第四巻 第二章 戦国大名の誕生

〇室町御所
伊勢盛時(五十六歳、幕府奉行衆、北条早雲)が八代将軍・義尚(二十三歳)に謁見している。
義尚「駿河の今川が、家督相続でモメておる。今川義忠の嫡子・龍王丸が成人したにも関わらず、小鹿範満が家督を返そうとせぬのじゃ」
盛時「『足利絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ』……今川の一大事、放置してはおけませぬな」
義尚「先の大乱(応仁の乱)以来、下剋上が流行しておる。君臣の理をないが

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一緒に堕落していけるなら、どんなに幸せだろう

今日の朝御飯、腐りかけのヨーグルト。たぶんダメだった臭い的に。でもヨーグルトもう腐ってるからいける理論。

コーンクリーム蒸しパンおいしい。はまってしまう。また作る。

今日読んだ本。

わたしが求めていた参謀と違った。。でも人間にしかできない共感という点は確かにそうだと思う。士業以外にも通じるはずだ。

わたしの最近のメモ。私はデータとして使える形にするまでの工程を脳で処理してやっている。

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新作YouTube 『武田信玄』

いつも神様のメッセージをご覧頂き

ありがとうございます(^-^)
 

毎朝 べがUが

皆さまにお届けする

メッセージをリーディングして
 
ベガKが神様とシンクロし

動画をお届けしております。
 

今回は

「甲斐の虎」と呼ばれた戦国武将
 

『武田信玄』

https://youtu.be/NJFGbplOh_s

 
~武田信玄様より~
 
これからも様々なことを乗り越えて進む

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雑記:甲府・甲州市内の武田氏関係寺院

山梨県甲府市は武田信虎が躑躅ヶ崎館を築いて以来、信玄・勝頼と武田氏三代にわたる拠点であり、市内には武田氏ゆかりの寺院や史跡も多く、また信玄を始め武田氏の人気も強い。

そうした武田氏関連の寺院の一つが、古府中町の大泉寺であり、ここは武田信虎の開基で、信虎の葬儀が行われた寺でもある。

大泉寺には武田信廉(逍遙軒、信虎の三子で信玄の弟)が描いた信虎の画像が伝わり、信虎の廟所もある。

廟の裏には三基

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甲信越地方の石造物⑰:円光院宝篋印塔(三条夫人の墓)

名称:円光院宝篋印塔

伝承など:三条夫人の墓

所在地:山梨県甲府市岩窪町 円光院

甲府市の円光院は、戦国時代に武田信玄によって整備された甲府五山の一つで、信玄ゆかりの勝軍地蔵像や刀八毘沙門天像などの仏像も伝わる。

また、信玄の正室である三条夫人(京都の公家・転法輪三条氏の出身)の菩提寺でもあり、境内の墓地内には三条夫人の墓と伝わる宝篋印塔がある。

宝篋印塔は無銘であるが、相輪が長大化し塔

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自分を正す

おはようございます

あなたと神様を繋ぐ

神々の通訳者 ベガです。

こちらでは毎朝

八百万の神々から

このブログを見てくださる方に

伝えたいメッセージを

リーディングして

お伝えさせて頂いてます。

今日の神様は 武田信玄

*.○。・.: * .。○・。.。:*。○・。.。:*。

*.○。・.: * .。○・。.。:*。

いつの日か人は天に召される

その間際 人は体の自由より

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歴史から学ばない生存戦略

現在無職マンでこの先どうしようかなーとか思いながら昔の大河ドラマ(武田信玄)観てます、エモい

当時の大名を今の企業組織に例えると、家臣クラスでも自分の畑耕したり農業と兼業だし、余程トップがカリスマあるか人心掌握上手くないと簡単に寝返る、、

桶狭間であーもう戦とかさっさと終わらせて美味いものでも食いたいにゃ〜ってだらだらしてたらあっさりやられちゃう今川義元

戦となればめちゃ強いけど戦嫌いで、俗

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大一大万大吉!
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今川義元の戦死を示す史料

織田信長は永禄3年(1560)5月に桶狭間合戦で東海地方の大名今川義元に勝利した。義元はこの合戦で戦死したことが知られている。

 だが多くの場合、ネットの情報ではこの事実のみが語られているにすぎない。義元戦死を示す史料がなくてはこれを歴史事実として認識することはできない。そこで今回は義元戦死に関わるいくつかの史料をみていきたい。

・佐久間信盛書状写(「伊勢古文書集」所収)

今度就合戦之儀、早

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移動中

歴史は常に勝者に都合のいいように後世に語り継がれていく。

トランヴェール9月号
新幹線に乗った時
楽しみによんでいる
沢木耕太郎さんのエッセイ

そして、今回の特集
武田勝頼
とっても勉強になりました。

「築城に込められた思い」

武田信玄の四男として生まれ、
武田家最後の当主
武田勝頼。

織田信長、徳川家康連合軍と戦った
「長篠合戦」で大敗。
この事で、父の信玄と比較されて
父が築き上げた

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わたしも
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掌編小説『信玄公の奇正論』

【字数:約二四〇〇 初稿:二〇一八/一一/二四】

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 それがしは真に腹に据えかねておったのだ。それは他でも無い。あの信長めの有名なほら吹きによ。彼奴《きゃつ》めは勝てば勝ったで真よりも大きな勝ちだったとほらを吹き、負けても対手《あいて》をほめるどころか有りもしない対手の失敗をこしらえて喧伝するのだから、まっとうな武士とは呼べぬ。

 例えば、桶狭間での義元公の軍勢を数倍にも多く云い触

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謝謝。
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