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12月22日 Limits of Social Responsibility 社会的責任の限界


#12月22日  
#Limits_of_Social_Responsibility
#社会的責任の限界

おはようございます。このNOTEは、読むだけで世の中の課題を #ドラッカー #365の金言  を使って、解決できる、そんな知力を鍛える教育エンタメNOTEです。

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さて、

こちらでは、地に足をつけた、私の体験や学びから得た
実践マーケティング記事を1日1本以上をご紹介しています。

いい意図があればお金がなくても。。。
そんな気持ちで始めるボランティアやNPO。
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会計処理までできていない組織は運営能力がないと同じです。
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今日のテキストは、1974年の名著『 #マネジメント -課題・責任・実践』24章 経営者と生活の質 1974年版 上巻 527〜530ページより。

経営者、特に企業経営者に対して、社会への関心を企業自体の行為の中心にすべきであるという要求が起こってきた。それは、生活の質を向上させるのを企業の仕事にせよという要求である。(中略)新しい要求は、企業が社会の価値観や信条を“つくり“、個人の自由を創造し、そしてよき社会をつくり出すべきであるというものである。
 こうした要求は、経営者が新しい考え方をし、新しい行動をすることを必要としている。こうした要求は、従来の方法では処理できないし「PR」では処理できない。

同書、526ページ


#よいことを行うにはよい業績をあげなければならない


 経済的な能力をわきまえずに、負担しきれない社会的責任を果たそうとするならば、直ちに問題が発生する。
 ユニオン・カーバイドが、失業を緩和する目的でヴァージニア州ヴィエナに工場を建てたことは、社会的に責任ある行動ではなかった。結果として無責任だった。最初から収支ぎりぎりで、工程が旧式だった。工場は息をするのがやっとだった。このことは、ユニオン・カーバイドが、自らが引き起こす問題を処理できないことを意味していた。事実、同社は環境対策の要求に抵抗せざるをえなくなった。
 環境対策の要求は、失業への関心が環境への関心をはるかに上回っていた1940年代末にはなかった。しかし、やがてそのような要求が出ることは予期しておかなければならないことだった。そもそも社会的責任のためとして不経済なことをするのは、責任ある行動ではなかった。たんに情緒的な行動だった。損害を被るだけのことだった。

(『マネジメント-課題・責任・実践』)



ACTION POINT
#良いことを行うには
#良い業績をあげなければならないということの意味を説明してください

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