です。ウイルス自身が増殖するためには、生きた生き物の細胞という環境が必要です。しかしウイルスはその無知から、寄生主の許容範囲を無視して増殖し、結局一緒に死んでしまいます。

これはウイルスが『スッカ』を知らないからです。ウイルスは増えてごちゃごちゃする『ドゥッカ』のほうが安心だと認識しているから、増えようとするのです。

わたしたちはスッカを選ぶことができる

これはわたしたちの活動にも全く当てはまることで、ウイルスが無知で馬鹿だなんて言うことはできません。今までのわたしたちも『スッカ』を選ばずに『ドゥッカ』を選んできたことは言わずと知れたことだと思います。

わたしたちだってお金やモノなどを『富』として、増やすことばかり考えてきました。ウイルスと同じで、寄生主である地球の許容範囲を無視して増殖し続けてきました。結果わたしたちがしあわせかというと、いろいろなものが溜まって、身体的な疾患はもとより、ストレス、鬱、無気力、無価値観、不眠など、たくさんの『ドゥッカ』をごちゃごちゃ抱えています。

ウイルスはまるでわたしたちの写し鏡。『おうち時間』はわたしたちにとって薬の時間です。好転反応でとてもイヤな気分になる方もいると思いますが、それは自分の中にたまっていた『ドゥッカ』が出てきているあかしです。ここで気づいてほしいのが、わたしたちは『スッカ』を選べるということです。『スッカ』を選べるということを心にとめて、辛抱強く『ドゥッカ』をお掃除してください。

意識の向かう方向を自分で決めると世界は変わる

ヨガや仏教などのインド由来の哲学はマインドが世界を作るという考えが基本です。最近では科学でもそれが証明されはじめていることを、みなさんも知っていると思います。ですから、一人でも多くの人が『スッカ』を選ぶことにシフトすると、パンデミックは収まっていきます。というのも、今までのわたしたちは、わたしたちの意志で『ドゥッカ』をパンデミックさせてきました。それが臨界点に達して起こったのが今回の事態です。

わたしたちが活動・労働・生産などを減らして『スッカ』を選ぶことは、地球環境との共存を選ぶということです。それはウイルスにとっても同じことで、わたしたちが共存しようとしたとき、ウイルスも共存しようとするでしょう。一聞、不思議に聞こえるかもしれませんが、自分を信じる、祈るとはそういうことです。

欲求、不安、怒りなどに飲み込まれて右往左往して生きるのではなく、意識の向かう方向を自分で決める、ただそれだけです。ただそれだけのことが、世界を変える力を持っています。

スッキリしたマインドには、疑いや恐怖はなく、安心して自信に満ちたものです。今日最初に紹介したマントラの本当の意味は、『生きとしいけるものが、スッキリした意識の上で、自らのエネルギーが向かう方向を知ることができますように』という意味です。

Loka samastha sukkhino bhavantu

Sabbe satta bhavantu sukhitatta

生きとし生けるすべてのものがスッカを選ぶ世界でありますように



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