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水晶と貝殻

夫がくれたものの話をしたい。

昨年10月末、少し早めの紅葉狩りをしようと、山梨県は甲府市の昇仙峡を夫婦ふたりで訪れた。
紅葉はもちろん、迫力ある断崖や滝、そして水晶も有名な渓谷だ。
石が好き、かつ透明で角張った物体が好きな夫にとって、水晶は全ての理想を詰め込んだような存在。土産屋が立ち並ぶ通りを興奮気味に歩いていたが、水晶宝石博物館なる建物の前でぴたりと立ち止まり、モジモジしだした。「…入る?」と声を掛けると、駆け出さんばかりの勢いで入り口に吸い込まれていった。

幼稚園児くらいの背丈がある水晶を見つめ、「これ、すごくいい…。」とうっとりしている夫に、スタッフのお兄さんが話しかけてきた。夫が気に入ったのは"水入り水晶"というもので、その名のとおり内部に水分が入っているらしい。土産売り場の小さな水入り水晶を手にとって傾けてみると、確かに水分が揺らめくのが分かった。しかも、内包されている水は数億年前の水だという。なんたるロマンだろうか。
目を輝かせた夫が、昇仙峡で水晶が採れるのか、と聞いた。お兄さんは、かつては採掘もしていたが今は海外から輸入していて、しかしその取扱量は日本一、採掘していた頃からの研磨技術は今もこの地で受け継がれているのだと教えてくれた。実に楽しそうに石のことを話してくれて、もちろん説明するために知識を深めたのだろうが、そもそも純粋に石が好きなんだろうな、と感じた。夫は熱心に話を聞き、さらにいくつか質問していた。

博物館を出てふたたび通りを歩いていると、一つ百円で色んな石を売っている店を見つけた。夫は「百円だって!」と嬉しそうに駆け寄り、すっとしゃがみこんで物色し始めた。お店のおじさんが「これが水晶、隣が紅水晶、これはフローライト、蛍石ってやつだね。で、隣がタイガーアイで…。」と説明してくれているのだが、全く聞いていない。水晶の入ったカゴだけをじっと見つめ、どれを持って帰ろうか、真剣に選んでいる。

少年。息子。

そんな言葉が頭に浮かんできて、愛おしいような面倒くさいような、複雑な気持ちで見守っていると、くるりと振り返って「どれがいいと思う?」と聞いてきた。手元を覗き込むと、ピンク色の紅水晶のカゴを指差している。どうやら、水晶と紅水晶を一つずつ買うらしい。
「自分のなんだから、自分が好きなヤツ選びなよ。」
私がそう言うと、夫は「んー…じゃあ、これ!」と一つの石を拾い上げた。他のよりピンク色が少し濃くみえる石だった。二つの石とお代をおじさんに渡すと、チャック付きのビニール袋に石を入れて渡してくれた。夫は、誇らしげにそれを受け取った。
店を出てすぐ、夫は袋の口を開け、中から紅水晶を取り出して「はい!あげる!」と私に差し出した。
「え?くれるの?」
「うん。は だ み は な さ ず、持ってて。あ、この旅行中だけでいいから。」
はだみはなさず。つまり、肌身離さず。
彼の話す熟語や慣用句は、私の頭の中でしばしばひらがなに変換される。言い慣れていなさそうにたどたどしく話す様子は、やはり少年のようである。そのくせ、私がその名を聞いたことすらないような物理法則の内容は、人が変わったようによどみなく説明するのだから、何とも不思議な人だ。
それはともかく、プレゼントしてくれるつもりだとは思わなかった。嬉々として石を選ぶ彼に付き合わず、ましてやその背中に「自分のお小遣いで買ってよ。」などと釘を刺していた身としては、なんだか受け取るのが申し訳なかった。でも、そんな些細なことは微塵も気にしていない笑顔がそこにあった。まるで、いっしょうけんめい摘んできた野の花を、母親に渡す少年のような笑顔。いつだって私の中の卑屈や傲慢を浄化する、いつもの笑顔だ。ごちゃごちゃ考えていたことがふっ、と消えていき、素直に「ありがとうね」と言って石を受け取った。少年は元気よく「うん!」と返事をして、また笑った。

その日はそのまま甲府の温泉付きホテルで一泊し、翌日は観光もせず真っ直ぐ東京に戻ってきた。最寄り駅の一つ手前の駅でファミレスに寄って昼食をとっていると、夫はポケットから水晶を取り出し、テーブルの上に転がして満足げに眺めていた。「そんなことしてると、忘れるよ。」と言うと、「だーいじょうぶだよ!」と自信たっぷりに答えていた。

最寄り駅で電車を降り家路を歩いていると、ポケットに手を入れた夫が、悲しそうな目でこちらを見てくる。まさか。
「ファミレスに…水晶忘れた…」
「えー!!も~だから言ったのに…取りに戻る?」
「………いい……諦める……」
まあ、取りに戻る電車代のほうがずっと高くつくしな…と、ここでもまたカネのことを考える私の隣で、すっかり落ち込んでいる夫。何とまあ、いたたまれない。あんなに嬉しそうだったのに、今のその横顔からは、しょげしょげと音が聴こえてきそうだった。
後日取りに行ってあげようかな。でも、本人がいいって言ってるしな…。あ、そうだ。紅水晶。あれを返してあげよう。
咄嗟にそう思って、コートのポケットに手を入れた。手に当たる、硬い感触。しかしそれは石のように角張っておらず、つるりとして平べったかった。
え、何これ、と取り出して開いた手のひらにあったのは、ピンク色の紅水晶ではなく、白くて薄い円形の貝殻だった。
全く心当たりのない掘り出し物に思わず笑いながら、しかし私は自然と「これ、あげるよ。」と夫に差し出していた。
「何それ…?貝殻?なんで?」
「分かんない。ポケットに入ってた。」
水晶みたいに透明じゃないけどさ、という私の言葉が聞こえているのかいないのか、夫はゆっくりとそれを指先で持ち上げ、じぃっ、と見つめた。そして、
「ありがとお。」
と、笑った。
私は、ひどく満たされた気持ちになって、よしよし、喜んでるな、と思った。それだよ、それ。そうやってあなたは、いつだって、笑っておけばいいのだ。少年みたいに、息子みたいに。まあ、私、息子いたことないけど。
そんなことを思いながら、しかし伝える気などない私は、とりあえず照れ隠しに「まあ半分ゴミだから。」と茶化してそっぽを向いた。
それからこっそり別のポケットの中を探ると、角ばって少しひんやりとした、少年からの贈り物が確かにそこにあった。

おわり


追伸
このとりとめのない話を、誰も読まなさそうな話を、書こうかなあと悩んでいた時に久しぶりに聴いて、やっぱり書いてみようと思わせてくれた歌です。




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