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「健やかでいてね」

私がまだ10代の頃、大好きで、大切だった人は、身体が大きいけど弱くて、その上ものすごく不摂生だった。いつも心配で、祈っていた。「健やかでいてね」と。お酒を飲みすぎちゃだめだよ。ちゃんと寝なね。野菜も食べよ。うざったがられるだろうから、そんなことは言えなくて。だから代わりに何度も言った。祈った。「健やかでいてね」
会うたびに。ううん会わない日でも。それでも私の願いを聞いてくれた試しはなかった。

健やかでいてくれと過去祈っていた人に、1年ぶりに会った。
彼は、新しく彼を大切に思ってくれる人を見つけていた。

ぎこちなく、盛り上がらない会話。
沈黙がいたたまれなくて、なんとなしに尋ねた。

「体調はどう?」
「あー、健康診断どの項目もまずかった」
「そうなんだ」

彼は少し、ふざけたように笑って、こう続けた。
「健やかじゃないわ」

その瞬間に、とんでもなく大きな虚無に襲われた。
私は、1年前、あの頃、心の底からあなたに健やかな明日がくるようにと、本気で祈っていたんだよ。
酔っぱらって電話がかかってきたとき。胃腸を壊していたとき。顔色が悪いとき。二日酔いで待ち合わせ場所にあらわれたとき。
いつも苦しかった。悲しかった。元気な彼と並んで歩きたかったから。言いたいこと全部我慢して「健やかでいてね」と微笑むたびに、胸が張り裂けそうになった。
だから、半笑いで「健やか」って言葉を使われるのは許せなかった。そんな軽いものじゃなかった。私の切実だった祈りを粗末に扱うなよ。本当に、あなたのこと、大好きだったんだよ。

でも、今はあなたのこと大好きではない。
今、あなたを目の前にして、祈りの気持ちなんてちょっぴりもわいてこない。

だけどさ、今あなたには、あなたを大切に思ってくれる人がいるよね。その人はきっと、過去の私のように、あなたの健康を心配し、幸福な毎日でありますようにと願ってくれているはずだよ。それなのに。またあなたは自分を大切にしない。それはあなたがその人を大切にしてないからだよ。

1年という歳月は、私には長くて、彼には短かったのだろうか。

ただ虚しさはあっても、彼に人の愛を説くほどの、慈悲は私にはなかった。

別れ際、じゃあねと手を振りながら、少し祈ることにした。

「彼にとって、祈りたくなる人があらわれますように」

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