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③「花男くんが大切にしている言葉」とは?

読売新聞夕刊(3月14日付/全国版)に花男くんの記事が掲載されました。今回のインタビューともつながるような内容ですのでぜひご覧ください↓↓↓

②「花男くんのそばにある1曲」から続く】

花男くんの座右の銘とか、大切にしている言葉は何でしょうか?
すごくシンプルな言葉で、“楽しもう”っていう言葉ですね。自分がやってる「宮田モータース」っていうレーベルで嫁さんも一緒に動いてくれて子供も2人いて、“行けるところまで宮田モータースで生きてみよう”って、お金が足りなくなったら俺もバイトしたり嫁さんも仕事に行く覚悟でやってるんですけど、お金もちゃんと稼がないといけない。だから物販とかお客さんを増やすことを“やらなくちゃいけない仕事”みたいになって、それが重なってくると、本来、好きだったはずの音楽が…辛いっていう感覚に、突入しそうな瞬間があるんですよね。
そういう時にやっぱり忘れたくないのは、チケットを買ってライブに行くっていうこと…俺も、好きなバンドのライブにチケットを買って行くのは最高に楽しいし、そういう時に、もしステージ上にいる人間が“お金稼ぎのためだけ”にライブをやってると、嘘になっちゃう。だから、“楽しむ”っていうことを自分の中で、さらにお客さんも含めて、一緒に“楽しもう”って。音楽を始めたときの気持ちを忘れないようにしたいし。だからセットリストにも必ず書いている言葉ですね。

〜とある日のセットリストより〜
“楽しもう。”の文字と
“はじめてきてくれる方も
おいていかない!“

ちょっと違う喩えになるかもですが、“頑張って”と“頑張ろう”って、かける言葉としても全然違うんですよね。“楽しむ”と“楽しもう”も全然、違う。
そう、“頑張ろう”だと一緒にいる感じですもんね。俺も、お客さんとか周りにいる人をなるべく置いてきぼりにしたくなくて。かと言って例えば“1人じゃないよ”っていう言葉を乱用するのも違うし…“楽しもう”、これがもう、しっくり来たんですよね。四星球とかを見てると、ユーモアって時に真面目な歌よりもはるかに心を救ってくれる瞬間があるし。って、四星球が真面目じゃないっていう意味では全然ないんだけど、
分かる、分かる!
楽しかったな〜、っていう気持ちは明日への活力になることも沢山あると思うし、自分の中でもそういう気持ちを忘れたくないし。家族のためにも、生きていくためにも。でも俺、セットリストにいちいち“楽しもう”って書くってことは、お金のことを考えちゃうような意識が、やっぱり頭のどこかにあるんですよ。そういう自分に、“音楽は楽しいものだよ”って。
違う話かもだけど、化学とか数学は「学」だけど、音楽は「楽」っていう字を書くじゃないですか、読み方は同じ「がく」なのに。昔の人も“音楽は数学とかと違って、“楽しい”にしようか!”っていう精神性で当てはめたんじゃないかなぁ(笑)って。勿論、楽しもうぜ楽しもうぜ、って、甘ったるいことばっかり言ってらんない状況は沢山あるけど、だけど俺は最低限、絶対に“楽しもう”を忘れたくないなって思ってる。たとえ悲しみの中でも1パーセントでも、そういうのを混ぜて歌えたら良いなっていう希望の気持ち、としても。
確かに、花男くんは“1人じゃない”というメッセージを色々と別な形で言い表してるなと。例えば『小樽』に収録の「裸電球」の前、“人の心は音楽で抱きしめられるんじゃないか”って語りかけている部分にしても。
あれは…東日本大震災のあとだったのもありますよね。歌詞を作る人間だからかもしれないけど、曲を聴いてくれる人に“1人じゃないよ”って歌っていきたい、その温度を届けたい。けど、“1人じゃない”っていう言葉を使って近道をしたくない…“1人の辛さをちょっとだけでも分かっている人間がここにもいるから”って言う方が伝わる時もあると思うし、“1人の時も必要だよな”の方が良い時もあると思うし。何でもかんでも“1人じゃない”とか“頑張れよ”って言葉を使う道には逃げたくないな、っていうのと、“自分らしさって何だろう?”って考えながら、言葉を使っているところがあるなぁって思いますね。

