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305 中国残留孤児

はじめに

今日、3月2日は「中国残留孤児の日」とされています。
今から約40年前、1981年の3月2日のことです。中国残留日本人孤児47名が、肉親探しのために、現在の厚生労働省、当時の厚生省の働きかけで初めて公式に来日することができました。
その際、29名の残留孤児の方々の身元が判明しました。当時は、毎年お盆の頃や3月のこのころになるとNHKなどでは、丁寧に一人一人の中国残留孤児の方の情報が放送され、ご親族の方を呼びかけられていたことを子ども心によく覚えています。
今日の教育コラムは、平和教育について少し考えてみたいと思います。

第二次世界大戦と残留孤児

1945年、第二次世界大戦の末期です。日本から約150万人の人々が、現在の中国の東北地方に開拓団として居住していました。大日本帝国陸軍の関東軍も在中していたわけですが、アメリカの圧倒的な戦力とソ連軍の侵攻が重なり、大日本帝国軍は中国における重要な拠点であった、満州からの撤退を余儀なくされました。
つまり、大日本帝国の支配権は及ばなくなり、その時点でそれまで保ってきた社会秩序は完全に崩壊したのです。1945年8月15日、終戦を迎えるわけですが、その前後において戦地では混乱が続きます。日本の本国に引き上げていくための船は不足しますし、ソ連の侵攻の脅威や戦乱期特有の暴力や略奪も各地で発生しました。そうした混乱の中において人々は帰国すら困難な状況となりました。運よく帰国できた方もいれば、帰国の途中で肉親と死別したり行方知れずになったりした方も多くいました。こうして、中国に残留を余儀なくされた子どもたちが数万人に上るとされています。

遅すぎる政府の対応

1972年、日中国交正常化が行われます。その前後から、第二次世界大戦の末期、中国に残留を余儀なくされた中国残留孤児から、自分の身元や肉親を探し求める手紙が厚生省をはじめ全国の開拓団関係者等に寄せられるようになりました。
その前から、数十万人の引き上げが行われている中でも様々な理由で引き上げに間に合わない子どもたちがいることは多くの人が知っていました。大人とは違い子どもたちは、自分の判断だけで行動したり、経済的にも自分の意志で帰国できない状況がありました。また、身元を証明することの難しさもありました。
そうした難しい状況を打破するのが政府の役割なのですが、国交の正常化に20年近くかかった日本政府の対応は、個々の戦争被害者の保障や生活の回復にはさらに時間がかかったことは言うまでもありません。

小説「大地の子」から学ぶ

両親が日本人であって、日ソ開戦が直接の原因で両親が死亡、もしくは生き別れとなり、当時12歳以下の方のことを中国残留孤児といい言います。私がこの言葉の意味をしっかり理解できたのは、あるドラマの存在が大きいと思います。
それが、当時の歴史的な状況や戦後の残留孤児の人生を描いた「大地の子」という作品です。原作は、あの巨匠、山崎豊子さんです。「白い巨塔」「不毛地帯」「二つの祖国」「大地の子」「沈まぬ太陽」などは、今も色あせない大ベストセラーの数々です。
これらの作品を原作とした、ドラマや映画も多くあります。「大地の子」もドラマ化されています。因みに日中共同制作のこのドラマは、当時大変に注目を集め、多くの人の心を打ちました。社会現象にもなっていたと記憶しています。
私も、リアルタイムで母親とよくこのドラマを見ていましたが、母親は戦争で失った自分の父親のことを思い出しながら、涙しながら見ていました。
このお話は、大変に壮大で現地ロケはもちろんですが、描いている時代の描写も見ごたえがあります。太平洋戦争での敗戦で混乱期にあった満州において、残留孤児となった主人公、陸一心の人生を描きながら中国と日本の肉親との関りや心情の変化を迫真の演技で表現しています。
また、戦後の中国における文化大革命の流れ日中共同の事業を成し遂げていく復興と再建の過程を通して、互いの国の歴史を振り返っている点についても私は、とても共感できます。

遅すぎる対応

中国残留邦人の帰国は、終戦後から順次始まり、海外にいた600万人以上の意の日本人が、一斉に引揚げ始めました。政府は、昭和25年頃までに概ね引き上げが終わり、その後、昭和33年頃までにほぼすべての引き上げを完了したとしていますが、実際には、多くの残留孤児が存在しました。
1981年、3月2日はそうした意味でも歴史的に重要な意味をもちます。中国残留孤児が初来日した年ということだけではなく、未帰還の孤児1万4000人以上の存在に光が当たったという意味でも重要だと考えられます。
中国との国交がなかったこともあり、調査が開始されるまで、終戦から36年もの歳月を要したことになるわけです。一口に36年と言いますが、あまりに長い年月で、戦争が人々の人生を左右したことを象徴するものの一つだと言えます。

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