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[ep,2]二次試験の話(共テ〜前期 受験鬱の話)

志望校へ挑むための共テの点数は少し足りず、担任からは、難しいから志望校を下げた方がいいと言われた。自己最高得点を取ったのに足りなかったのがとても悔しかった。それから安全圏の大学に行くか、志望校にチャレンジするかでとても迷った。因みに志望校のリサーチはD判定。募集人数の中に入っていたが、関西にある難関校で、きっと頭のいい人達が流れてくるのだろう。母とも友人とも相談した。私が学校にいる時に、母から長文のLINEが届いた。私が後悔しない選択をしてほしい。先生の言葉も大事だけど、決めるのは自分。今は苦しいけど後で必ず自分の強さに繋がる。といったものだった。

そうだ、私は元々関西に行きたかったのだ。地元の大学に行くなんて妥協でしかなかった。もしその大学に受かっても心の底から喜べる自信がなかったし、受けずに後悔するより全力で志望校に挑む方が後悔しない。そう思い私はD判定だった志望校に挑むことにした。
過去問は難しかったが、志望する大学だからか不思議と集中出来たし、点数が取れなくても、不思議と大丈夫だと思えていた。

前期の1週間前。私立の滑り止めを確保し少し気持ちが軽くなっていた頃に急に勉強が出来なくなった。
気が付かなかったが、勉強の追い込みのせいだろうか、受験鬱になってしまった。机に向かうも手が動かない。どうして勉強出来ないのかと涙が止まらない。1週間前に何をしている。こんな自分に腹が立ちずっと泣いていた。はっきりとした原因はわからなかった。前期までの辛い追い込みが予想以上に長かったことや、私立の友達が遊んでいて辛かったことも原因かもしれない。
その日から4日程は、寝る、食べる、泣くしか出来なかった。ただ怠けているだけだと思われるだろう。自分でもそうかと思ったが、気を緩ませればすぐに泣いてしまって自分ではどうしようも出来なかったのだ。友達と連絡をとることも気が引けてスマホはずっと電源を切ったままだった。家族や友達の言葉に支えられ、勉強に復活出来た時にはもう前期まで3日。この頃も以前のようにひたすら机に向かうことが出来ず、無音が寂しくてラジオを聞いたり応援ソングを永遠にリピートしたりしていた。
大学受験ってこんな辛いのか。いや、私が弱いだけか。早く終わってほしい、辛いだけ。
こんなことをずっと考えながら前期試験の日を迎えることとなる。

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