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廃屋の音色 ["Old Friends New Friends" - Nils Frahm]

かつて私が「ヴォーカルの伴奏」に従事していた頃は、日本の端から端、そしてL.A.やN.Y. ~ 一度だけベトナムを含む海外の多くの演奏旅行に恵まれた。だが一方で、その度に現地や現場の楽器には悩まされ、調律時に鍵盤をやたら重く設定してあるピアノにも度々遭遇したものだった。
中でも印象的だったのは、到着してみたら「楽器が無かった」沖縄の現場だった(笑)。

ピアニストがピアノごと現場まで持って来るものだと主催者は完全に勘違いしており、空港から車で30分走行して現地に着いたらすかさず、ヴォーカルマイクとかすかな照明だけがセッティングされた小部屋に通された。
「あの、ピアノはどれになるでしょうか?」と思わず質問すると、「えっとご持参されるんですよね?」と返された。

私は大道具さんじゃないですよ‥。
暫しの沈黙‥。

結局この仕事をどう切り抜けたかと思い出す度に今でも肩が凝る。
そう、近くの小学校から足踏み式のオルガンを借りて来て、それでソロ曲を弾けだカンツォーネを弾けだ、挙げ句の果てには「川の流れのように」の伴奏までやらされ、喧々諤々になりながら私はそのイベントの打ち上げを欠席した。
流石に気前よく「お疲れさまー!🍻」等とビールで乾杯出来る気分ではなかったし、出来れば出演料を10倍に上げて欲しかった(笑)。

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或るシャンソン歌手と大分県の宝珠山近くの小学校の理科室で小さなコンサートに呼ばれた時の話しだが、楽屋で私は高熱を出した。

意外に九州は暖かい‥ と思われているようだが、特に福岡や大分の山沿い等で雪に見舞われるとほぼ極寒の地と化す。
前日に一応現場の気温を調べて行ったが、いざ現地に到着してみるといきなり雪が降り始め、やがてコンサートが開始する18時頃になるまでに大雪に変わり、現地に手慣れた観客の中にも大勢遅れて到着する人たちが現れた。

私たちは広い図工室を楽屋としてあてがわれ、-3℃のその部屋には小さな石油ストーブ以外の暖房器具がなかった。
余りの寒さで気が遠くなりそうな中、ようやく防災用の毛布と体育館で使用する一枚のマットが到着した頃には、私は酷い悪寒で木材質の椅子の上で足と背中をガタガタ震わせながらうずくまっていた。

お粥と田舎汁が出され、何とか震えながらそれを胃袋に放り込んだ。持参していた風邪薬と熱冷ましも、殆ど役に立たなくなっていたが、そのまま本番へ。
兎に角全身が震えていると言うのに、どういうわけか地元のお酒の熱燗が振る舞われ、それも殆ど役に立たないまま私の震えが段々過熱し、演奏の合間にそれが打楽器みたいに大きな音を立てて‥、それを見た観客たちに笑いが起きた。

(中略)‥‥‥

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この話しをする為にこの記事を書き始めたわけではなくて、最近アンビエント系ピアノの一部で流行っている「壊れたピアノ」で演奏しているようなピアノ曲が流行っている‥ と言う話しの導入が長くなってしまった(笑)。
恐らくピアノをこういう感じで加工すると、もうそれだけで音楽になる‥ と思い込んでいるアンビエント・ピアノ系のアーティストが多いのだろう。だが、それは単に音質の奇をてらった域を出ないので、音楽や作品としては完成することがない。

ジャズでもクラシックでもないし、かと言ってアンビエント・ミュージックとも異なる、例えれば「廃屋にふらりと現れた亡霊がうっかり演奏している」ような音楽とでも言えば良いだろうか。演奏している人が「幽霊」だから、その気になって聴く人も居る‥ と言うような感じの、とても危うい音楽が最近流行っている。

一種の「再起不能なノスタルジー」をしみじみ味わいたい人によっては、この音色はツボかもしれない。だがそれは時折うんと田舎の料理がいきなり食べたくなる時の食欲に似て、お腹が一杯になった後には必要なくなる音楽だ。

そんな「再起不能なノスタルジー」にカテゴライズされそうな音楽の中にも時に良質なものがあり、それが Nils Frahm が2021年の冬にリリースした "Old Friends New Friends" と言うアルバムだった。


