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アイスランドから見る風景:vol.24 アイスランド人の職場を俯瞰する

今回は少し視点を変えて、アイスランド人の労働観や職場での様子について、自分自身の経験を交えながら書いてみたいと思う。わたしは学生時代のアルバイトを除き日本での雇用経験はなく、ドイツで2年間日系企業で働いただけ、あとは自営という職歴の人間だ。ドイツの日系企業も現地企業だったため、ある程度日本色は薄れていただろうが、それでも日本の労働価値観はじっくり社風に根を下ろしていたように思う。

このようなトピックで今回コラムを書こうと思ったのは、今年の3月から、日本観光客をアイスランドに受け入れるインバウンドだけでなく、アイスランド人を国外に送るアウトバンドの業務にも参画することになったのがきっかけだ。そんな仕事の変化によって、これまでとは違った形でアイスランド人と接する機会が増えた。今までのインバウンド業務では、関わるアイスランド人の全員がツアー遂行のための取引先だったのだが、アウトバンド業務においては、彼らはわたしの職場の同僚となったのである。アイスランドの家族を通してこの国の価値観を理解していたわたしも、別の立場からアイスランド人と付き合うことによって、また新しい発見があった。これだけ長く住んでいても新たな発見があるのは、人生なかなか興がある。

まず、アイスランドの就労は今日本で言う"ジョブ型”の雇用である。もともと一斉雇用のないアイスランドでは、会社が従業員を教育することはない。教育を受けるのは大学時代までで、入社するときには自分がどのように会社に貢献できるか、それが大きく問われることになる。職歴があろうがなかろうが、そんなことは構わない。必要をされているポジションに適した人材を配置する、というのがアイスランドのスタンスだ。マイクロソフトオフィスのプログラムが使えることは前提以前の問題。中学生の時分からコンピューターを駆使していた若い世代は言うに及ばず、転職者も職歴が長ければそれだけいろいろなプログラムの洗礼を受けたと期待される。

課に配属されると、いわゆる課長や課長代理から簡単な業務説明を受ける。それから後は自分の裁量次第だ。やり方はどうでも構わない。結果を出すのが一番大切である。ただやり慣れていないと同じ事をするにも時間がかかるから、それは職場で上司に喰いついて教えを乞うか、声をかけやすい同僚に助けて教えてもらうか、それともそれが単に自分の知識不足に起因していれば、例えばオンライン授業などを受けて自分で補充していくことになる。声を上げなければできるものと理解されるから、疑問点や不足があれば積極的に自分から動かなければならない。

この時点で、自分の周りにいる人たちがどんな人たちかの見極めがとても大事だ。経験の長い課長クラスの人が面倒見が良ければラッキーだし、しかもその人が人格者で波長も合えば言うことはない。しかし、そんな幸運は自分の伴侶を見つけるよりも難しいだろうと思う。そもそもリーダー的な人は忙しい。また人によっては、仕事を教えたらがないリーダーもいる。情報が力であることを熟知していて、それを分け与えることで自分の影響力を陰らせたくないのだ。日本だと部下の仕事ができないのはきっと上司の責任になるのだろうが、アイスランドでは、そして恐らく個人主義の徹底している西欧や米国では、本人の力量不足に帰されることになる。

サービス業の中でも特に飲食関係の接客業は、高校生や大学生がアルバイトが多い。
また正式な雇用者の5-8月の長期バカンスの穴埋めに、学生たちはフルに働く。

個人的には、新しい人に仕事を教える、または慣れていない間はしっかりフォローをすることは、会社には大きなプラスであると思っている。新人が仕事の要領を覚え、タスクを引き受けるようになれば、他のスタッフは別の課題に専念することができるからだ。もちろんネックは始めに教える時間が取られることだが、仕事の伝授方がある程度確立されていれば、それは本来は問題ないはずである。ところが個人主義が徹底していると、教え方もその順序も面倒をみる人間に一任されてしまう。もともと人に教えるのが苦手、もしくは面倒くさい人は、個人的に責任を問われない分、新人の教育をおざなりにしてしまうことは否めない。

こんなことがあった。社内には、決められている規定の沿ってお客さんに旅行日程を提案することがどうしてもできない、30代前半の男性がいる。自分のお客さんだけに対して、許可なく勝手にあちこちでディスカウントをしたり、特別なサービスを付記する。いざ入金という段階になって数字が合わないので、予約課から経理までが総動員されて、どうなっているか頭を突き合わせる羽目になる。そんなことが2年の間何度も続いたらしく、彼はとうとう引導を引き渡され、7月いっぱいで会社を辞めさせられることになった。

みなの話を聞いていると、辞めさせられても仕方がないような気はするが、それでもあちらこちらで叱責を受けている彼の姿を見ていると、2年間もの長い間どうしてそのまま放っておいたのか、そちらの方を不思議に思う。本人には訊けることではないので、あくまでわたしの憶測だが、以前に旅行業界の経験がなかったことが原因ではないだろうか。前は全く違う業界にいたことは人伝に聞いているので、職場での一貫した指導がなければ、自分で試行錯誤して仕事をやり抜くしかなかったのではないかと思う。

