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行為の結果となる運命をカルマヨーガで紐解く

カルマ・ヨーガについて

■カルマとは?

カルマは、サンスクリット語のkri(する)から来ている言葉で、すべての行為がカルマであり、ヨーガの専門的には、行為の結果を意味しています。一般的に用いられる意味としては、過去の行為が原因となりその結果を意味しているのですが、カルマ・ヨーガの教えの中では、単に、働きを意味するものとして扱っています。

カルマ・ヨーガの聖典としては、『バガヴァッド・ギーター』がよく知られています。といいますのは、ほぼ大多数の人が出家することなく家住者として、家族を養うために働いているので、その「働きの秘訣」をアルジュナという将軍と神様が化身したクリシュナ神との会話を通して教えているのが『バガヴァッド・ギーター』だからです。

■なぜ、カルマという行為に注目するのか?

ばかげた質問かもしれませんが、行為には結果が伴うことになるので、望む結果を達成するにはその結果を生み出すための行為がとても重要であることは誰しもわかってはいることだと思います。

しかし、たびたび同じような失敗するを繰り返す人は、同じような行為のパターンを繰り返しています。つまり、失敗を繰り返すような行為が習慣化してしまっていると言えます。その習慣が運命となって、その運命を嘆くことになるか?世界に自らの結果の責任を転嫁することになるのかもしれません。

そこで、カルマ・ヨーガは、どのように考えて行為をするのかという「働きの秘訣」を私たちに教えてくれています。

■カルマ・ヨーギ二と言われているマザー・テレサの言葉

マザー・テレサの言葉より引用

インドにおいて、キリスト教を信仰するマザー・テレサさんをカルマ・ヨーガを実践する人だと称されていると聞いたことがあります。それは、その言葉からもカルマという本質を言い得ているからでしょう。

もし自分の今までのパターン化された運命を変えたいならば、性格を変えることになりますし、その性格を変えるためには習慣化された行動を変えることになります。そして、習慣化された行動を変えるためには常に話す言葉を変えることになります。言葉を変えようと思ったらその言葉の元になっている思考を変えるということになる、という、とても、インドの哲学的で現実的な考え方と言えます。

■行為の結果を放棄するティヤーガについて

この題名からすると、行為の結果を放棄するという「ティヤーガ」という教えは無責任ではないかと叱られてしまいそうですが…なぜ、そうすることが「働きの秘訣」の一つとなるのかをともかく続けて読んでください。

実に、智慧(ジュナーナ)は勤修(アビヤーサ)より優れ、静慮(ディヤーナ)は智慧より優れ、行為の結果の放棄(ティヤーガ)は静慮より優れている。この行為の結果の放棄により、心の調和(シャーンティ)が速やかに生じてくるからである。

『バガヴァッド・ギーター』第十二章十二節より引用

勤修というアビヤーサは繰り返し修行をするという意味であり、静慮(ディヤーナ)とは、深く瞑想し考えるという意味で、中国においてはディヤーナを禅那(ゼンナ)として日本においては禅という言葉になっているようです。

『バガヴァッド・ギーター』という聖典は、「働きの秘訣」を教えているので智慧よりも「行為の結果の放棄」が優れているとしていますが、それはギーターにおける一つの中心的な理念として、絶えず働けしかしその結果には執着するなという考えがあるからだと言えます。

なぜ、私たちが行為をするのかと言えば、その行為によってもたらされるであろう欲望があり、その欲望がもたらされた時の快楽があるからです。つまり、欲望を満たすための行為となるのですが、この欲望が行為の障害となり強いては結果の妨げとなることに注目してみましょう。

行為の結果に対して執着するということは、欲望に目がくらんだ心の状態となり、捕らぬ狸の皮算用という言葉のように、捕まえる前に狸の皮がいくらの値が付いてそのお金で何を買おうかという思惑のままに、そんな心の状態で望むような結果をもたらす行為ができるのかについて、今、そのような心の状態で結果を求めた過去の事柄について思い起こしてみてください。「行為の結果を執着」した体験を思い出します。

いかがでしたか?ヨーガは禅つまりディヤーナであり自らの心の状態がどのようであったのかを客観視して調べるものとなりますし、行為の原因となる思考がどのようなものであったのかをありのままに正直に調べることになります。

たとえば、野球の試合で、9回の裏の攻撃で一対一の同点の場面、ツーアウトでランナーが二塁ですがランナーの足は遅く、そして、次のバッターは絶不調でヒットは見込まれないとします。この時のバッターは、外野奥へとクリーンヒットを打つことで二塁ランナーがホームインして勝利し初優勝となります。

ここでバッターは、「行為の結果を放棄」するのか?または「行為の結果を執着」するのか?の選択に迫られます。

「行為の結果を執着」するならば、ガチガチに緊張しチームメイトや監督とコーチからの期待を一身に背負いながらの過度なプレッシャーの中での行為となるでしょう。

「行為の結果を放棄」するならば、ほどよい緊張を感じながらもチームメイトや監督とコーチからの願いと共に、自らの行為を客観視しながら結果に対して縛られずに精一杯のベストで挑む行為となるでしょう。

こんな場面は、人生において、何度か体験することとなるでしょう。ここで、先ほどとは違って、「行為の結果を放棄」したような過去の事柄について思い起こしてみてください。ここではどのような結果であるのかを不問とします。

いかがでしたか?このような「行為の結果を放棄」したことが習慣化されたならば、あなたはどのような性格となり、どのような運命がもたらされるのでしょうか?そのような過去の事柄が思い浮かばなくても、今後の人生において、新たに習慣とすることが可能であることは覚えておいてください。

言葉で書いたり言うのはたやすいですが、このような考えを仮説として実証する準備としての「行為の結果を放棄」したアーサナがとても重要になってきます。

最後に

今回の考え方は、アスリートのメンタルトレーニングでも教えられているのですが、「ゾーン」という言葉を初めて日本にもたらした白石豊先生の影響があるのかもしれません。白石豊先生は、禅やヨーガという東洋思想を導入し日本人のためのアジア的スポーツメンタル強化法を提唱されています。


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