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私は私の人生のテーマを生きていく

私には昔から「将来の夢」というものがない。

だからいつか何か夢をもたなければいけないのではないか。そう考えていた。しかし、ないものをつくろうとしても卑屈になるだけだ。だから自分自身を尊重するためにこの呪縛を手放すことにした。同様にあらゆる「こうあらねばならない」を手放すことにする。

人はある時を堺に自分の人生のテーマのようなものに強く影響されて生きていくのかもしれない。歳を重ねるごとにこの仮説はより確信になっている。

私は今まで「こうあらねばならないのではないか?」という理性や義務感に縛られて生きてきた。この習性は私の人生のテーマに起因する。

私の人生のテーマは、自らの存在意義を否定しなくてよくなることだ。むしろ呪いといっても差し支えないかもしれない。私は幼少期から自分自身を、世界を、強く否定して生きてきた。決して病んでいたわけではない。まるで必然のように、健やかに否定をして生きてきた。自己の否定感が強いから「こうあらねばならならない」が表出する。

私の人生のテーマはある時からプラスのエネルギーも発するようになった。私は私の存在意義を肯定するために人間をもっと愛したいと願うようになった。世界の美しさをもっと知りたいと思うようになった。そしてそれを誰かに伝えたいと願っている。そうして誰かの存在意義も肯定したい。

私の人生のテーマを言い換えると存在意義を肯定することになる。きっとこれが私が生きていく理由なのだ。

右往左往、いろんなところをふらふらしてきた。プラスの方面やマイナスの方面からこの人生のテーマに向き合ってきた。いずれにせよどうやらこのテーマに収束するのだと気づいた。だからもう覚悟を決めてこの人生をとことん生きることにする。

だから、もっと審美眼を磨きたい。世界の美しさをもっと多く、深く、見出だせる人間になりたい。美しいものを美しいと言うに足る人間でありたい。だからもっと自分の人間性を磨きたい。もっと人のことを笑顔にしたい。だからユーモアだって忘れぬよう。小さくとも、たしかな愛をもって人と接したい。だから勇気を出して人と向き合おう。

流行りや欲、大衆に合わせる楽さに流されてしまいそうになるけれど、自分の人生のテーマからはもっと逃げようがなさそうだと気づいてしまったから。私は存在意義を肯定するという私の人生を生きていく。

そのために下記の行動を実践していく。

●審美眼を磨く
-たくさんの芸術に触れて咀嚼すること、自然や人とかかわること
●健やかである
-食生活を整え、適度に運動し、インターネットや世俗的なものに溺れすぎないこと
●表現する
-文章を書き、楽器を演奏し、言葉を話し、写真を撮る
●愛する
-人を思いやり愛情をもって接すること
●はたらく
-ユーモアで楽しい時間と和みを。仕事を通して人や社会に貢献を。

自分を制御したり疑うために使っていたエネルギーを、自分という人間を最大限に活かすために使っていこう。奇しくも明日から会社の新しい期のはじまり。心機一転、歩んでいく。

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