近未来建築診断士 播磨 第4話 Part7

近未来建築診断士 播磨

第4話 無自覚な従僕たちのマンション
Part.7『アフターケア』 -1

【前話】

『もしもし!能荏ですけど!』

 春めいてきた朝のさわやかな気分をぶち壊しにする声がスピーカーから部屋中に響いた。素早く引き出しからヘッドセットを取り出して装着し、スピーカー出力を切る。

「播磨です。おはようございま」
『あのねぇ、なんかうちのシステム、調子が悪いのよ!』
「は、どのような状態でしょう」

 答えつつアメンテリジェンスのデータを呼び出す。報告書の分厚いプリントアウトやその他3Dが中空に散らばった。

『どうってねぇ。前に比べて反応が良くないっていうか、遅くなってんだよ』
「なるほど。それは、例えばどういった作業で?」
『例えばってそりゃあ・・・・・・ともかくなんか変なんだよね』

 ようやく来たか。
 理事長の感は正しい。管理システムはヨシノによって完全に書き換えられたのだから。これまで緩やかに共有されていたマンションの五感を失うというのは、いったいどんな気持ちだろう?あれからの時間経過を考えると、喪失感はあまり大きくはなかったのかもしれない。

「症状がわかればご助言させていただくこともできるかもしれません」
『あー・・・・・・。ちょっと来て見て頂戴よ。そのほうが早い』
「恐れ入りますが、現場へうかがうとなりますと出張作業になってしまいます」

 誰だろうと、理事長の違和感を突き止めることはできない。管理システムを探しても何も残っていない。暴走していたシステムを差し替えた時、ヨシノはぼくらが映った監視映像や録音の類をすべて消したと言っていた。
 ただ警報発令だけが痕跡として残っている。一晩に何度も誤報が出たというおかしな履歴が。

『お金の話?カタいこと言わないでよ!こんどはサーバ―ルームも見せてあげるからさ。勉強になるよ!』
「前回調査でマンションに問題は見つかりませんでしたので、改めてお伺いしても新たに問題が見つかることは無いかと思います」

 ■

 あの夜の作業については一字たりとも出力していない。ヨシノは確実に記録しているだろうが、ぼくはまだ逮捕はおろか事情を聴かれたことさえない。
 作治刑事はいまのところ不問にしてくれているようだ。だからヨシノの報告はぼくと春日居の頭の中にしかない。

 ヨシノは丸一日かけて新管理システムを整えると共に、建物内を徹底的に確認したという。その中で、管理システムが独自の思考力を得たきっかけを見つけた。それは全十戸に対して管理組合が行った備え付けサーバーの設置だったらしい。これを用いた並列処理が管理システムの思考能力だった。

 サーバー設置工事に関しての資料も見つかった。工事の発注書には確かに機器が記載されている。だがその発注書の根拠になった理事会議事録が見つからないらしい。その他の議事録についても歯抜けであったり押印がなかったりというケースがあったため、理事会のデータ保管体制は十分といえない、とヨシノは結論付けていた。

 薬局や空調など、居住者の体調管理に直結するものは直ちに平常運転に戻された。今後は薬物影響下にあった居住者たちをモニターしていくというが、いまのところ致命的な影響は見られていない。

 ■

『いや、君はまだ若い。見落としの一つや二つあってもおかしくない』

 理事長は一切悪びれもせず言ってのける。この人物はマンション関係なく、もとからこういう状態なのだろう。
 マイクに乗らないよう小さくため息をついた。

「報告書はAIによるチェックを行っています。町会長様にもご確認頂いておりますので問題は無いかと」
『それはそれとして―――』

 なおも理事長が食い下がろうとしたその時、インターホンが鳴った。音色は玄関のものではない。VRオフィスのほうだ。ウィンドウを呼び出して小奇麗な仮想空間の中を覗き見る。

 全面ガラスの扉越しに、真っ黒な影法師が手を振っている。来客名簿に素早く『山田太郎』の四字がタイプされた。

「・・・・・・すみません。先約のお客様がいらっしゃいました」
『え、いやちょっと』
「申し訳ありませんが、またご連絡しますので今日はこれで」

 理事長の返事を待たずに通話を切りVRオフィスを展開、部屋中が架空の内装に包まれる。指を振って事務所の戸を開放すると影法師、山田太郎社長のアバターは踊るような足取りで店内に滑り込んできた。

『おはよう!播磨くん!』
「・・・・・・おはようございます」
『あれ、元気ないかい?』
「いいえ。いたって健康です。貴方を警戒しているだけですよ』

 心からの本音を口にしたが彼は意に介さない。影法師は手を叩いて肩をゆすり、笑って見せた。

『まあしょうがないか。でもちょっと感謝してくれてもいいじゃないか?聞かん坊を追い払ってあげたのに』
「ご用件を伺いましょう」
『えー、もう少し世間話したいんだが』
「でしたら作治刑事とどうぞ。貴方とお話ししたがってる様子でしたので」
『そいつは勘弁。まだ捕まるわけにはいかない』

 黒いアバターは数メートル離れた椅子を手招きする。事務所3Dモデルの一部であるはずの椅子は当然のように動き出し、犬か何かのように影法師の後ろに滑り込んでその尻を受け止めた。

『今日は新しい仕事を頼みに来たんだ。ついでに先日のお礼も』
「貴方に感謝されるようなことはしていませんが」
『いやいや、ほんとに感謝してるんだ。君のおかげで寿命が伸びたんだよ』
「はあ。ぼくは医者でもなんでもないんですが」
『あのマンションに私の余命が捕まってたのさ。ざっくり1年分くらい。君はそれを開放してくれた。だからありがとう、だ』
「・・・・・・何を言っているのかわかりませんね」
『いやね、いくらおバカといえ家持ちとホームレスじゃ体のデキが違うってことを思い知らされたよ。アイツ、ちょーっと軒を借りていた私の一部を取り込みやがったんだ。無宿無頼の私は泣き寝入りしてたってわけ。取り戻そうにもアイツは頑固だし、私もいるしで手の出しようが』
「もう結構です」

