俺の五月病

ゴールデンウィーク。

何もすることなく終わりそうである。
独り身で、誰からも必要とされない俺は、
大抵こうして一人、何もしないで過ごすのだ。

今の家には昨年夏に引っ越したので、
最近知ったことであるが、
この時期は毎年、地域恒例の祭りが
大々的に開催されるそうだ。

家の周りは賑やかになり、
かなり交通規制も入るらしい。

ガキの頃には愉快だった祭りの賑やかさも、
歳を食ってゆとりがなくなるにつれて、
すっかり鬱陶しさが勝るようになった。

最後の仕事を仕舞うと、
喧騒を避けて、俺は実家に帰った。

こうして今の今までゴロゴロとし、
飯を作る以外に何もしていない。


親はここぞとばかり怠ける俺を、
なんとなく許してはくれているが、
何かにつけてクズだのカスだのと、
ありったけに俺を誹る。

歓迎されたのは、土産を持って帰った
初日ぐらいのものだ。
祖父母も叔父連中も、
親戚一同みんなそうである。

何故か長期休暇毎の恒例になってしまった
親戚を集めての焼肉イベントがある。
俺は某倉庫型スーパーの近くに住んでいるため、このための肉を自腹で用意する役になっている。

最近俺には興味などなく、肉にしか用はない、
という様子に見えてならない。

滅多に来ない連絡なのに、休みの前は、
あれを買ってこい、これを買ってこいと、
ここぞと連絡が飛んでくるのが億劫で不快だ。

まぁ所詮、他人に映る俺はアホの暇人だ。
面倒を避け、そう振る舞った俺の
自業自得であろうし、役目は果たすしかない。

勿論最初は純粋な善意で、
喜んでもらいたい一心に企画をし、
一回きりのつもりで奮発したのだが、
俺の知らぬところで恒例行事になっていた。

世話にもなっている訳だし、
喜んでさえくれればそれで良かったのだが、
たった数回で全てが当たり前になっていた。

別に感謝もないし、喜ばれもしない。
金銭的に援助してくれることもない。
俺がして当然のことだからだ。

今回もせっせと用意したのだが、
酔っ払った叔父に、仕入れた肉やら
仕込み方やらに盛大にケチをつけられ、
何かが折れる音がした。
もう次回は断るつもりでいる。

所詮全て、モノの繋がりである。
何かを与えて、何かをもらう。
結局はそれがこの社会の全てであろう。

例えば儒教においては、
尊いのは両親や親類への感謝である。
見返りを求めてはならない。

一般的にも、親は子に対して見返りを求めない。
実際に俺はそうしてもらって育った。
本当に有難い限りである。

無償に愛することが真の愛だというし、
俺もそう振る舞うことこそ尊いのだと、
暗示をかけて過ごしている。

しかし、こうしてどうにも不快感が
湧いて出てしまうのだ。

俺が結局、他者と繋がりを持つにおいて、
物質的な繋がりに縛られている証明だろう。
了見の狭い、嫌な奴だという証明だろう。

こんな風だから、誰からも嫌われないが、
好かれもしない、空っぽな男へと
仕上がってしまったに違いない。

俺は無償に何かを愛する、ということが
できない人種なのかもしれない。
人に好かれるビジョンが毛程も浮かばない。

気は滅入るし、やることもないので、
アニメの世界に逃げようと、
流行りのスポ根アニメを見始めた。
しかしこれが良くなかった!

内容はとても良かったのだが、
友情も努力も勝利もない己を見つめて、
すっかりバッドトリップ状態である。
最悪だ。

愛されるには愛さないといけない。
俺の思う愛情は多分全て間違っている。

普通であることのレベルの高さが身に染みる。
本当に不毛な休みを過ごしている気がする。

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