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変わってしまう「元」部署と自分への思い

4月1日。色々と新しいことが始まる年。自分も例外なく、部署の異動があった。

と言っても、仕事の内容が大きく変わるということはなく。仕事ごと別の部署に異動する形。だから、年度末最終日を迎えても、イマイチ異動するという実感がなかった。

自分の名刺の最初のほうに書かれる文字が変わる。なんだか、「それだけ」のような感じがしていて、どうにも現実感がなかったのである。

でも、23年度の最後の平日を過ごした夜。会社の飲み会が終わったあと、いつものバーで、ダラダラとお酒を飲みながら、なかなか帰ることができなかった。ここで帰って、寝てしまうと、もう翌週には次の職場の日常が待ち構えている。いや、正確には、今この部署で働いているという現実が終わる。なんだかその現実から目を背けたかった。


思えば、結構長い時間を今の部署で働いていた。社会人2年目から4年目が終わる今日まで。約4年間をこの部署ですごした。4年間。大学1回分と同じと聞くと、驚異的な数字な気がする。

もちろん、部署にいる人はどんどんと変わっていった。もともと移り変わりが早い場所だったこともあって、今や昔の部署を知っている人はほとんどいない。別れもそれなりに経験してきたつもりだったが、自分がその立場になると、また違った感覚になる。

なんだか、実家を出たり、一人暮らしを始めたころよりも、「家から出ていく感じ」をもってしまい、どうにも寂しさを拭えない。
数日前までは
「全然異動する感じがしないですわー笑」
なんて言っていたのに。人間というのは、こうして自分の身にふりかかってくるまで、明らかな事実と、それに対する気持ちに気付けないものかと、笑ってしまう。


そして、この寂しさは、自分自信がその組織にいない、ということだけでなく、部署が「変わってしまう」ことに対する寂しさのような気がする。寂しさだけでなく、少しの嫌悪感もあるかもしれない。

自分の仕事のスタイルとかなり似ている人たちが部署には大勢いた。自分の好きな、尊敬できる社会人がたくさん働いていた。しかし、一人、また一人といなくなっていく。新しく入ってくる人も、悪い人ではない。でも、どうにも好きになれない。

これは自分が懐古厨なだけなのか、組織の風土が変わっていき確実に良くなっているのに馴染めていないだけなのか、それは分からない。しかし、自分がいなくなったことで、これまた確実に部署は変わっていく。この変化を受け入れたくなかったのかもしれない。

自分の境遇に関してよりも、なんだか自分がいた古巣のほうにばかり自分の気持ちは傾いていく。

それだけ、今の部署に愛着を持てたんだなと、そう思えた金曜日の夜だった。まぁそれもそれで、幸せなことではある。思い入れもなく、ゾンビのように働く人々よりも、思いをもって働くほうが、人生にとっては確実にプラスだろう。


しかし、いつまでもグチグチと過去を振り返ってもしょうがない。新しい職場でなにをやるか、どう自分の好きだった人たちのように働くか。そんなことに思考を向けて、4月から頑張ろうと思う。

サラリーマンがやる仕事なんて、結局「人」だと思うから。だからこそ、好きだった部署の好きだった人たちに顔向けできるように、場所に縛られずに、できる範囲でがんばろう。

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