ラグランジュポイントの煙突

『ラグランジュポイントの煙突』/ #パルプアドベントカレンダー2019

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「エントツと、ダンロがほしい」
 ボルクは絵本を胸に抱き、父親の顔をまっすぐ見上げた。マートはその言葉を黙って受け止め、小さく頷いてから再びカップを口元に運ぶ。その間、ボルクは一切動かずにマートを見上げている。ぼさぼさの赤毛、その一本ですら停止しているかのようだ。
「ボルク。なぜ煙突と暖炉なんだ?」
「ダメなの?」
 4歳の少年は小さな手でぎしりと絵本を掴む。ハードカバーは歪まず、小さな手が白く変色した。マートはすぐさまカップを置いて椅子を降り、息子の前に膝まづく。
「ボルク、暖炉はね。とっても古い暖房なんだ。いまの時代にはぜんぜん」
「なんでも良いって言った」
 ボルクの視線は動かない。ただ真っ直ぐにマートの目を見続けている。2対の灰色の瞳が向かい合う。先にそれを逸したのはマートの方だった。
 視線は絵本に向いている。先日古物市で父が息子に買ってやったそれは、赤と白が目立つ本。表紙には、屋根の上から煙突に入ろうとするサンタクロースが描かれていた。
「ああ。そうだとも。父さんは約束した」
「じゃあ、くれるの?!」
「待ってくれボルク。父さんは努力する。でもね」
「エントツ!ダンロ!」
 ボルクは途端に笑顔になり、絵本を掲げて走り出した。床から壁へ。壁から天井へ。最後は丸みを帯びた窓へ。窓の外には青く輝く地球が静かに廻っていた。

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 サイバーグラスの内側でいくつものカタログが通り過ぎていく。キリスト教徒向けの室内飾りが飛ぶようにマートの目の前を回る。だがそこにはイエスやマリア等ばかりで、サンタクロースが入るような煙突も暖炉もない。検索をかけたウィンドウはどれも『該当なし』とだけ表示されていた。
「珍しい。サボりかい」
 スパロウはマートの頭からグラスを外す。マートはばちばちと目を瞬かせ、頭を左右にふり、南国育ちの陽気な同僚を見返した。
「申し訳ない。難題が持ち上がってね」
「さらに珍しい。問題は出る前に叩いて潰してるじゃんか」
「息子だ」
「ああ。潰すわけないわな。むしろ頭の上に置いて自分が潰れる」
「実際、潰れそうなほどだ」
「…ほんとに珍しいな」
 マートは勢いよく立ち上がり、社屋の窓から外を見下ろした。足元からゆるやかにうごめくリニアラインが伸び、彼方の軌道都市構造へ続いていく。地球に垂らされた釣り針のような軌道クレーンが陽光をあびて輝いていた。
「娘さん、今年のクリスマスは?」
「ボートが欲しいって。だから早速用意したよ。ボトル入りのやつ」
 スパロウの腕端末から投影されたのはガラス瓶入りの木造船。宇宙に出せば前に進まないどころか、構成要素の木材が瞬間冷凍されてひしゃげることだろう。得意げに微笑むスパロウの顔に向かってマートは変わらぬ無表情を投げた。
「……泣くのでは?」
「前にも言ったろ。ウチの家訓は『欲しいものは自分で買え』だ」
「資本主義本位はほどほどに」
 横合いから女性が進み出る。いつからか部屋に居たアリアが、腕組みして同僚と夫を眺めていた。
「将来守銭奴になっても知らないわよ」
「そこは平気。家訓その2。『ルールとは破るためにある』」
 マートはかすかに眉をひそめて妻を見つめた。アリアは2,3言スパロウと談笑すると、なにかを見つけたように天井を指差し、その指をそのままマートへ突きつけた。
「中央局へ打ち合わせに行くの。付き合って」
「わかった」
 同僚からの要請を、マートはすぐさま引き受ける。スパロウはそれを見て小さく肩をすくめた。