Nils Frahm (ニルス・フラーム) は、ベルリンを拠点とするドイツのミュージシャン、作曲家、レコードプロデューサーである。
彼はクラシックとエレクトロニックミュージックを組み合わせ、グランドピアノ、アップライトピアノ、ローランドジュノ-60、ローズピアノ、ドラムマシン、モーグベースをミックスするという型破りなアプローチで知られていまる。

(Wikipedia より)


John Cage
へのトリビュート曲4:33から始まるこのアルバムは全編に渡って虚無的なピアノの音色が主役であり、ミニマルともアンビエント・ミュージックともジャズともつかない、言うなれば全てが「幽霊が奏でる音楽」と言った方が適切と思えるぐらいに危うい。


ジョン・ミルトン・ケージ・ジュニアは、アメリカ合衆国の音楽家、作曲家、詩人、思想家、キノコ研究家。実験音楽家として、前衛芸術全体に影響を与えている。独特の音楽論や表現によって音楽の定義をひろげた。「沈黙」を含めたさまざまな素材を作品や演奏に用いており、代表的な作品に『4分33秒』がある。
 
(Wikipedia より)


因みに John Cage『4:33』については、以下の動画を参照頂きたい。特筆事項なし。


話しを Nils Frahm に戻そう。

アルバム "Old Friends New Friends" では大半の楽曲がマイナーコードを基本コードとして収録されており、全編が映画のサウンドトラックのように個性も普遍性も持たないSE(サウンドエフェクト)の要素を持つ楽曲で埋め尽くされている。
なので「音楽」として聴くにはどこか物足りなく、どうしても映像を想像するか意図的に別の映像を足して音楽を聴く‥ と言った「ながら聴き」の必要性に迫られる。

あくまで「壊れたピアノ」の音色に意識が集中し、そのサウンドエフェクトの方にリスナーの集中力を奪われる為、良くも悪くも「何度も聴ける」アルバムに仕上がっている。
だがそこはあくまで仮想空間。映画の中の廃屋のシーンに潜り込んでいることには変わりないので、一個のアルバムを存分に聴き込んで行ったと言うような充足感は得られない。
ただとてつもなく、際限のない寂しさだけが後に残る。これはおそらく「壊れたピアノ」の後遺症のようなものだろう。


「壊れたピアノ」ではないが、あえてアップライト・ピアノで楽曲配信を続けている別のアーティストにFKJ (French Kiwi Juice)」が居る。

フランスのキウイジュースまたは略語FKJとして専門的に知られているVincentFentonは、Toursのフランスのマルチ楽器奏者、歌手、ミュージシャンである。彼はソロライブパフォーマンスで知られており、Abletonを介してライブループを行う‥。

(Wikipedia より)


又日本国内で「壊れたピアノ」をモチーフにして楽曲配信を続けているアーティストとして、小瀬村昌橋本秀行 等が挙げられる。
興味のある人は是非、Spotifyなどで検索して聴いて下さい。

小瀬村昌のSpotify
橋本秀行のSpotify


個人的にはけっして好きなテイストではないのにも関わらず、何度も聴いてしまう音色は存在する。その一人が Nils Frahm だ。時折病的にハマってしまう辛い食べ物のように、満足感が得られないと分かっているのに足げく通う四川料理の店のようなものだろうか。

2020~2021年、多くの人々がこの世を後にした。彼等の多くはその最期すら看取られることなく、静かに人知れずあの世に旅立って行った。
その後悔の念は未だ、今もこの地上を彷徨い続けているのかもしれない。
だから私は、「廃屋の音色」に触れる時にはいつも以上に最大の防備で身を守りながら、なおかつ彼等に祈りを捧げるような気持ちでその音色に接することに決めている。

ふと気づいたら自分までもが「廃屋の一人」になっている、なんてことのないように‥。

📡 📡 📡

追記:
この記事を書きながら色々なものを検索している最中に、うっかりマツケンサンバⅡ 振り付け完全マニュアル 松平健編をクリックして観てしまった。これがいけなかった。
真面目な記事を書く時は絶対に、笑える動画を見つけても絶対にそのボタンをクリックしてはいけません。


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