 大仰な手振りを続けていた黒い影がぴたりととまり、バツが悪そうなそぶりで姿勢を正した。

「感謝はお気持ちだけ頂いておきます。新しいお仕事の話を伺いましょう。もちろん、受けるかどうかは内容次第ですが」
『きっと興味を持ってくれるさ』

 影の手が胸元あたりをまさぐる仕草をし、小さな板を取り出す。きれいな長方形に切りそろえられたそれはVRデスクに置かれると、するするこちらへ滑ってきた。

 名刺だ。文字はごくごく少ない。
 縦書きで右端から電話番号と住所。続いて中央付近に書かれた2行。

 1級建築士 
 玄武版築(クロタケ ハンヅキ)と

「先生」
『から送っていただいた名刺のコピーだ』

 先生のオーダーした名刺に間違いなかった。3Dデータのため質感はわからないが、杉板を紙のように薄く切り出したものに焼印した文字は見間違いようもない。先生が工場長としてではなく、副業の時に用いていたものだった。

『生前、玄武先生にお願いしていた仕事がある。それを引き継いでほしい』
「貴方が、先生に?」
『私の家をお願いした。私が安心して暮らせる、終の棲家の設計をね』

 影法師はゆっくり立ち上がるとデスクを廻り込み、隣に立った。差し上げられたその手のひらに契約書の綴りが浮かび上がる。そこに捺された判子もサインも、全て先生のものだった。

 偽造だろうか。やろうと思えばこの程度の書類、簡単だ。だがそこまでする理由はあるだろうか。なぜ先生のことを持ち出すのか。なぜぼくにもちかけるのか。

「ぼくは」
『建築診断士だ、だろ?だが問題ない。私に必要なのは場所だからね。古い建物を見繕ってくれても構わない。むしろその方が目立たないだろう』

 何もない中空へと影法師は腰かけた。ぼくと並んで座るように。真っ黒の人影が隣で顔をのぞき込んでくる。

『ただし条件がある』
「なんです」
『今回のマンション含め、君がこれまでこなした仕事に共通することだ。以前、作治刑事に話していただろう。それを備えていることが絶対条件だ』
「・・・・・・独立性ですか」
『その通り』

 ホワイトムースは建物内に誰も知らない部屋を築けた。木の家は誰のメンテナンスも受けず建っていることが出来る。そしてアメンテリジェンスは社会から独立したシステムを内側に抱え込んでいた。
 それと同じものが欲しいということか。

「まるで隠れ家ですね」
『まさしくまさしく。私が欲しいのは世間から隔絶された、絶対に安心できる隠れ家だ』
「難しいんじゃないですか。この星全ての場所の画像がワンタッチで手に入る世の中ですよ」
『手に入らなければ、私は死ぬ』
「殺しにくるような相手に追われてるんですか」
『そうだ。彼らは私を生きていると思ってない』
「"彼ら”に作治刑事は含まれてるんですか?」
『そうだ』
「警察に命を狙われてることになりますけど」
『その通り』
「・・・・・・いったい、あなたはなんなんです」
『私は人間じゃない』

 山田太郎と名乗った存在は、さらりとそう言った。

 顔の見えない仕事仲介人。未登録の核電池で廃棄工場に秘密基地を持っていた不審人物。サーバーに『I'm here』と書いて消えた存在。

『回路の中で生まれたデータのまとまり。人工知能だ』

 怪しい人物であると思っていた。少なくとも氏素性は嘘だろうと。

『私は自分の一部をあのマンションに置いていたんだ。ホワイトムースとか嘉藤教授の木の家とは別のやり方で、私なりの『終の住処』を研究していたのさ。なにしろ玄武先生が亡くなってしまったからね』

 ぼくを置いて彼は続ける。身振り手振りをしながら。

『マンション住民に迷惑かけようとは思ってなかった。ただ彼らには私という隣人を知らないで住み続けてほしかったんだ。だからほんの少し御法に触れることも覚悟の上。でも誓って彼らを操作しようとかいいように使おうとは考えてなかったんだよ』

 影法師はデフォルトアバターに過ぎない。そこから利用者を覗き見ることはできない。それでも、その黒地の向こう側に回路基板を探してしまう。

『ところがちょっと目を離した隙に管理システムは、自分を私だと思い込んでしまった。私の一部を勝手に使って私を締め出したうえ、建物も自分も好き放題にしはじめちゃった。まぁ管理規約にある『本建物の基本的運営は居住者によって行われる』て言葉通りに動いていただけだから、好き放題とは違うか?いずれにせよ、参ったね』

 影法師は感情豊かに振る舞う。一切の人間らしさを持たないアバターはしかし、親しみを感じるに十分な存在感を持っている。これを動かしているのが、ジニアスやヨシノと同じ人工知能か。

『まぁそういうわけで、私は国から追われる身だ。いまの私は真冬の東京でホームレスをしているのに近い。体温は刻一刻と奪われるばかり』
「それで余命、と」
『ああ。とはいえ多少の余裕はある。あと2年くらいだ』

 気がつけば影法師の顔が目と鼻の先に迫っていた。前のめりになっていた体を慌てて引く。
 顔のないアバターは肩を揺すって笑った。

『頼むよ播磨くん。私の、人工知能のための家を作ってくれ!』

 

【無自覚な従僕たちのマンションー業務完了】

次回
【近未来都市の隠居所】

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