個人主義が徹底している社会では、己を頼むことが当たり前なことから、教えを乞うというのに抵抗を感じる人が多いに違いない。この男性のように、上司が女性であれば、"弱み”を見せられないのは尚更である。男女の均等雇用や男女均等賃金が社会の常識として浸透しているアイスランドでも、男性の頭の中は日本と同じで、間違った自負心が自分の成長を止めていることもあるだろう。一時の恥は一生の恥ではない。いずれにせよ、辞めるならともかく、辞めさせられるというのはアイスランでも不名誉なことだ。彼の今後に幸があることを祈りたい。

天気がいいと、気温が15度に満たなくても、アイスランド人たちは半袖になって屋外を陣取る。
そんな日は、職場にいる人たちもそわそわし始め、仕事にならないことが多い。
冬が長いアイスランド人は、それほど太陽の光を切望するのだ。

別途特筆すべきは、アイスランド人は支払われない残業は決してしない。9時から始めれば17時、8時半から始めれば16時半、それが法律で決められた就労時間、その後のプライベート時間とはきっちり線を引く。仕事が早く終わったときは、就労時間を切り上げてさっさと帰る人たちもいる。金曜日や天気の良い日は特にそのパターンが多い。仕事中に「ちょっと用事で」と抜けることも少なくないし、個人の携帯も鳴らしっぱなしで音を消すこともない。仕事の合間の私メールや私電話は当たり前である。

ある意味微笑ましいのは、自分たちが勝手をしている分、同僚にも寛容であるという点だ。例えば子供が病気だからと仕事を休むのは全く問題はない。みながいずれかの時点で子育てをするか、またはすでにしてきたので、困ったときはお互い様と考える。急ぎがあれば、家に仕事を持ち帰りもするし、頼める同僚がいたらお願いすることもあるだろう。もちろん場合によっては一旦仕事を脇に置いて、顧客を待たせることもある。

職場の誰かが欠けても、短期間であればお互いにフォローできるように常日頃からみなが自分のスキルを磨いておくのが理想だが、もちろんなかなかそうはいかない。自分の仕事が終われば、はいさようなら、家に帰ります、だからである。だからアイスランド人たちは割り切る。できないことは、できないのである。

それでも家族の中で一番弱い子供を優先することが当たり前になっている社会は強い。女性が子供を産み、育てながら働くことを諦めないからだ。周りの理解は働く女性に安心感を与える。

つい先日、幼稚園や託児所のストライキのために、職場のママたちが自分の子供を連れて出社してくることが数回あった。職場の同僚誰一人それを気にすることもなく、子供たちも与えられた場所で大人しくタブレットを見たり、ゲームをしていた。同じような園児が二人来た時に、一緒に遊ばせたらいいんじゃないと言ったら、あの二人が一緒になるとエキサイトして大きな声を出すからダメなのよ、という答えが返ってきた。すでにお試し済みのアイディアだったのである。それほど預けるのに困ったときの職場への子供連れは頻繁にあるのだと言える。

アイスランドの社会もいろいろなハラスメントやイジメと無縁ではない。会社の中で権力を持てば、男性も女性も同じようにパワハラをする。しかしされた方は黙ってはいない。自分のことは自分で守る、声を上げて自分の意見を言うことが教育の中で身についているためだ。どうしても丸く収まらない場合は、所属の部署や仕事内容を変えてもらう希望を上司に伝えることもある。

アイスランドの職場が面白いのは、子育て中のママさんや中堅の働き盛りの層だけでなく、すでに年金がもらえるリタイヤメント組も同じように働いていることだ。年金生活を始めた後に、65歳頃で出戻ってくる人たちもいる。経済的に働く必要のある年金退職者もいれば、描いていた年金生活が思っていたほど楽しくなく、退屈して家にいるよりも社会との接点を再び持ちたいと仕事に戻ってくる人もいる。

日本のように、一定の年齢に達すると、やりがいのない仕事が与えられたり、給料が半分近くまで下がるということはない。長生きする高年齢者の多いアイスランドでは、55歳~65歳という歳は労働年齢としてはまだまだいける。ジョブ型の雇用であるため、経験とスキルに給料が支払われる背景も彼らが同じ条件で働ける理由のひとつだ。大抵の会社は、人材が良ければ希望の労働時間で雇用する。年齢が上がれば、同じ就労時間が体力的に厳しいことは当たり前だからだ。

職場にいろいろな年齢層や家族構成、異なった家庭環境を持った人たちが集まると多様性が生まれる。アイスランドでは、互いがそれぞれ違うことを認め合う。自分が他と同じであることが強要されないと同時に、他も自分と同化する必要がない。お互い様と無理せずできる範囲で助け合う。性やジェンダー、年齢の壁を乗り越えたアイスランドの職場には、こんな北の果ての国であるにも関わらず、国籍が違う人たちも集まり始めた。アイスランドも、本物の意味での多様性が試される時代になったのだなあとつくづく思う。




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