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はじめに。それから、インタビューをどうぞ

本編に入る前にまず、最初の最初・スタートなので。簡単にこのインタビューの紹介からさせてもらいますね。
毎月おひとりのゲストに週替わりで、以下の4つを柱にお話をしていきます。

①あなたを育ててくれた(くれている)街はどこでしょう
②いつも自分のそばにある1曲は何でしょうか
③座右の銘や大切にしている言葉を教えてください
④これからの夢や野望や展望、などなど

この4つの柱から、お話がどう派生して膨らんでいくのか。そこにも“ひと”そのものがあらわれるに違いないと思っていて、とてもたのしみです。また、
そもそも「ひとのちから、まちのちから。」と題してインタビューをしていくその理由も、インタビューを重ねていくうちに滲み出ると思っています。ただ一つだけ、このテーマでインタビューをしようと思った時“初回はこの人じゃないと成立しない”と思い描いた方がオファーを快諾してくださった、ということだけは記しておきます。
そんなその方へ、それでは。①の質問からはじめていきます。

花男:1979年札幌生まれ。バンド・太陽族の活動休止後、
ちいさな音楽工場「宮田モータース」を北海道小樽市に立ち上げ。
泥付き野菜のような音楽を産地直送で届けるように
全国へ旅を続けながら今日もどこかで歌っている。
「人生一度きり。その傍でそっと歌いたい」。
(オフィシャルHPより)

①花男くんを育ててくれた街とは?


では早速、“花男くんを育ててくれた街は?”と問われたら、どこでしょうか?

1箇所だけならやっぱり、北海道ですね。生まれ故郷で子供の頃からの思い出もたくさんあって、それで今、音楽をやっているということに繋がっているので。育ててくれた場所であり、今も育ててくれている場所として。ここ・北海道に住みながらこれからも歌って行きたい、唯一そう思える場所ですね。
あくまで“北海道”なんですね。
そう、住んでいる“小樽”って言おうかなとも思ったんですけど、今ちょうど北海道ツアーを周って色んな街に行っていて、北海道の色んな方に影響を受けたりパワーをもらっているのもあるし、残りの人生は北海道のために何か出来る自分になっていきたいな、っていう目標で。北海道のために、っていうのはあまり出来てなかった気がするんです。
コロナ禍にトーキョー・タナカ(MAN WITH A MISSION)さんや地元の小樽の皆、そして奈良美智さんと北海道のライブハウス支援(「ISARIBI HOKKAIDO」)をやったんですけど、あの時にちょっとだけ、北海道に恩返しが出来たかなって思えたんですね。

例えば『小樽』だったり、『北海道』だったり。ライブ音源のタイトルを見ても十分に、“北海道のために”活動されているように見えますが?
もしそう見えたり伝わっているのであれば嬉しいなぁ、って思う…んだけど、自分の理想通りの、北海道への帰り方というものが出来なかったんですよね。太陽族をずっと続けて、例えば怒髪天とかthe pillows、YUKIちゃんとかのように。北海道にパワーを持っていけるぐらいのバンドを目指してたので、自分の中では中途半端で、悔しくも活動休止をして帰ってくるという形になった…だから、ここから、自分が出来ることを頑張っていこうって思って、もう1回、初心に戻ってこの場所でコツコツやっていこう。そういう思いが強いからかもしれないですね、北海道のためにっていう気持ちは…って、いい人ぶってますかね(笑)。

現在、『ドッコイ生きてる雪の中ツアー2024』を
3月31日のツアーファイナルまで絶賛展開中
北海道内のいろんな街に歌を届けに行く日々を送る中での
インタビューとなった(Photo by ぽむ。

