余計なことはするな
どうも、タイトルから不穏な空気を漂わせるおじさんです。
今回紹介するのはこちらの一冊『わら一本の革命』です。
Twitterなんかで何かと話題になる自然農法について書かれております。
3行読んで戻るを選択されるとただ感じ悪いだけなので、最終着地点を先に書いておくと『正しい判断をするのって難しいよね』みたいな感じにまとめたいと思います。
余計なことはしない≠何もしない
本の帯に「耕さず、草も取らず、肥料もやらず、しかも多収穫!」と書いてあります。なかなか目を引きますが、本の内容を正確に表すなら
「(耕さなくてもいいなら)耕さず、(草を取らなくてもいいなら)草も取らず、(肥料分が十分足りていれば)肥料もやらず、しかも多収穫!」でしょうか。
仕事のための仕事をしない
いかに楽をして成果を上げるかが大切なのであって、何かを絶対にしない、ということもしない。全体最適化のために必要最小限の仕事のみをする。というようなことを書いてあると私は感じました。緑肥、鶏糞、わらの投入など、作物の肥料分になるものを活用することは随所に書かれていますし、
72~73Pにマシン油と硫黄合材の使用についての言及もあります。
現代の土壌診断やIPM(総合防除)にあたる先駆的視点が見て取れます。
良かれと思った事が、かえって事態を悪くする
誰にとっても割とあるあるだとは思いますが、スケールの大きい例を挙げると、ウシガエルの餌として連れてこられたアメリカザリガニや、ジャンボタニシなんかが後々困ったちゃんになった話は有名ですね。
人でいうと便秘だからといって緩下剤を飲みすぎたらトイレから出られなくなったり、眠気覚ましにカフェインとりすぎたら逆に眠れなくなったり。
私がした失敗
私がまだ小学生のおじさんだったころの話ですが、桃の苗木を育てることにしました。早く育ってほしくて、全くの善意から10号くらいの鉢に油粕と骨粉を敷き詰めて、苗木を植えた後に確か14-14-14の化成肥料を二握りくらい振ったと思います。油粕に虫が湧いたりして当然ながら枯れました。
そのとき親父は…笑って、見ていた。
親父…?
親父ぃーーーー!!!!
と、茶番はこのくらいにして。
枯れてしまった桃の苗からするとたまったもんじゃないですが、親父サイドからするといい勉強になるだろうぐらいの考えだったのかもしれませんね。10号鉢という限られた環境でコケてくれた方が、化成肥料をそこら中にぶちまけて、庭木のことごとくを肥料やけで根腐れさせるよりマシだとでも思ったかもしれません。
そこで派手に失敗したので流石に類似の失敗をしたことはありません。2回同じようなことをしようとしたら親父も怒って止めたことでしょう。
画竜点睛か、蛇足か。
A→B→Cまでは下準備で、Dをやることで成功するパターンもあれば、 A→B→Cで既に大成功の見込みだったものを、Dをしたばっかりに台無しになることもあります。あるいはA~Cまでは全く不要でDをするだけで良いのに、慣例的にA~Cを行っていたり…
もちろん現実はA~Dというほど単純なものではなくて、無限の組み合わせの中から選ぶことになります。2年くらいは成果が出たとして、10年後に大問題になったりするかもしれません。
多角的な視野を持って最適解を選択し続けた方が、最良の結果を得ることが出来るかもしれませんが、しなければならない事が増えすぎて、したかったことが見えなくなったり、横道にそれすぎて帰り道を見失ってしまったのでは意味がありませんね。
マシン油を振るか振らないか、振るとしたら何時か。選択肢がこれだけで、完璧でなくても十分なものができるなら、確かにそれでいい気もします。
名著は何度も読み直そう
売れてる本が良い本だ、とまでは言いませんが、ロングセラーに耐えうる本は、時代が変わっても価値の変わらない名著と言っていいでしょう。
俗な例えで筆者の福岡正信さんをゲーム的に表現すると、僧侶系呪文と魔法使い系呪文をマスターした人が遊び人を経由して賢者になった、みたいな経歴をしておられます。一見すると簡単にやっているように見えて、実は経験から導き出した最適解を取っている。といった印象も受けます。
農家生まれのバッチバチ農業エリートが、一度習得した農業知識をいったん脇において、人生をかけて自分の農業哲学を追求した結果が一冊の本にまとめられたものなので、哲学的で私には理解できない部分が多々あります。
私みたいな未熟者は思いついたら筋悪でも色々試したくなってしまうので、
10年後くらいに読み返したらまた違った視点で読めるかもしれませんね。
かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 家庭菜園
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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