東日本大震災という言葉が出たところで。福島県南相馬市で開催されている『騎馬武者ロックフェス』(以下、騎馬武者)を筆頭に、花男くんとわたしは東北のフェスで会うことが多いから、最初に花男くんと会ったのは震災後なのかな?と記録を遡ってみたら、2010年の『3150』(太陽族/8thアルバム)リリース後、盛岡(岩手県)にキャンペーンで訪れた時でした。
そっか、その時はもうメジャーのレーベルからも離れてた時だ。(盛岡のライブハウス・)Club Changeの黒沼(亮介/オーナー)さんがキャンペーンに協力してくださって。黒沼さんにも改めて、感謝です。
その後に東日本大震災があって、大槌(岩手県)の皆と出会って、それがきっかけになって(鎌田)仁くん(=騎馬武者ロックフェス実行委員長)と“フェス、やるか!”って、騎馬武者が始まって。だから(騎馬武者を始めたことに対して)責任も持ってるところがあって。

2023年、4年ぶりに開催された騎馬武者ロックフェス
“この場所で歌う花男が見たい”
という方がとても多い。
(騎馬武者Photo by Tomoyo

大槌町で開催されている『ありがとうロックフェスティバル』(以下、ありフェス)にも花男くんは出演されてますが、いま話に出た“仁くん”とは対バンもしたこともある元々の知り合いとして、大槌の皆と出会ったのは?
まだ自衛隊の方々が活動されている時に、岩手県の沿岸部に行ったんですよ。まだ道なき道を行くような時で、震災の前から(沿岸部の)大船渡市ではライブをやらせてもらっていたので、思い出もあったし行きたいって言って、盛岡にいる仲間たちに連れて行ってもらって。その時、大槌にも行ったのが最初でしたね。その後、太陽族として復興食堂でライブをさせてもらって、そこから、ありフェスの出演に繋がっていったのかな(補足:花男くんが指す「復興食堂」に関しては、岩手県在住のシンガーソングライター・松本哲也さんのブログの記録をご参照ください)。
そうか、太陽族も復興食堂でライブをしてたのか!
やりました。漁師たちのバンドが、津波で楽器も流されたけど楽器が手に入った、っていう時に一緒に。それが確か、大槌で開催された時の復興食堂だったと思いますね。
その後、何のタイミングだったか、大船渡に『フリークス』っていう名前のライブハウスを作るんだ、っていうのを耳にして。行ってみたい、って福島のライブハウス・アウトラインの阿部(綾子)さんに相談したら、フリークスの人たちを繋げてくれて。フリークスの人たちと待ち合わせした場所で“はじめまして”って挨拶して、そこから懐中電灯を持って歩いて行ったら、初代フリークスを作っている建物の下は(津波で)枠組みしかないような所で(補足:初代フリークス→こちらのページに当時の写真が残っていました)。まだ電気も通ってないような場所にお邪魔して、フリークスを作ってる人たちと一緒にその場で寝ましたね。そこから陸前高田の仮設住宅に歌いに行ったりとか、したんですよね。
そんなお話は全く知らなかった、初耳です。
それから、仁くんと一緒にフリークスの人たちに“騎馬武者っていうフェスをやりたいんだ”って話をしに行ったら、“だったら新沼(崇久)さんっていう『大船渡ロックフェスティバル』(現在のKESEN ROCK FESTIVAL/以下ケセンロック に繋がる)を作った人がいるから、その人に話を聞いた方が良いよ”って言われて。それで新沼さんに挨拶に行ったら“おぅ、じゃあ全部参考にしろ!”って、初年度の資料を全部くれたりして(笑)。

新沼さんと一緒の花男くん。いい笑顔!
新沼さんが残してくれた言葉やたくさんのことが
花男くんにも、わたしにも、
そしてそして、たくさんの人の心の中に残っています!!

そうだったのか…騎馬武者やケセンロック、ありフェスが“兄弟フェス”なんて言い合ったりしてる理由も初めて分かった気がします。
だから今年のケセンロックは大船渡で開催、っていうことだけで何かもう…泣けちゃうんですよね。(これまでの)ケセンロックに太陽族としても花男としても出演させてもらったのは、震災後の早い段階で大船渡に行ったことを大事に思ってくれているからだと思うし、ずっと愛情を持ってくれている人たちがね…うん、多いですよね。
花男くんとは岩手や東北のことに絞ってもお話が出来ると思って、そこだけにフォーカスを当てたインタビューにすべきかと悩んだんですけどね。
ですよね。岩手のことだけに絞ったインタビューも、1周回ったら絶対にやりましょう(笑)!

今年も、これからも、
音の鳴る場所でたくさん
花男くんに会えますように!

【「④「花男くんのこれから」に続く/3月29日更新予定(最終回)】

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