いやいや(笑)、表情からも純粋に真面目にそう思っているのが伝わってますよ。太陽族というバンドの名前も出たところで今、現在の花男くんの気持ちとしてはこの先、太陽族というのは…?
自分の中では一生、一番好きなバンドだし、活動休止とは言ってますけども…勝手ですけど、自分の中で太陽族は生きてて、太陽族をちゃんと抱きしめながら今も歌ってて。うーん…いずれやりたいな、という気持ちは正直あるし、1人では決められないし、皆で“まぁ、やってみるか!”ってなった時には。そんな日が来たらいいなぁ、って思いますね。
“太陽族を抱きしめながら”歌い続けている。
うん。だから、太陽族が活動休止になった時、本名で音楽活動をしていくっていうのも考えてはいたんですよ。でも、(太陽族)とか(Ex.太陽族)みたいな感じで付けなくても見えなくても、心の中にあればいいか、って思って。太陽族を抱きしめながらやっていきたいから、太陽族の時のまま“花男”で歌おうと。“花男”として歌っていく、っていう覚悟を持って勝負していく方が、と思って……って、泣いちゃいますね、こんな話をしちゃうと。
ひとり“花男”の名前で歌っていくと決めた時には、そんな思いがありましたか。
そう。例えばライブのフライヤーとかでデザインの確認の時に“花男(太陽族)”とか書いてあっても“花男”だけでお願いします、って言ったりして。やっぱり、現在進行形で作っている曲で勝負をしていく意味でも潔いかなって自分の中では思っていて。花男の中に、太陽族はちゃんといるから。あぁ…何かもう、このまま飲みたいっすね(笑)。
ですね(笑)。きっと今年もどこかのイベントでご一緒出来るでしょうから乾杯できるのを楽しみにしてますよ!
ね!でも本当に、最初の頃は太陽族の歌も歌わずに…自分だけのものじゃないし、太陽族の歌を歌って俺だけチケット代で収入を得たりするのも他のメンバーに対してフェアじゃないな、とも思って。でも…やっぱり太陽族の曲も歌いたいなっていう気持ちに嘘をつくことになるから、歌わせてもらって。活動休止からもう8年経って、だんだん…今は、楽しくなってきたかなぁ。
俺と対バンするとサプライズで太陽族の曲をコピーしてくれたりする可愛い後輩がいるんですよ。そういう時、2番からは俺もステージに出て行って一緒に歌うんだけど(笑)、そういうことも出来るようになりましたね。

“花男“の名前でひとり歌い続ける今
北海道から全国各地をギター1本で飛び回る
地元ミュージシャンから著名ミュージシャンまで共演も数知れず
(Photo by 濱田恭輔/小樽スタジオフォトス

そっか、抵抗みたいなものがあった時代もあったんですね。
メチャクチャありました。“花男は結局、太陽族にすがってる”みたいに見られるのがすごく悔しかったし、ちゃんと前に進んでる自分っていうのを見せたかったしそういう自分でいたかったんで。例えばだけど…JUDY AND MARYからのYUKI、ザ・ブルーハーツからのザ・クロマニヨンズ、Hi-STANDARDからのKen Yokoyama、皆さん過去を胸の中に持ちながら今、今を歌っている。次に向かっている姿勢をちゃんと持ってる。だからカッコいいんじゃないかなと俺は思ってて。俺も自分なりに、花男として歌ってみる。そこから生まれてくる感情でライブを演る。“太陽族の曲を演れー!”ってヤジられたりすることも最初はあったんだけど、今の俺の曲を聴いてくれよ、みたいな気持ちで、“うるせぇこの野郎!”って思いながら(笑)。
今もまだ迷いとか悩みとか悔しさとかもあるけど、でも、花男として色んな曲を、歌いたい曲を歌ってる。地に足が少しずつ着いて、歌えてるかなぁという気はしますね。過去を超える新曲を作ってやるぞー!みたいな気持ちを、心の中の姿勢としては、ずっと持ちながら。
ミュージシャンに限った話ではなく“今”を生きるというのは必要なことで、でも実に難しくもあるのだけれど(笑)。ところで『小樽』をリリースしたのが2014年ということは、ソロで歌い始めて10年経つということですか!
ちょうど去年で10年だったんですよね。だから去年、祝える時には祝っておこうってこっそりツアーもやったりしたんですけど、言ってもまだ10年ですから、カスみたいなもんですよ(笑)。
いやいや、10年続けるって大変なことですよ。10周年、おめでとうございました!
ありがとうございます。本当もう…この歳になると続けるのがなおさら大変ですよね(一同笑)。これからは20周年を目指して頑張って行こう、って思ってるかなぁ。太陽族の方は1996年に結成してるから、そっか、あと2年ぐらいで太陽族は30年とかに、なるのかぁ。


【「②花男くんの側にある1曲は?」に続く/3月15日更新予定】

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