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好きだからしょうがない

必要に迫られて、夫と別居している。

私が「会えなくて寂しいよ」と言うと夫は「俺は元気にしてるから、大丈夫だからね」と言った。

私は思わず口をへの字に曲げた。そうじゃない。ぶっちゃけ、あなたが元気かどうかはあまり心配していない。私が寂しくて、甘えたくて、構ってほしくて元気が出ないという話なのに。夫の言葉は期待外れだった。

では何故夫はそんなことを言ったのか。

逆の立場だったらどうだろう。私が夫に寂しいと言われたら「私も寂しいよ、会いたいね」とか「二人で頑張ろうね」などと返すだろう。離れ離れで辛い時、私だったらそういう言葉をかけてほしいからだ。
夫が同じ思考回路で返事をしたとすれば、彼は離れ離れで辛い時に「私は元気だよ」と言ってほしいことになる。つまり、私と離れている時の夫の感情は"寂しい、会いたい、触れたい"ではなく、"元気にしているか心配"なのだ。

・・・保護者なのかな?

そういえば以前数か月の海外出張に行っていた時も、彼が全然寂しいとか会いたいとか言わないので、寂しくないのかと聞いたことがあった。
「そういうのはないです」としれっと答えたあと、当然のように「また会えると信じてるので」と言った。
必ずまた会えるのだからいま会えなくても辛くない、ということらしい。・・・いや、どういうこと?よく分からない。キーボードを叩いている今もまだ理解できていない。

そのくせ、久しぶりに会った瞬間はとんでもなく嬉しそうにするし、これからしばらく会えなくなるという時にはとんでもなく情けない顔をする。もしかしてあれは、私に会えて嬉しいとか会えなくなるから寂しいとかではなく、私の元気な姿を見て触れて確認できたことに喜びを感じ、あるいはそれを見て触れて確認できない状況になることに不安を感じていたのか。それとも本当は寂しいけど口では強がっているだけ?

謎だ。いくら考えても謎だ。

付き合って9年、夫婦になって4年。噛み合わない、と思う瞬間がまだまだある。これからもあるだろう。そもそも、噛み合わないから好きになったのだ。彼の目に映る世界が私のそれとあまりにも違っていて、しかも私にはそれが輝いて見えてしょうがなかったものだから、ずっと隣でお相伴にあずかりたいと思った結果が今なのだ。噛み合わないことがプラスにだけ働くなんて、そんなうまい話あるはずがない。

しょうがないか、と思った。噛み合わなさを求めたのは、他でもない私なのだ。そうでなくとも、他人を変えることなどできない。ましてやその心持ちを思い通りにすることなどできるわけがない。

だから私は今日もきっと、夫にそっくりなぬいぐるみの手を握って眠るだろう。寂しいけど好きだからしょうがない、なんてひとり感傷に浸りながら。

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