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Vtuberの転生を見ると『七人の侍』を思い出す 

※Vtuberの転生の話を含みます。嫌悪感を感じる人は読まないでください。また、別に転生すること自体を批判しているものではありません。










自分がVtuberを本格的に見始めるキッカケになったVの一人が先月末で引退した。最近は追いきれていなかったが、やはりさみしいものがある。

昨年末には、割と箱ごと推していたV事務所が壊滅(所属ライバー全員引退)したり。Vtuberとは儚いものだなと思う。

ここで事務所とのゴタゴタがどうとか、そういった話をしたいのではなく。そうした引退したVたちが、継続してネットで活動している(と思われる)ことについて。俗に言う転生についての記事となる。


最後に勝つのは誰なのか

別に転生を批判しているわけではない。本当に中の人の性格も含めて、好きで追いたいやつが追えばいいし、嫌なら見なければ良い。転生した人自体を批判するつもりはない。

ただ、少し事務所側のことを思うと、何となくモヤモヤする。悲しい気持ちになる。

Vtuber事務所はそれなりに投資をし、色々な準備を行って、ライバーをプロデュースする。そうした経緯があっという間に無に帰す。一方で、一緒にコンテンツを作ってきた配信者は、全く別名義で、オフィシャルには「他人」として、一部のファン層だけを持っていって活動を開始する。

なんとも言えない虚しさがある。もちろん、事務所側に非がある可能性も大いにあるので、自業自得なパターンも多いだろうが。


七人の侍のラストを思い出す。

野武士に襲撃され生活に困窮する農民から助けを乞われ戦う7人の侍たち。傷つき、犠牲者を出しながら、何とか戦い抜く。戦友たちの亡骸を埋葬する一方で、農民たちは野武士がいなくなったことで安心して、楽しそうに歌を歌いながら田植えをする。

侍は言う。「勝ったのは、農民だ」と。


この映画のラストを思い出すのだ。世の理に近い、そうしたものに対する不条理感。

普通の芸能界の事務所なら、七人の侍で言う、「農民」は事務所側に当たるのだろう。芸能人が全身全霊をかけて仕事をして失敗しても、また若いやつを採用し、新たなブームを作り売っていく。事務所を辞めた芸能人はただの人、あるいは、場合によっては悪評すらついてまわる。リスクがあるのは芸能人で、事務所はどっしりと腰を据えて自分たちの営みを続けていく。

しかし、Vの場合には、自分は逆に思えてしまう。事務所が野武士で、農民がVtuberにしか思えない。


多くの候補者の中から苦労して選択した採用者に、イラストを発注し、配信機材を用意し、グッズ展開を行う。様々な事務負担を請負い、一人のVtuberを誕生させる。

事務所のブランドを与えるということ以上に、事務所側の負担が大きいような気もするのだ。そして何より、芸能人は一度芸能人になった以上、その過去の経歴は一生つきまとう。脱退しても、何をしても、その人の評価として残っていく。

一方で、Vtuberは簡単に他人になれる。「なかったこと」にできてしまう。本当に潔く「なかったこと」にすればまだ良いが、断言はしない曖昧な状態で「なかったこと」にするやり方もある。そして公式には本人が言わない限り、永遠に他人だ。

これを批判したいわけではなく。そのしたたかさは尊敬できるし、インターネットなんてそんな汚さを持ってないとやっていけないところだというのも分かる。

それでも、やっぱりこういう何とも言えない気持ちになるところも含めて、『七人の侍』なのだ。本当に勝つのは、誰なのだろうか。


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