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台風だし、古着の事でも書いていこうか




タイトル通り台風14号ことナンマドルさんが我々の街に訪れているという事なのでnoteを書いていこう。



今夜は爆風。きっとみんな暇だろう。そんな皆様に僕の思想的文書をプレゼントしようではないか。



本当はこの内容は1か月前の買い付け中から考えていたのだけれど、買い付け後というのはアドレナリンというかなんというか、大金を投資した後の焦りというかなんというか、、

何度か書く事を試みたんだけれど、too strongな奇怪文章になる予感しかしなかったので冒頭まで書いて消したりしてました。



そして今、程よく買い付けの残り香も消え、程よく楽しい日々を過ごし、ナンマドルさん登場。



今なのだ。今しかないのだ!というテキトーなテンションが文章を書くには丁度良いのです。



長い前置きは老害のはじまりということで早速書いていきます。





まず、この世の人間は3種類に分けることができます。

①古着を長く愛すことができる人

②古着を長く愛せない人

③古着に触れない人

の3種類。


きっとみんな気づいていないが、実はこの世界には例外なくたった3種類の人間しかいないのです。


③に当てはまる方々に関しては今日は敢えて触れずに書いていきます。興味があったら古着屋に行ってくれとしか言いようがない。

今日僕が書きたいのはなぜ人間は①か②の人種に分かれていくのかという話。




人が古着を好きになる理由は十人十色だろう。

流行っているから、友達が着てるから、音楽が好きだから、安いから、ユニークだから、一点物のような気がするから...etc

テキトーに書き出しただけでも無数に出てきそうだ。それくらい古着は自由度が高く"無限"の可能性を秘めているのかもしれない。




それなのに、人は古着を着なくなる。

今これを読んでくれている若者は数年後にこの文章を思い出して欲しい。

あれだけ古着最高〜と言っている君の友達のほとんどは、もう古着を着ていないだろう。

たまにお店と全く関係ない所で出会う大人の人は "古着ね〜昔はよく買ったもんだよ〜" と口を揃えて言う。

"大学生の時はよく古着を買ってたんですけどね〜" なんてセリフも僕は人生で何回聞いたかわからない。



これは決してそういう人たちを悪く言っているのではない事を理解して欲しい。

でも本当に不思議で仕方ない。この中に

"あんまり買わないけど今でも古着は好きなんでたま〜に見に行きますよ!"

という人が沢山いてもいいはずなのに、このパターンが一番少ないのである。

先ほど "無限の可能性がある" と書いたのにも関わらず。




いきなりだけどここで僕が思う一つの答えを提示しよう。

古着を長く愛せる人とそうじゃない人の違いは

"古着の芯を捉えれるかどうか"

にあるのだと思います。


もっと簡単に説明すると "本当の魅力に触れられたか" という事だと思うんです。


古着の何が好きなの?と言われて

 "〜な所!" と自信を持って答えれるっては実は少ないと思っています。

勿論古着という自由なスポーツに一つの答えを出すことはナンセンスだという事は百も承知。

でも、自由がゆえに本当の面白さを見つけられず通り過ぎて行ってしまう人が大量にいるというのは紛れもない事実。

僕はここをなんとかしたいのです。



なので今日は私大橋が思う "古着の魅力の見出し方" ということを書いていこうと思います。




題して


古着とは異国情緒と異世代情緒だ!



です。




もうこの題名を聞いて無理な人は今すぐこのページを閉じてもらって大丈夫です。

あなたは僕のせいで②の人間です。

しかし何度も言いますがそれは悪い事ではないので安心して下さい。




まずは"異国情緒"と言う言葉を知っていますでしょうか。

グーグルで検索すると

いかにも外国らしい風物がかもしだす、わが国のものとは異なる雰囲気や趣

というアンサーが返ってきます。


僕らが生活する日本は世界でも珍しい島国で、他国との国境線が無い国なのです。

なので"ここを渡れば外国"という橋や道がなく、全て海。飛行機に乗らないと外国には行けません。

世界の国のほとんどが地続きで他国と繋がっているので、自分と同じ言語を喋らない人が車で自分の国にやってきたりするのですが、日本はそれが起こる事が今までもこれからもありません。

なので、僕たち日本人は他国に行ったり、他国の人と交流するハードルがめちゃくちゃ高く、その分他国に対する好奇心が凄く高い国なのではないかと思っています。

イギリスの〜とか、フランスの〜とか、アメリカの〜に凄く興味が湧き、それについて知ってみたいと思える事には僕らが住む環境も影響していると思います。


アメリカの大きなスタジアムでギターを掻き鳴らすバンドの映像を多感な時期に見た僕は "アメリカってデケェ〜!かっけぇ〜!" と思ったし、世の中にはこんな人たちが存在するんだ!と思ったりしました。


