リスロマンティックについてわたしはしらなければならない

小さい頃から、片思いをするキャラが好きだった。イケパラの中津とかゲゲゲの鬼太郎の猫娘とか花男の小栗旬とかシークレットガーデンのサンとか。中学生になっても銀魂の猿飛あやめが大好きだったし、スラムダンクの花道が大好きだったし、今になってもハーフオブイットのエリーが大好きだ。

性癖って言葉を知った時は、そうなのかと思った。よく分からないけどわたしは興奮しているんだろうと。

それは恋をしてみるまでの話だ。

中学生の時、田村くん(仮名)を好きになった。学級委員で成績が良くて誰にでも優しく、私が転んだ時手を差し伸べてくれたたった1人だった。助けてくれた時に好きになったんだと思う。でもその時には彼には小学生の頃から好きだった人がいた。みんなが知っていたし、わたしだって入学してすぐ知った。その気持ち悪さはさておいて、この時は私はまだ好きになった人が私のことを好きにはならないだろう状態だと知っていただけだった。私は気持ちが伝わるのが嫌で仕方なく、友達にも言わず話しかけることもせずに3年間を終えた。

自己肯定感のなさが原因だと思っていた。容姿も良くはないし、中身だって自信はない。そういう自分への嫌悪感が原因なんだろうなあと考えた。

たのしかった女子高時代を終え、大学生になった。新型コロナウイルスの蔓延により、ほとんど大学には行けなかったがわたしは必死にSNSでコミュニケーションを取ってクラスのLINEグループを作った。

基本は同性と仲良くなることが多かったが、たまに異性から連絡が来ることがあった。

何人かから、ご飯に行こうと言われた。

まあ、異性だからといって全員恋愛対象だと思って接していないだろうと思った。同性と話すのと変わらず楽しく接することが出来た。

そんな中、ある異性がよく誘ってくれるようになった。運動部に所属していて、やさしく、人の話を聞くのが上手だった。初めて会って、私が自分を卑下するようなことを言った時「そんなこと言わないで、悲しいから」と言ってくれた。

話すのも楽しかったし、わたしも少し異性として意識するようになり始めた。結構、会った回数は多かったと思う。

桜を見ている時手を繋がれた。

彼は緊張した面持ちだったし、手だってずっと不自然に動かしていたけど、恋愛経験がなさすぎて分からなかった。苦しかった。何が苦しいのかも言語化できないくらい、助けてくれと思った。好きだったのに。

わたしは苦笑いをしながら、そのまま歩いて解散した。それからは会っていない。

わたしはおかしいんだと思った。だってすぐ来るLINEにときめいたし、来るときだってわくわくしていた。彼の言葉を思い出してはバイトを頑張れた時だってある。楽しい思い出ばかりだ。桜のことは思い出したら、しにたくなった。

次にとった行動はマッチングアプリへの登録だった。偶然なのか確かめなくてはいけないと思ったから。おかしいと確定するには、数が少なすぎる。

10人には会ったと思う。

経験が少ないからすぐときめいて、3人には少なからず恋愛感情を抱いたと思う。時期は違えど6人とは順調に行って、試し行動を受けたり、手を繋がれたり、次には告白しますと言われたりした。

私は拒絶反応を起こした。

見るからに顔が凍った。嫌なところばかり見つけてしまうようになった。予防線を貼るようになった。LINEの返事が少し遅くなった。最悪すぎる。わたしは人の好意を弄んだのだ。自分のことが大嫌いになって、わたしはマッチングアプリを二度とやらないと決めた。多分わたしはやってはいけない。異性と出会ってはいけない。顔をおおったって自分が加害者側だということは変わらない。

ふと、この苦しさはインターネットに転がってないのかなと思った。私が特別な人間とは思えなかったから、知恵袋に同じ人がいれば許された気分になるかなと思った。

そこで出てきたのが「リスロマンティック」だ。

浅学から、誤解を招く恐れがあるため詳細は調べて欲しい。私の目に止まったのは「ぬいぐるみをとても愛している」という項目だった。理由はぬいぐるみには一方的な愛が成立するから。

