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194 抵抗感


はじめに

先日のことです。大手テレビ局の情報番組で生成AIで作られたフェイク画像として放送された、パレスチナ問題に関する画像が実は、逆で生成AIを使って作られた画像ではないものではない、という訂正がされました。
テレビ局という映像の専門機関ですらフェイク画像であるかどうかの判別というのは大変に難しいということがくしくも証明されてしまいました。それ以外にも生成AIを悪用した事件がいくつも発生しています。
こうした事態を見聞きすると次第に人というものは抵抗感が高まっていくわけですが、今日の教育コラムでは生成AIとどうかかわっていくのかという点について少しお話ししながら抵抗感についてもお話してみたいと思います。

生成AI

著名人の声や顔をそっくりに生成するフェイク画像や動画は、ディープフェイクと呼ばれますが、こうした作品の作成には大変に高い知識や技術が必要でした。しかし、近年の生成AIの普及と様々なアプリケーションの開発により作成に必要なスキルや知識のハードルはぐんと下がっています。
みなさんも、YouTubeなどを視聴するときにAIで作った音声を聞いたり、字幕やキャラクターなどを見たりすることが多いかと思います。今は、まだ声色まではよく似せられても、イントネーションや個人個人特有の話し方までは完全にまねるところまではいっていません。
しかし、こうした多少の人間との違いは次第に、人間の耳と感覚では区別がつかないほど精度が上がっていくまでに1年とかからないかもしれません。なぜなら、AIは休むことなく自己学習を今もこうしている間に進めていて、用いる側の人間のスキルも急速に向上しているからです。

生成AIの悪用

人間はさまざまなものを悪用してきました。紙や鉛筆ですら悪用してきたことでしょう。道具は、使い手の意志で善にも悪にも染まるのです。生成AIもそれ自体に抵抗感を持つ必要はなく、使い手の意志のありようにこそ留意すべきなのです。
最近で言うと他人の顔を生成AIで創造した身体と合成し、ネット投稿した男子大学生は、名誉毀損の容疑で警視庁に書類送検されました。また、こうした画像をうのみにして、うっかり拡散した人も名誉毀損や業務妨害、または幇助(ほうじょ)に問われる可能性だってあるのです。
プラットホームを運営する側に対しても管理責任を国は求めるでしょうし、こうした生成AIを用いた悪事に対する、法的な罰則だけではなく社会的な制裁も重くなってきています。こうした動きは、必要な法の整備やルール作りに発展していきAIを用いる危険性や有用性をより一層明確にしていくわけですが、一方で自由で闊達な使用を制限することにもつながります。
自由とは、人を傷つけたり人権を無視したり悪用したりするような行為には適応されない概念だと考えればこうしたことも仕方ないとも言えます。

抵抗感

AIに対する抵抗感があるという人は、現在は決して少なくないと言えるでしょう。その理由は様々ですが、仕事が奪われるであるとか、世界が乗っ取られる、などといった大変にネガティブな話題も含まれていると承知しています。
「抵抗感」とは、肉体的または精神的に身に受ける感覚を意味します。その感覚はどのようなものかというと、そのまま素直に受け入れるには、少し躊躇するようなしっくりしない感じや反発したいと思うような感情に近いと思います。
生成AIを利用したことのある人に関する調査を見ていくと、生成AIのビジネス利用は、実際に活用中という人が3.0%、トライアル中という人が6.7%となっています。検討中が9.5%ですから、利用予定の方と利用している方の割合を合わせても20%程度となります。
これだけ抵抗感が強い状態がどこまで続くかはわかりませんが、生成AIに触れたことのない人が多いということは、それだけ騙されたり、悪用された時に免疫の低い人が多いとも言えます。使ったことのあるものや作り方を知っている人は、その上手な活用方法を理解し、悪用に対抗できる力を身に付けることができる可能性が高まります。

物がいけないのか人がいけないのか

人間は、兵器開発の過程で様々な科学技術を発見し生活に結び付けてきました。兵器開発のきっかけは、戦争、動機は人の命を奪うためです。
計算機、インターネット、自動車、原子力発電、スマートフォン、電子レンジ、などなど軍事産業の恩恵から誕生したものは数知れずといったところです。適度な抵抗感を持ちながらも、正しく使う方法と心構えを身に付けていくことが重要なのです。やはりここでも、リテラシー教育が重要だということになります。

AIリテラシー教育

学校教育における情報リテラシー教育とは、
①情報の真偽を判断する能力
②情報を適切に活用する能力
③情報を安全に活用する能力
を育む教育としています。
一言でいえば「情報を適切に使いこなすための教育」といえます。総務省の調査では、インターネット全体のデジタルデータ量が、2000年を10とすると、2020年の時点では6000倍に拡大しています。現在はさらに加速しています。情報爆発が起きているわけです。日々、爆発的に増えてきているデジタルデータは教育の現場でも活用が始まっています。
タブレットなどを活用したICT教育では、ICT端末を活用した授業とともに、情報の取り扱いについて学ぶリテラシー教育は必須のものとなっています。
AIリテラシー教育はまだ進めている学校は少ないわけですが、近い将来必ず必要になります。望む望まないではなく必ずAIと関わる未来があるのです。スマートフォンが手放せず暮らすようになった私たちには、このような現象が様々なかたちで生じていきます。そのたびに抵抗感を持ち続けることは、難しいのではないでしょうか。だからこそ、リテラシー教育が重要なのです。

リテラシー教育の重要性

リテラシーの語源は「literacy」です。意味は「読み書きする能力」を指します。 現在の社会においては、「ある特定分野に関する知識を適切に理解し、解釈して、活用する能力」を意味します。
それぞれの分野としては、「情報リテラシー」「金融リテラシー」などといったものをみなさんもご存じかと思います。
適切に理解し、解釈することは、学びの本質にかかわる重要な営みであり、目標の一つだと言えます。そして、活用する能力は、その正しさや適切さに準じたものではなくてはいけないのです。
教育現場は、むしろ情報やAIといったものにふれる活動の中で適切な理解と解釈を促し、ルール作りができるような子どもたちを育てていく必要があるのではないでしょうか。

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