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Medium Japanの撤収

ずっと予感はあったのだけど昨日遂に、Medium Japanが諸々の作業・営業を撤収する旨お知らせが公開された。

Medium Japan より大切なお知らせ

Mediumは私にとってとても居心地の好い場所であり、何よりテンプレートのレイアウトがとても気に入っていたので、告知についてはショックではあったものの「あヽその時が来たのね‥」と言う感覚で現在、Medium号を降りるタイミングを読んでいる段階だ。

ここ最近MediumのユーザーとコミュニケーションについてStoryが繋がっており、皆色々な意見が出される中で私の感性にしっくりぴったりと来る意見が一つもなかっただけに、Medium Japanからの告知はおそらくMediumユーザーのコミュ障が大きな要因だと私は見ている。

アウトプットはするが、人の書いたものにレスを返す気は毛頭ない。
自身の記事に人の関心を引きたいけれど、人の記事へのコメントを強要されたくはない。
・ハート(「いいね」のようなもの)を押す以外はなるべく、SNS内のユーザーとの言葉の関わりを回避したい。
等々。


思うにこれは一種のマウンティングであり、常に自身が徹底して他記事の傍観者で居ることにより外部ユーザーをジャッジメントする立場を死守したい‥ と言うような心境でSNSに参加している人たちは、意外に水面下では多いような気もするが。

SNSに対する価値観も様々であることについては別に異論はないが、一方的に自身への関心だけを引きたいユーザーを見ているとどこか、Twitterでの「相互フォロー」の弊害を彷彿とさせるものを感じてならない。

最近私は(マガジンAvec Le Tempsにも綴ったように)Twitterでは相互フォローを多用しているが、その中に多く見られるのは『相手が一時的に此方をフォローし、私がリフォローをする‥、数日後にそっと先方のフォローが外れている』と言う状況だ。
つまり自身が人気者であり多くのフォロワーに片思いをされている状況を意図的に作り出すユーザーが「相互フォロー」ユーザーの中に多く見られるが、それがどこかMediumの空気に通じているように感じてしまう。


昔からの私を知っている人は、「あヽ今回もそういう顛末になったのね」と思われるだろう。

最近Medium上で「コミュニケーション」に関するネタの記事が多すぎる‥ と言うご意見を他のユーザーからも寄せられていたのだが、私がいきなり早朝のカラスの如く嘴や羽根をバタバタさせてそれが止まらなくなる時は、その題材のトラブルが必ず後から表面化する。
今回はそれを避けたいと心の中では思っていたものの結果的にMedium Japanの撤収と言う事態が表面化したところを見ると、私の直感(トラブルの虫の声)はあながち外れてはいなかったのかもしれない。

Facebookの場合、TLに大量の広告が表示されるところを見るとマネタイズは上手く行っていそうだが、利用者としては兎に角広告が煩くて最近、特にスマートフォンからFacebookにインする気が失せている。

最も穏やかだったのは2011年辺りのFacebookだったかもしれない。
まだ日本人のユーザーが少なく日本語の表示もなかった頃の、Facebookのあの穏やかな時代が懐かしい。

ま、基本的に私はTwitterとFacebookのダブル使用をメインとしており、それは数年間ずっと変えていないので、Medium号へこれまで注いで来た時間を元のサイクルに戻すだけでこれまでと執筆のスタンスに大差はなさそうだが、どこか後ろ髪を引かれるこの気分は一体なんだろう‥。


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