こまもの①

** 夏雲(1)**

白い絵の具に、ほんのちょっと、黒と青をのせたような雲が広がっている。ああ、雨季が来たのね、と美理子(ヨリコ)はキッチンの小さな窓の外の空を見つめた。しかし、そんな美理子を蛇口から流れる激しい水の音が彼女を現実に引き戻す。

「ああ、余計なことを考えている場合ではなかったわ」

あと少しで子供達を駅まで迎えに行かなくてはならないのだ。

美理子は3人の中・高生の子供を持つ主婦で、日々、家内仕事や思春期真っ盛りな子供の世話に明け暮れていた。

食器を洗い終わってエプロンを洗濯カゴに放った美理子は急いで車庫に向かい、車のエンジンをつけた。駅への運転を急ぐ美理子が乗るのは、夫がこだわって買った、よく知らないがどこかヨーロッパの車だ。あの人の車好きも長いわよね、なんて乗るたびに思う。結婚前に夫から、この車会社の製品の素晴らしさを熱弁されたことがあった。美理子はその時もいまと変わらず、車に興味なんて持っていなかったけれど熱のある話をする人だなと好印象だった。彼とも結婚して20年経つと考えると、時間が過ぎるのはマッハだと思う。

色々と回顧しているうちに、子供たちが待つ駅に到着した。娘たちが向こうから手を振ってきているが、息子はやはりいない。あの子は今日もどこか寄り道しているのかしら。気を揉みつつ美理子は娘二人を車に乗せて家へ向かう。

長女の紬(ツムギ)は、都内の女子校に通う高校一年生。美理子が中高生時代に通っていた学校に小学校から入った。10年も同じ学校で、女子しかいないとなるとイザコザもあるようだが、紬は上手にやっているようだ。
次女の楓(フウ)は、姉の紬と同じく小学校から美理子の母校に通っており、今年中学校に入ったばかりだ。制服は小学校と変わらないが、セーラー服のリボンの色のみ変わるので、心なしか以前と比べて“お姉さん”になったように見える。そういえばこの子から最近の学校での話を聞かないけれど、楽しく過ごしているのだろうか。去年あたりから軽く反抗期が始まって、細かい友人関係の話をしてくれなくなった。

車が信号で止まると、助手席に座っている紬が、
「お母さん、今日ね、お昼休みに〇〇の歌が流れたの!!私嬉しくって沙耶(サヤ)と叫んじゃった!楓ちゃんもお昼に聞いたでしょ?どうだった?」
と後部座席の方を振り向きながら尋ねると、
「聞いた!うちのクラスに〇〇が好きな人多いみたいでね、すごい盛り上がったの。それでね、話したことなかった子とも仲良くなれたよ」
と楓が操作していたスマホから顔を上げ、興奮ぎみに答えた。美理子はこれはチャンス、と思い、
「楓ちゃんその子なんていう名前なの。」
「えっとね、中学からの子で、たしか山口リエちゃんだよ。そうそう、その子の名前の漢字がね、梨の“リ”に、愛の“エ”で梨愛ちゃんっていうの。可愛いよね。」
「あら、そうなの。なんだか今時な名前ね。そういえばだけど、楓ちゃん最近誰と仲良くしてるの。小学校の時よく遊んでた、絢佳ちゃんとはクラス同じ?」
この調子で色々聞ければラッキー、と美理子は考えていたが、反抗期の娘はそう簡単には攻略できないのだ。
「あっ今はね茉里(マリ)とかと…。やっぱなんでもない。お母さんには言わない。絢佳(アヤカ)とは同じクラスだよ。」
と言ったきり、再びスマホに目を戻してしまった。
うーん、難しい。最近の女の子は親に色々と話すのは、恥ずかしいことだとでも思っているのだろうか。いや、私も中高生の頃はそうだったのかもしれない。などと美理子が紬の学校での話を聞きながら、頭の片隅で思考を巡らせているうちに家に着いてしまった。

美理子は娘たちを先に降ろし、車を車庫にしまった両頬をパチっと叩いた。
大丈夫、反抗期は成長の証!育ってくれて嬉しいもんね!!自分に暗示をかけながら玄関へ向かう。それにしても息子はどこで何をしているのだか。子供たちに関する悩みは尽きないものだ。

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