ヒップなDJは性の解放を叫ぶ?

DJ SODAの騒動を簡潔にまとめると

今この瞬間に記事を読んでいる読者はDJ SODAの騒動についていわれなくてもわかるでしょうが、特筆性に値しない人物と事象ではあるがゆえに時間を置いて読んだ読者には何のことかわからない、となるでしょう。

そこでそうした読者のために大雑把に騒動の全体像をまとめると、2023年8月13日に大阪で開催されたMUSIC CIRCUS'23という音楽フェスティバルで、DJ SODAという韓国のアーティストが出演中に観客に胸を触られたということで、これをSNS上で告発し話題となったわけですが、これに対して様々な声が飛び交うことになり、中には被害者に対する誹謗中傷もみられたようですが、加害者が出頭直前にYouTubeに出演して犯行を自白するなど、おや? と思わせるような行動に出ていたことが知れるや、一転して加害者が悪いという世論が優勢になった、という流れです。

様々な声の中でも最初に取り上げられたのがGACKTであり、彼が被害者を擁護するようなコメントを残したことも、騒動に火を点けた一因とはなったでしょう。

というのも、近年のGACKTは精神的に不安定とされることから以前にも増して謎めいた存在となっており、関連して様々な噂が語られていることから世評は極めて悪く、復帰して間もなくこのようなまっとうなコメントをしたことがかえって世間の神経を逆なでした、という部分があったようです。

実際にGACKTのような被害者を擁護する意見のほうがある意味で少数派ではあったようであり、『猫の恩返し』の監督として知られる森田宏幸は被害者に対して「公開型のつつもたせ」と揶揄したようであり、おおむね森田氏の発言は人々の本音を代弁したものと考えて間違いはないでしょう(それを言ってしまうことの是非は別として)。

冷静になって考えてみればGACKTも森田監督もコメンテーターでもなんでもないわけであって、とりわけ森田監督など騒動以前には存在すら知りませんでしたから、いかにも一億総コメンテーターといわれる時代らしい出来事であるとはいえるでしょう。

ちなみに、GACKTは以前に自伝で韓国人の女性と結婚していたことがあるなどと発言していたので(彼のいうことなので真偽は不明ですが)、そういったこともあって今回の騒動に言及したのでしょうか。

DJ SODAそのものは日本版のWikipediaにおいても騒動をうけて急遽項目として追加されたほどなので特筆性に値しない人物であることは自明なのですが、この手の女性の露出をめぐる議論というものはある種永続性のあるネタだとは思うので、今回取り上げた次第です。

以下に書き手の考察を加えます。

人間の文明化を象徴する着衣

この議論をするためには太古の昔、アダムとイヴの時代に話を戻す必要があるでしょう。

聖書の『創世記』においてはアダムとイヴは楽園になる禁断の果実を食べてしまい、これで知恵を身につけ、裸でいることが恥ずかしくなって服を着るようになったといわれています。
これに怒った神が二人を楽園から追放し、二人は人類の祖になった、というのが有名な失楽園のエピソードなわけです。

この説話に象徴されるように服を着ることは原始的な社会と文明との分水嶺として機能しているわけであり、DJ SODAのように服を脱ぐことは文明以前の原始社会へと回帰するようなものであるといえるでしょう。

音楽フェスティバルの狂騒はまさに原始社会のそれといえるわけであり、DJ SODAの騒動も原始社会特有のものにすぎないといわれるのであれば、そのとおりなのかもしれません。
その観点において、被害者も加害者も同じ穴のむじなにすぎない、という世論は一定の合理性があるのかもしれません。

しかし、だからといって演者の胸を触るということが正当化されるわけではありませんし、それはやっていることが猿と変わりませんよね。
もちろん猿という自覚があるのであればそれでもいいのかもしれませんが……まがりなりにも人間ですからね。

冗談はさて置くとして、では現代におけるこのような若者の狂騒は何に由来するものなのかと考えた時に、ヒッピーを挙げることは的外れとはいえないでしょう。

ヒッピーと性の解放

ヒッピーといえばビートルズでしょうが、ベトナム戦争によって既存の社会に不満を抱いた当時の若者が保守的なキリスト教に取って代わるものとしてインドの宗教などに目をつけたことが始まりとされ、(オウム真理教も似たようなところがありましたが)ヨーガによる性の解放がフェスティバルに参加する裸の若者たちによって叫ばれたものです。

そもそもヒッピーの語源であるヒップはヒップホップのヒップとも同じでありますから、今回のDJ SODAと結び付くのも無理はありません。

しかし、当のヒッピーたちはベトナム戦争の終結と新自由主義の台頭などによって保守化することになり、それに取って代わるものとしてパンクやヒップホップなどが台頭したという歴史がありました。

今回のDJ SODAはその延長線上に位置付けてもよいのでしょうか。
韓国というと最近ではBTSやBLACKPINKなどが有名ですが、彼らも音楽ジャンル的にはヒップホップに位置付けられているようですし、日本以上にヒップホップが浸透しているのかもしれませんね。

DJ SODAで思い出されるDJ KAORI

Z世代の若者ぐらいになると女性のDJといわれてもピンとこないことが多いでしょうが、それよりも少し上の世代の若者にとっては女性のDJとしてDJ KAORIが思い出されることは少なくないかもしれません。

政権交代期にかけて「ディージェイ・ケオリー・イーンミックス!!」のフレーズが局所的に話題になった女性DJであり、世間的には無視されたものの『しゃべくり007』にも出演するなど一時期地上波でも取り上げられた存在です。

そんな彼女ですが、おそらくは2010年代初頭ぐらいにアダルトビデオ関連の祭典にDJとして参加するといった出来事があったと思われ、当時それを観ていた筆者は「こんなところに有名アーティストが出演するなんてことがあるのか」と驚いた記憶があります。

何がいいたいのかというと、要するにヒップホップというのはそういった側面が否定できない界隈だということであり、今回のDJ SODAの騒動もどこか既視感があるように感じられる、ということです。

ちなみに、そうした場への出演がきっかけになったというわけではないのでしょうが、DJ KAORIは2010年代に入り表立った活躍はみせなくなり、存在自体なかば忘れ去られてしまったといえるでしょう。

DJ SODAはそれ以来の女性DJという印象はあります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?