小学生の時、友達は多かったが全てを吐き出せる存在は学校になかった。誰もいない帰り道の空想したアニメのキャラだった。ひとりで口パクで喋るふりをしていたし、抱きしめるフリもした。中学まで誕生日には毎年本かぬいぐるみだった。嫌なことも嬉しいことも家で一人の時ダッフィーに話しかけていた。大学生になってもしゃべるぬいぐるみをバイトして買った。名前をつけて毎日触っていた。もちろん気持ち悪がられることが怖くて、誰にも言っていない。でも、コロナ禍は大分それで救われた。

同性ですら、好きなアイドルのライブに行くのが泣きたくなるくらい怖かった。ライブというか、同じ空気を吸えるようなイベントが全て怖かった。なぜかは分からなかった。今推察すると、多分アイドルにファンサされる可能性も怖いくらい片思いがしたかったんだろうと思う。

今は3次元の人間を好きになることはなく頑張ってもVTuberまでしか好きにはなれない。彼女たちが好意的以上の感情をこちらに向けてくる可能性は本当にゼロだからだ。ゼロに近ければ近いほど、わたしは苦しくなく人を好きになれる。

これは、もしかしてわたしは本当にリスロマンティックなのかもしれないと思った。

1年黙っていた。誰にもいえなかった。LGBTQがどれだけ苦境の中戦っているか知っていたから、申し訳なくて泣きそうだったけど私もそこに加わる心の強さがなかった。

1年経って、軽く友達に話してみることにした。

「大丈夫だよ、いい人に出逢えば好きになるって!自然に!」

そう言われた。そうだよな、そう思うよなと思った。恋愛ドラマだったら、こういう主人公は最終的に素敵な異性とくっつくものだしなと。私が大好きな小説の中にだってそういう筋書きはあるし。

でも周りでそんな人見たことないよ。

大体の人が学生時代に報われる報われない関係なく、恋愛経験を持っていないか?恋愛相談、何にも理解できなかった。だって私の恋愛の気持ちややり方とあまりにも別物だから。恋愛ドラマも恋愛映画、恋愛が扱われる作品全部なにもわからない。わたしはときめいて、それで終わりだから。

友達に話すのはやめた。理解を求めれば、もしかしたらわかってもらえたのかもしれない。けれど、分かってもらうには自信もないし、何も知らなかった。まあこれは言い訳で「自然に!」と言われたことが、刺さって抜けなかっただけかもしれない。

蛙化現象はミュートワードにしている。

Twitterでかるく調べてみても、同じ症状の人は多くはないようだった。私とは違った解釈で# リスロマンティックとツイートしている人もいた。

別に苦しさを共有したいわけじゃなくて、どう生きているかを知りたいのだ。SNSに答えを求めるなんて愚かかもしれないけど、「結婚」を話題にされた時ほんとうに息が出来なくなるとか。仲のいい友達に久しぶりに恋人が出来た時の喉のつかえる感じとか。恋愛相談がまるで飲食店の経営の話と同じくらい分からないとか。例えば二次創作でリスロマンティックが版権キャラクターの萌え要素として消費されている時とか。同じような人と籍だけ入れて身内には結婚したことにしたいと友達に言った時の、引いている顔とか。LGBTQの方のショーを見て、アクターの方とお話した時に悩んでいたのに自分のことは一言も言えないで帰ってきたときとか。どんどん増えていくぬいぐるみの虚しさとか。

わたしのキャパシティは狭く、考えても身体は上手く動かない。

本当は同性が好きなのかなとかわたしはただ魅力がないだけで言い訳なんだとかいろいろなことを思う。

私には生きづらい要素がいくつかあるけど、性別がイコールで生きづらさになってしまうとは思わなかった。結構衝撃だった。まさか当事者になるなんてと思ったから。なってはじめて、性のあり方を人が萌とか感動とか悲劇とかで片付けるのって確実に人の心の柔らかいところをナイフで刺していると思った。人によっては生きるのをやめてしまうと、比喩じゃなくわかったのだ。だってそれは生き方だから。男だからこう生きる,女だからこう生きると無意識のうちに決めているものを生き方と呼ぶならおなじだろうと思う。

これは人には人の地獄があって、わたしの地獄の一部はこんな感じですよという話だ。

同じ地獄かその周辺で苦しむ人にひとりじゃないよと言いたくてこれを書きました。そして、ちゃんと調べろよという自分への叱咤激励のつもりです。

この世の全ての人が、自分の性別を呪う日が来ませんように。

追記 楽なのでTwitterから始めましたが、やめた方がいいです。多分絶望する。

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