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「私の悪も社会の善になっているから良いのだ」という経営者の考えはもはや通用しない、とドラッカー 1月23日 Private Virtue and the Commonweal 私徳と公益

#1月23日  
#Private_Virtue_and_the_Commonwealth
#私徳と公益

おはようございます。このNOTEは、読むだけで世の中の課題を #ドラッカー #365の金言  を使って、解決できる、そんな知力を鍛える教育エンタメNOTEです。

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さて、

こちらでは、地に足をつけた、私の体験や学びから得た
実践マーケティング記事を1日1本以上をご紹介しています。

今日のテキストは、『 #現代の経営 』1987年版だと下巻の263〜264ページあたり。

 今日のテーマは、もはや19世紀の「個人の悪徳も社会にとっては善になる」は、現代の資本主義では通用しない。道徳性を欠いている資本主義は非難される時代です。つまりは、「真の公共の利益を、企業の利益と一致せしめる」こと、という内容です。

 今から250年前、イギリスの精神科医で思想家のバーナード・ディ・マンデヴィル(1670〜1733年)は、新しい商業の時代の精神を、「個人の悪徳も社会にとっては善になる」(『 #蜂の寓話 』 Private Vices, Public Benefits= 私悪すなわち公徳)、すなわち、個人の利己的な利益追求が知らず知らずのうちに公共の利益となっている、という有名な警句のうちに指摘した。

 かつては、異民族の無給ないし低賃金労働によって作られた低コスト製品で利益を増やすことは是とされてきましたが、今日では、企業の経営努力ではなく、低賃金労働=適切な賃金を払わない人権無視した道徳性を欠いた企業活動、と見なされ、社会的に非難される時代です。

 それが、ウイグル強制労働の問題であり、ユニクロ、無印良品、パナソニックが批判される本質です。

 企業が社会の一機関であり、企業活動は社会生活に決定的な影響を及ぼすという事実があります。そのため、経営者は、企業に対する責任を有しているだけではありません。同時に、公共の利益に対する直接的責任をも有している。社会の利益を企業の利益とすることが求められるのです。

 YouTubeで登場する経営者や政治家などいわゆる社会のリーダーとされる方々の中には、必ずしも「善人」とは思えない振る舞いをされて炎上している人たちも少なくありません。昭和までならそのやり方でも良かったかも知れません。しかし、令和の今は、そうではありません。時代は変化しています。

今日もやっていきましょう。

#私人の徳を社会の福利の基盤としたとき徳のある社会が実現される

 社会にとってよいことを企業にとってよいことにするためには、懸命な仕事、優れたマネジメント、高度の責任感、大きなビジョンが必要である。それは完全を追求することである。その実現には、鉄を金に変える賢者の石が必要である。
 しかし、マネジメントが社会のリーダー的存在であるためには、この原則を行動の原理とし、意識して遵守し、現実に実行していかなければならない。なぜならば、優れた社会、徳ある社会、永続する社会は、私人の徳を社会の福利の基盤にしたとき、実現されるからである。
 リーダー的存在であるためには、公共の利益が自らの利益を決定するといえなければならない。この確信だけが、リーダーとしての唯一の正統性の根拠である。これを実現することが、リーダーとしての第一の責務である。

(『現代の経営』)

ACTION POINT
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