見出し画像

180 信玄公まつり


はじめに

2023年10月27日(金)〜29日(日)の3日間の予定で開催されているのが、山梨が世界に誇るイベント、信玄公まつりです。山梨に越してきてすぐに私も初めてこのお祭りを目にしました。
確かあの頃は、信玄公の命日の4月12日の前後だったような気がしますが、武者行列や出陣の儀礼を再現した催しにはとても感動しました。歴史好きの一人としては、鎧武者があの人数でそろっているのには心が躍りました。
今年は、県内各地から約1200名の方々が武田軍団として信玄公の下にはせ参じているようですから、その勢いはすさまじいことでしょう。

甲州軍団出陣

山梨県の英雄、武田信玄のライバルと言えば上杉謙信です。信州の川中島における上杉謙信との名勝負は、最近の研究では5度にわたる合戦を繰り広げたとされています。
信玄公まつりでは、この川中島の決戦に向けて出陣する歴史的名場面の再現が見られます。今日行われた甲州軍団出陣はまさに歴史の名場面の一つと言えるでしょう。私は仕事で見に行けませんでしたが、ご覧になったみなさんはいかがでしたでしょうか。

ライバル

「疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し」
これは、武田信玄の掲げた孫子の旗に刻まれた、信玄公の軍略の基本であり究極の極意だと言われています。もともとは、古代中国の兵法家・孫子の言葉から学んだものですが、甲州軍団はまさにこの「風林火山」を体現した戦国最強の軍団でした。甲斐の国の守護大名であった武田信玄が勢力を信濃、駿河と拡大していき天下に迫らんとしたその原動力こそが、この言葉だったのかもしれません。
一方、上杉謙信は、内乱が続いていた越後国を統一した戦国武将です。その戦上手な姿と毘沙門天を信仰していたことから、「越後の龍」とも呼ばれていました。武田信玄に引けを取らず、上杉謙信も名だたる武将と戦を重ねてきています。
越後国、越中国、能登国、関東地方などにも侵攻し、武田信玄に匹敵する戦果を挙げました。戦における勝率は、武田信玄すらも上回ります。ほぼ負けなった武将としても有名です。
互いにその力を認め合い、そして、死力を尽くして戦い続けたのがこの2人だったわけです。
「敵に塩をおくる」の逸話や信玄が病の床で「何かあれば上杉謙信を頼るように」と勝頼に言い残した場面などは、歴史好きのみならず多くの人々に今もなお語り継がれる名シーンとなっています。

時代を超えて

各地方にはそれぞれ名将と呼ばれる戦国武将たちがいます。私たちは、数百年の時を超えてこうした戦国武将の恩恵を受けながら生活しているのです。例えば、観光という側面から見てみるとわかりやすいです。もしも武田信玄という人物がいなかったら、山梨県の多くのお土産や観光産業に多大な影響が出るでしょう。
こうした経済的な恩恵も大きいのですが、今日の教育コラムで最も述べたいのは、武田信玄の県民に与えている精神的な遺産の重要性です。
信玄公まつりは、世界最大の武者行列が行われることはご存じの通りですが、武者行列を現代に生きる人々が再現する、しかも世界最大の規模でです。戦国最強の騎馬隊を有した甲州軍団の子孫たちばかりとは言いませんが、信玄公のレガシーは山梨県民の県民性に大いに息づいていて、その一端が信玄公まつりに集約されているようにも思います。
歴史の厚みを感じることのできるこのイベントにぜひ皆さんも参加してみてはいかがでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?