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「へぇ。それで1週間もあんな顔してたんだ」
 太陽風で微かにしなるリニアラインを二人の車は走り抜けていく。宇宙高速道と車のシールドに低減された太陽光が、ハンドルを握るマートの太い腕を照らした。
「”火山噴火ボルク”は久しぶりだった」
「噴火の頻度がずいぶん長くなったわよね。嬉しいやら寂しいやら」
「だが彼の中ではもう決まってる。クリスマスにはうちに暖炉と煙突が無くちゃいけない」
 アリアは逆光の中にいる夫の横顔を眺めながら指を組み、くるくると指先同士を舞わせた。
「じゃあ、用意すればいいじゃない」
「簡単に言わないでくれ」
「難しく考えるんじゃないわよ。風船やプリンターメイドでいいじゃない」
「ボルクは本物を欲しがってるんだ。君だってわかってるはずだ」
 言いながらマートは軌道クレーンの遥か下方、地球の地表を見つめている。何かを探すように、白い雲の縁を目で追っていた。
 アリアはため息をついて同僚の肩をつついた。
「それだとしても、問題はないでしょ」
 強く断定するその言葉に、マートは思わず視線を妻へ向ける。社内空調の風がアリアの濡羽色の黒髪を小さくなびかせていた。
「貴方の腕なら、本物の暖炉と煙突くらいわけないでしょうに」
「…ぼくは職人じゃない」
「でもやり方は知ってる」
 アリアは鼻で笑って腕の端末を撫で、仕事の資料を社内へ広げた。
「豪華なお墓に入るために貯金してるんじゃないでしょ?私達」
 少しの間、妻の笑顔の横顔を眺めてから、マートは視線を前に戻した。
「手伝ってくれるか?」
「息子と相棒のためなら、いくらでも」
「ありがとう。やはり相談して正解だった」
「もう少し早ければ、よりよかったわね」
「その通りだ。以後気をつける」
 同僚の言葉を聞いてアリアはおおきなため息をついた。

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 ボルクはアリアと玄関に立ち、大きな瞳で父を見上げた。じっとしていられない様子で、左右に揺れたり小さく飛び跳ねたりを繰り返しながら。
「がんばってね父さん」
「ああ」
 マートは青い顔をしながらも小さく微笑えんで手を振り、アリアへ会釈して見送った。二人が閉まるドアの向うに消えると、深呼吸して雑然とした室内を見渡し、作業手袋をはめた。

 居室の宇宙側外壁にエアロックを設ける例がある。ステーション近傍用サーフボードへの移乗口だ。しかし設置は容易でなく、2ヶ月に渡る審査が必要だ。マートが違法手段を用いない限りクリスマスには間に合わない。
 だが抜け道が存在する。厳しい制限はあるものの、臨時作業用であれば申請を1ヶ月程度に短縮できる。頑丈な居室の外壁ではなく、ジェル充填式の居室窓を貫通させる避難・救助用エアロックならば。

 マートは仕事後に会社の施設を借用し、購入したエアロックをレンガ模様に塗装し終えていた。併せて書類の作成も行い、管理局の検査も受け(検査官は利用目的を聞き大いに笑った)審査の通過は遅くとも12月21日。マートは慎重に余裕を見ていた。

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 荷物によって床の見えなくなった寝室の中、マートはベッドの上に倒れこんだ。部屋のドアからまっさらなダイニングキッチンが見えている。
 日付が変わってようやく終わった片づけにより、ダイニングは入居当初の状態に戻っていた。キッチンだけは物が溢れているが、シャッターを閉鎖すれば隔離が可能のため放って置かれている。あとはダイニングの大窓に内側からエアロックを取り付ければいい。
 腹が鳴る音が部屋に響く。マートは寝転がったままびくともしない。空腹を知らせる音が不規則に続く。
 やがて全身をひきずるように起き上がったマートは、荷物の積みあがった室内を見渡した。妻はおろか息子すらいない部屋。

「これでいいか…」

 呟いて、ベッドのそばに投げ込んだ雑貨の山から、ビスケットと発泡酒缶を引っ張り出す。缶のラベルを見て顔をしかめた。数秒、缶と睨みあったのちにプルタブへ指をかけた。
 咀嚼と嚥下の音が壁の吸音材に吸い込まれ、消えていった。

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 翌朝、マートは青白い顔で配達員を見送った。分割して届けられたエアロックをふらつきながら室内に運び込み、ホログラフ説明書を睨みつけながら組立てていく。
 手元が怪しい。マートは目を細め、眉間に皺を寄せ、口元をきつく結んだままだ。ときおりしゃっくりのように背中が震えた。
 昼頃に組み立てが終わった。レンガ色のエアロックチューブはあちこちぶつけられ、塗料がはげている。マートは仕上がりの確認もそこそこにキッチンへ向かう。シンクを通り過ぎて壁際のパネルを開き、キッチンの隔壁閉鎖準備が完了したことを管理局に通知した。事前提出した計画工程表通りの時間だった。
 急いでキッチンからダイニングへ出ると、天井から半透明の隔壁がおりてきた。横目でそれを確認し、床に打ち捨てていた宇宙服を装着する。