これを僕は異国情緒だと思っています。


続きまして"異世代情緒"

これは恥ずかしながら僕の造語なのですが、ノスタルジックに近いです。

グーグルしてみましょう

異郷から故郷を懐かしむこと、またその懐かしさ。同義語に郷愁・望郷など。 過ぎ去った時代を懐かしむこと。

う〜ん、ノスタルジックだとちょっと惜しいのです。


凄く簡単に、今時に言うと エモい というやつです。

レトロな喫茶店に行って "エモい〜" と言ってる人たちは異世代情緒を理解しています。

僕の言葉で言い換えるなら、古い時代の物を見て懐かしさの様な物を感じるという事です。



なんだか長くなりそうですが、僕が解析した結果この


異国情緒異世代情緒

を理解し、それを想像する事ができれば貴方は真の古着LOVERになれると思います。


アメリカの服とヨーロッパの服は拘る部分が全然違います。

60年代のアメリカの服と90年代のアメリカの服は、本当に同じ国なのか?と思うくらい見た目も形も違う時があります。

白人が着ていたであろう服と黒人が着ていたでたろう服も全然違います。

フランス、イタリア、イギリスは国同士があんなに近いのに、それぞれの国、年代でやっぱり作られる服は違います。(似てる部分もあります)


異国情緒と異世代情緒を駆使して、少しだけその国と時代を学び、映画や雑誌を見てその風景を想像すると古着は今より遥かに楽しくなります。
これだけは間違いないと念を押しておきます。



カートコバーンを見てモヘアセーターがカッコよく見えるのは、彼があの時代、あの国で、あの音楽を奏でてきたからだと思います(あとイケメン)。

でも実はカートコバーンは60年代のモヘアを90年代に着ていたんです。

僕はカートコバーンのファンでは無いけれど、

アメリカのロックスターが古着という概念があまりない90年代にリサイクル屋で買ったセーターを着て人前で演奏していた。

というストーリーはその当時のアメリカの景色を想像してもとてもロックな事なのです。

なんかかっこよくないですか?

物事の芯を捉えるというのはこういう事なんじゃないかなと思うんです。





流行っている物を買っても、流行りが終わったらなんとも思わなくなってしまう。


それはその物に対する想像力や感情がないからです。

僕が33歳にもなって派手な服を着るのは、目立ちたいからではなく、僕が好きな服が派手なだけなんです。

でもそこに自分の意志がないと

"もういい年だからこんな服は着れないな"

という考えになっていってしまうと思います。

別に大人でも好きな服を着たら良くないですか?




脱線しそうなのでそろそろ〆ます。


古着の芯を捉える1つの方法として、"その洋服の出所や時代に興味を持つ"というのが僕のオススメです。


どうしたら外国の事や昔の事やその洋服を知ることができるの?

と思う人がいるかもしれません。

答えは2つ。


"古着の事を店員に聞きまくる" 



 "何でもいいから世界のことを学ぶ" 

です。

その為の販売員。そして今の時代、携帯がかればどんな事でも調べられます。


「80's USA hiphop」 と調べるだけで80年代のブラックカルチャーの扉の入り口に立てるし、

"この服って何で高いんですか?" と店員に聞けば喜んで何かを話し出すでしょう。




こんな事を書いたら、古着は敷居が高い物だと思われるかもしれません。

うかつにPanorama行けねぇなぁって思われてしまうかもしれません。

でも僕は通り過ぎていく9割の人よりも残る1割の人を絶やしたくないし、増やしていきたいんです。

そして通り過ぎていく9割の人に "たまには古着見に行くか〜" と思って欲しいのです。




ファッションは自由だし、買い物は気分です。


くどいほど書きますが、なんか可愛い!なんかオシャレ!だけで買い物するのが普通で、正解です。

なので、これは奇人古着妖怪が言ってるハードコア古着文書だと思ってもらえたら幸いです。


それでも僕がこのnoteを書いたのは、その奥にある真の古着の面白さに触れて欲しいからです。




最後に一つ、"古着好きだけど探しに行くのがめんどくさくなってしまった"という大人の方々…




マジでわかるんすけど、たまには来てくれよな!!





マジで台風みたいなnote書いちゃった★


お詫びにハートボタンを押したらお土産が出るように設定したのでみんなこぞって押して下さい❤︎


-完-

お金くれるんですか?あざす!