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グッバイ!鳥山先生!

こういう時事ネタみたいな記事はなるべく書きたくはなかったんだけども、書かざるをえない。今日、漫画家の鳥山明先生が訃報が公表された。そのことについて書かせてほしい。

色んな人の訃報を聞いてきた。昔の洋楽を好きだということもあり、自分が好きな人の訃報なんかには慣れているつもりだった。それらのアーティストは、中高生から好きになった、思い入れのある人たちで、悲しい思いを何度もしていた。

でも、鳥山先生はその何倍もの衝撃だった。それこそ物心ついたころから、彼のマンガを読んでいたのだ。そんな人の訃報は想像の何倍も衝撃的だった。最初は全く現実感を持てなかった。


鳥山明という存在

鳥山明先生はすごく馴染みのある漫画家だった。父や兄もマンガを読んでいたので、先生の作品は全巻物心ついた頃から本棚にあった。なんど読んでいたことか。

小さかったころは、『Dr.スランプアラレちゃん』をよく読んでいた。適当に本棚から取り出して、気軽に読める最高のギャグ漫画だった。自分にとって、「スーパーマン」よりも、「スッパマン」のほうが馴染みがあったし、名古屋弁はニコチャン大王に教えてもらった。

アレラちゃんの表紙は彼のイラストレーターとしてのセンスが光る


そしてドラゴンボール。わが家では、ドラゴンボールはベット下の収納に入れられていた。

こんな感じのベッド下収納に、全42巻がビチっと詰められていた

普通の本棚とは違う、特別な場所にあったのも自分のワクワクを増加させていたと思う。そして、ドラゴンボールを読む時は、まるで宝箱を開けるときのように、決心してベッドの下をのぞき込んでいた。

なぜなら、読み始めると最終巻まで止まらないから

大体、土日とかに突如思い立ち、ベットから取り出して大量に積み上げ、ずーっと読みふけっていた。小さかったころは、すごく時間がかかっていたのを、成長するにつれ、全巻読破のスピードが上がっていったのを覚えている。


自分にとって、鳥山先生がどういう存在か語ろうと、このnoteを書き始めた。でも、数時間経っても、筆が進まない。もう鳥山先生のマンガは、自分にとっては「おもしろい」とか「名作」とか、そういったレベルを超えた存在だった。幼少期から、ずっと自分のそばに存在していたのだから。

自分の中で存在が大きすぎて、ことばにするのがとても難しい。
糸井重里が、昔から好きだったビートルズについてインタビューされた時に、悩みに悩んで、こう答えていたのを思い出した。

だって、ほんとのほんとを言えば、
ただただ「‥‥好きっ!」って、
それだけになっちゃうからさ。

ほぼ日 「もしもビートルズがいなかったら」 より


自分も全く同じ気持ちだ。でも、頑張って表現しようとするとなんだろうか。難しく考えるのを辞めて、一番最初に思いついたことばで書こうと思う。

「マンガってのはこれだけワクワクするモノなんだ」というのを教えてくれたのが、鳥山明先生だった。

あの小さなコミックスを開けば、そこに鳥山明ワールドという1つの世界があった。背景から何まで、すべてがワクワクするものだった。マンガってそういうものなんだなと、教えてくれた。

今でも彼のコミックスの表紙を見ると、ワクワクする。その中にワクワクするものが詰まっていると、教えてくれた最初の原体験だからだろう。素直に一言でいうと、そんな存在だったと思う。


明るくグッバイと別れたい

自分は東方なんかにハマっていたのもあり、同人作家も含めて、多くの漫画家をX(Twitter)でフォローしている。絵柄も個性もまったく違う彼らが、口々に鳥山明作品の思い出を語っていた。彼らの落書きには、必ず先生のキャラがいたことを話をしていた。

そんなタイムラインを見て、会社のトイレで思わず目頭が熱くなった。今でもこれを書いていると少し泣きそうになる。彼の作品の偉大さと、それを作った偉大なクリエイターが亡くなったという事実に心が折れそうになる。

でも、悲しみにくれるのはなんか違う気がする。きっと天国で鳥山ワールドのように、天使の輪っかをつけて楽しく絵を書いているだろう。悟空もアラレちゃんも、みんな別れは笑顔だった。

この記事の締めのイラストはこれにしようと決めていた。大人な悟空の表情、シンプルなメッセージ。改めて思う。一番好きな先生のイラストだ。寂しさを感じるこの表紙は、今日の夜にはピッタリだ。

御冥福をお祈りします。天国でも楽しくマンガを書いていてください。


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