 隔壁遮断を待って室内全てのドアを機密ロックし減圧。数秒で室内は宇宙となる。遠心力だけは切りようがないため、マートは苦労してエアロックチューブを持ち上げた。
 窓にチューブ端を押し付けて起動キーを押すと、救助用機構がチューブを窓の樹脂内に潜り込ませていく。透明な樹脂窓が歪み、地球の姿がぐにゃりとたわんだ。
 数分ほどでチューブは樹脂窓を貫通し、宇宙にその一端を晒す。レンガ模様のその筒は横倒しになっているが、確かに絵本の中の煙突に見えた。マートは小さく頷き、端末でシステムチェックを行う。窓、チューブ双方の密閉は問題なかった。続けてエアロック試験のため、マートは窓から斜めに突き出たチューブの端へ向かう。

 端末操作で室内側ハッチを開き、筒の中へもぐり込んだ。筒の内側には黒く細い管が配置されている。マートが会社から失敬してきた排水管チューブだ。宇宙側ハッチを開けて起動すれば、水道水をダイアモンドダストに変えて、煙のように宇宙へ噴出させることだろう。夜を徹してマートが用意した息子へのサプライズだった。
 マートは宇宙側ハッチに手をかける。室内側ハッチおよびスーツに問題なし。管理局へ連絡し、宇宙への戸口を空けた。

 その時、端末が黒いチューブに触れた。チューブは保護テープを巻かれておらず、その素地が端末の触覚に反応してマートの予期しないスイッチを入れた。

 チューブから白煙が迸り出た。微小な氷の粒子がマートの視界を覆う。驚いたマートは本能の反応から、咄嗟に地を蹴った。
 マートの体がエアロックを離れた。居住区の回転体から与えられた運動エネルギーがマートの体を進ませる。ヘルメットを真っ白にしながら、マートは自分が置かれた立場を理解した。
 理解はしたが判断は不可能だった。連日の深夜作業と成れないアルコールが体力と思考力を奪っている。それがスーツスラスター操作を誤らせた。

 ぐんとマートは加速した。何も無い暗い宇宙のほうへ。

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「おかえり父さん!」

 ボルクが、ふらふらと進み出たマートの足に抱きついた。朗らかな笑顔に釣られ、父も思わず微笑み返した。
 あとからアリアが駆け寄り、マートの肩をつかむ。目じりを震わせ、しかし強く笑っていた。
「じゃ、確かに預けたぞ」
「ありがとうスパロウ」
「いいってこと」
 手を振りながらスパロウは事後処理のために中央局舎へ入っていった。

 マートはステーション外周を覆うダストキャッチャーネットに引っかかっているところを同僚に救助された。不注意による1時間程度の宇宙漂流で、彼は会社から厳重注意と反省文の提出を命じられた。その命令書を夫に渡しながら、アリアは彼を抱いて車へ連れて行く。

 寄りそう夫妻の周りをボルクは駆け回り、笑っていた。
 マートが不思議そうにわが子を見下ろしていると、ボルクは待ち構えていたように父を指差した。
「父さんエントツにもぐってきたんでしょ!」
 マートは思わず立ち止まり、アリアの顔を見る。数瞬見つめあった後、アリアは噴出した。
「そうね、間違いないわ。だってお顔も服もススだらけだものね!」
 マートは自らを見下ろす。
 掃除と塗装と仕事で数日間着替えていないその体は、ホコリと塗料で汚れきっていた。まるで煙突掃除でもしていたかのように。
「ぼくもエントツはいりたい!」
「ああ……ああだが、すまない。まだ暖炉が……」
「エントツ!はいりたい!」
「わたしも!」
「君まで……」

【FIN】

あとがき

冬至のお祭りへようこそ。
これから日に日に伸びていく日中時間に乾杯。

本作は桃之字さん企画の『パルプアドベントカレンダー2019』第5作目として作成いたしました。お楽しみ頂けたならば幸いです。

桃さんの声かけをツイッターで目にし(仕事中)
3秒、逡巡し(仕事中)
参加を決めました。タイトルも決めました(仕事中)

テーマはやはりクリスマス。
最初は冬至を司る日本の古神を祭る神社の上に建てられた教会で、クリスマスにかこつけて非道を働く若者をKUMOTUに捧げる神父兼神主の話を書こうと思ったのですが

「エンタメじゃ無えな?あとカミ様少女ぽいな?」

となってホームコメディに改めました。
三宅さんジョンさんの作品読了後現在は
『がんばれニコラス雪降り道中~地表6千メートル煙突垂直登坂~』
にすればよかったと思っています。

本作の字数は目標4000字。完了時は4700字超。
とんでもない字数オーバーでした。長!

本企画も今日で折り返しであと4日間となりますが、飛び入り含めてめっちゃ楽しみにしております。こんなクリスマスの楽しみ方は初めてだぁ。

それでは良いお年を!

明日は居石さんです。

次回、#パルプアドベントカレンダー2019
『最期のクリスマスまで、あと』

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