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読書感想文『クォンタム・ファミリーズ』 ~永遠の命とセックスと並行世界と浮気について~

本稿は批評ではなく読んで湧いたインスピレーションで思ったことを書き散らした読書感想文です。
※俺は15年以上の東浩紀ファンであり、リスペクトし過ぎてとても作品を論じることはできない(笑) いやいつかしたいけど。


①永遠の命とセックス

人は永遠に憧れる。

永遠の若さ・永遠の命を求める。

俺も400年くらいは寿命と健康がほしい。







実際に個人では永遠の命を得るのは無理だけど、血族として子孫代々まで永く遺伝子をつなげることはできる。

だから生物は繁殖することを至上命題にしているし、セックスは気持ち良いし、子や孫は愛おしい。

自分の血を継いだ子供たちが繁栄していくことで、疑似的に永遠の一部になれる。

逆に自分の中には、はるか太古から続く先祖の血を引き継いでいる。



なので子孫が繁栄することが何よりだし、たまに子孫にまつられたり思い出してもらえればもう最高。

自分と直接触れ合った人たちは減っていくけど、お盆で親戚が集まって「●●のじいさん(ばあさん)はこんな人で、こういうエピソードがあって……」とゲラゲラ語り合って、孫やひ孫の記憶の中にまで残り続けられるといいよね。

そして代を経ていくほどに特定の●●さんという記憶はされなくなってぼんやりした「ご先祖様」の一部になっていく。

守り神のような、神に近い存在になっていく。

これが人間のできる永遠の命だよね。





それゆえ、子供をつくらない息子・娘たちは親不孝だと言われる。

親や祖先の永遠の命を途絶えさせるわけだから。





これはヒトの根源的な考え方であり、昔からあるアニミズム的宗教はだいたいこういう祖先信仰。








だからセックスするときは、永遠へとつながっているんだよ。

永遠の命はまだ無理だけど、たくさんセックスしよう。





という話を男性にすると「分かるー」ってなるんだけど、女性からは「全然共感できない。私は私。男ってロマンチックだね」って言われる笑








※まあたくさんセックスしても避妊するから子作りにはならないんだけどね。

※ 日本のイエ文化では、血ではなく会社的なイエの存続に重点を置くこともある。(血に関係なく優秀なやつがいれば養子にして継がせる)

※ 原始的宗教の後には、個人のまま永遠を求める宗教も出てくる。最後の審判の日に復活したり、解脱して輪廻転生から抜け出したり。欲張りだね。

※子供以外にも、歴史的な偉業を成し遂げたり、研究成果を残したり、教育に関わったり、その他社会貢献をすることで永遠に自分の生きた証を残す方法もある。だから子供を持つことだけが全てではないし、俺は先祖に感謝はしてるしまつりたいけど俺が子供残すことには興味がない。弟に任せた笑



②並行世界と浮気

永遠の命が縦に長く生きる方法だとすれば、並行世界やループものは横にたくさん生きる方法だ。




例えばギャルゲーやエロゲ―。

たくさんの女の子が登場する。

1回のプレイでは1人の女の子のエンディングしか迎えられないけど、また最初からやり直すことで別な女の子のエンディングを見ることができる。



せっかく買ったゲーム、全員のエンディングみたいと勿体ないよね?

俺はギャルゲ―やエロゲーをやりすぎて、登場した女の子は全員と結ばれないといけないと思うようになった。




それにゲーム性の高いエロゲ―って、それぞれの女の子のエンディングを見ることで真実が繋がって真相が分かるようになったり、全員クリアするとトゥルーエンド(真のエンディング)が現れるようになる。

だから俺もトゥルーエンド目指して人生に登場した女の子全員を攻略しようとしてるんだけど、トゥルーエンドに辿り着くときはくるのだろうか。








批評家・哲学者の東浩紀は、『ゲーム的リアリズムの誕生』の中で、「私たちは、一回かぎりの生を、それが一回かぎりではなかったかもしれない、という反実仮想を挟みこむことで、はじめて一回かぎりだと認識することができる」という我々の感覚を前提として、それがゲーム上ではそれが何度も繰り返されることを逆手に取ったゲーム的ループシナリオや並行世界トゥルーエンドについて論じている。

その問題意識を、批評ではなく小説で表現したのが以下の作品。

東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』

2035年から届いたメールがすべての始まりだった。高度情報化社会、アリゾナの砂漠、量子脳計算機科学、35歳問題、ショッピングモール、幼い娘、そして世界の終わり。壊れた家族の絆を取り戻すため、並行世界を遡る量子家族の物語。第23回三島由紀夫賞受賞

Amazonより


人生とは、無数にある可能性を順々に閉じていき、ひとつの結論に収束させていくこと。

人は35歳を超えると"これからある未来の選択肢"よりも”選ばなかった未来”の方が大きくなり、仮定法の亡霊が人生に付きまとう。

これは選ばなかった選択、上手くいかなかった妻、存在しなかったこどもたちの存在に、並行世界を通じて関わっていく話。







俺の人生にはどんな並行世界が存在しているのだろう。

選ばなかった人生を、並行世界として夢想することがある。

俺は基本たいていの人は好きだから、特に好きな人がいないときに告白されたりセフレになったりすると、そのまま付き合ってしまうことが多い。

つまり誰かと付き合って・結婚して・子供をつくって……ということはこの人だからという相手の問題ではなく、単なるタイミングだけの問題になる。

だから余計に「この人じゃない人の可能性もあり得た」「今の人生は偶然」という思いが強い。






あの人と結婚したらどうなっていただろう。

子供があった人生はどのようなものだっただろう。

今の人生は最高に楽しいし満足しているけど、他の可能性も等しく愛おしいものとして包み込みたくなる。






だから人は並行世界を夢想するし、人生のあったかもしれない二次創作を・夢小説を書くし、物語を読むことで他人の人生を追体験する。

そして浮気をする。



俺は浮気や遊びでも、心の中ではその人と結ばれたかもしれない人生に思いを馳せている。

出会い系サイトで会った人の中でも「この人と人生を共にしたら楽しくて幸せになれそうだな」と思う人は何人もいた。

タイミングが違っていたらその人と結婚して子供を作っていたかもしれない。

「可能だったらじょんの子も産みたいなー。何人も子供いるけど、気に入った男との子供は産みたくなる」という女性もいた。*1






浮気は並行世界に足を踏み入れる行為。

そうでなかった可能性に触れることで、1回限りの人生では味わいつくせない感情をつまみ食いする行為。

そしてあったかもしれない他の人生を想像することで、1回きりの人生の儚さと固有性を噛み締めて生きていけるのかもしれない。









※分かりやすく「浮気」という言葉を使ったけど、別にフリーでたくさんに遊んでもいいし、ポリアモリー/オープンマリッジを公言して遊んでもいい。この日記は浮気を推奨する日記ではありません(免責事項)

*1 浮気することで並行世界に手を出すのと、浮気相手と子供をつくることで永遠の命に踏み出すのと、縦横が交差した本テーマの集大成になるね。多くの人との子供をつくりまくることが縦横の永遠の命になるっていうのは、生物の本質としてその通りな気がする。これが一番の幸せって、結局僕らは遺伝子の奴隷。でもさすがにこの実践はマズいと思う笑



終わり

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