見出し画像

久しぶりに「サライ」を聴いたら。

きのうは、ずっとテレビで、追悼の意を込めて谷村新司さんのことが取り上げられていた。

堀内孝雄さんと、もう一人のかたと、グループ「アリス」を組まれていたのは知っていたが、ドンピシャ時代ではなかったので、失礼ながらそんなに興味があったわけではない。

だけども、かの有名な「いい日旅立ち」を提供されたのは知っているし、他にも聴けば「あぁ!」という曲は、いくつかある。


そんな私でも、谷村新司さんが作詞されている曲のなかで、「サライ」は忘れられない。

初めて聴いたのは、忘れもしない、結婚して数年たったころの「24時間テレビ」のエンディングだ。

歌い出しの歌詞にくぎ付けになった。

あの時の自分と重なって。

遠い夢 すてきれずに 故郷をすてた
穏やかな 春の陽射しが揺れる 小さな駅舎
別離より 悲しみより 憧憬はつよく
淋しさと 背中あわせの ひとりきりの旅立ち

動き始めた 汽車の窓辺を
流れてゆく 景色だけを じっと見ていた
サクラ吹雪の サライの空は
哀しい程 青く澄んで 胸が震えた

                      サライ/作詞:谷村新司,作曲:弾厚作 より引用  
 


ボストンバッグひとつ下げて、「じゃ、行くわ」。

不愛想なわたしに、背中で見送る母。

確か別れ際に、「ホンマに行ってしまうんやな」みたいなことを言ってた。

出たくて出たくてたまらなかった実家。

駅に向かう道中は嬉しくて仕方がなかった。


だけど、「今まで育ててくれてありがとう」みたいなこと、言えばよかったかなと少し後悔。

何も言ってこなかったなと、少し気がかりになったのを覚えている。

それでも、足取り軽く、駅へ向かう私。


幾度も利用した電車に飛び乗ると、心境は微妙に変わっていたのだろう。


見慣れた駅舎を背に、風景が動き出すと、不意に涙がでてきた。
周囲の人に泣き顔を悟られないように、窓際にたって、流れゆく風景をじっと眺めた。


居心地悪かった実家を、あんなに離れたかったのに。

それに、故郷となる地には、そんなに良い思い出はなかったのに。


それは、紛れもなく、その地を離れる寂しさと不安だった。
それくらい、親に守られていたということだろうか。

だけども、憧れや希望も持ち合わせていて、とても複雑なおもいだった。


ちょうど二十歳のことだ。


就職した後も、幾度か実家に帰ることもあったが、よい思い出はない。


それでも、時々、あのときのことを、何かの拍子に思い出すことがある。


「サライ」を初めて聴いたとき、あの時の原風景が蘇り、涙があふれた。


私にとって、あの時が人生のはじまりだった。


私が小学校入学の時から15年ほど暮らした故郷というべき実家を思い出したが、そのとき既に、帰ることもなくなっていた。


今回、久しぶりに「サライ」を聴きたくなった。


思いはあの時と同じで、自然と涙があふれる。

だけども、歌詞の一部分で、ふと我に返る。

離れれば離れる程 なおさらにつのる
この想い忘れられずに ひらく古いアルバム
若い日の父と母に 包まれて過ぎた
やわらかな日々の暮らしを なぞりながら生きる

サライ/作詞:谷村新司,作曲:弾厚作 より引用  

昔、聴いたときには、そこで我には返らなかったが、父が亡くなってから聴いたのが初めてのせいだろうか。
「やわらかな日々の暮らしを、なぞりながら生きる」ように、人生が変わったからからだろうか。

遠いとおい昔、父も母も若かりし日、幼かった私は、幸せだったのかもしれない。
父の笑顔も、母の笑顔も、そこにあって、弟もヤンチャしながら賑やかな一家。
まだ、妹もわたしを姉として慕って、後を追いかけてきた。

父にも母にも愛されていたのかもしれない。と、微かに思い出がよみがえる。


その後は、
「まぶたとじれば 浮かぶ景色が
迷いながらいつか帰る 愛の故郷(ふるさと)」
のフレーズが幾度かでてくる。


私が家を出て数年後、父が定年を迎え、その家は引きはらい、両親の故郷となるこちらへ帰ってきたので、私にとっての実家はもうない。

新居となる家は、母方の祖母の傍に建てられているが、一度も足を踏み入れたことはない。


「実家」とよべるところはもうないけれど、故郷は形を変えつつ、そのまま存在している。

そこでどんな思い出があろうとも、親元を離れるまでに過ごした、大阪のあの場所が故郷だと、改めておもう。

この歌は、全国の視聴者から寄せられた愛のメッセージを基に、谷村新司さんが作詞されたというから、ある程度年を重ねた方は、そのような原風景を共通してもっているのかもしれない。


「いつか帰る場所」がないことに、一抹の悲しさや寂しさをかんじるが、この先、更に年をかさねても、この歌を聴くと、あの原風景を思い出すのかもしれない。

また、年を重ねるごとに、捉え方や印象も変わっていくのかもしれない。

昨日は、鼻歌まじりで「サライ」を歌いながら、夕ご飯のおかずをつくった。


谷村新司さん、素敵な歌をありがとうございました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?