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軍服の美と禁秘。

私が沢田研二が夜のヒットスタジオで熱唱する『サムライ』を観たのはいつの日であったか。確か初見はYouTubeだったと思う。何気なく、『勝手にしやがれ』、『時の過ぎゆくままに』と素晴らしい映像が目白押しであったのだが、ナチスのハーケンクロイツの腕章を身につけ、指を天界に突き上げて歌い出す沢田研二は甘美であり、背徳であり、魔的であった。永遠のハンサムガイ、アラン・ドロン主演映画の題名から名作詞家、阿久悠は『サムライ』の題名を取ったが、不器用だが美学を貫く一本気な男の姿を見事に書き切り、大野克夫が冒頭から印象的な曲を付けた。沢田研二の代表曲としてファンから愛され続けている。
 久世光彦も『昭和幻燈館』でハーケンクロイツを身につけた沢田がその後、封印してしまったことを惜しんでいたが、私もそう思う1人である。このコスチュームをプロデュースした早川タケジは天才である。
 ナチスを語ると厄介なことになるが、アドルフ・ヒトラーが、有名な話だが元々画家志望で、芸術に造詣が深く、退廃美を毛嫌いしていたのは有名だ。エゴン・シーレなど。名作『地獄に堕ちた勇者ども』を観ると必ずナチスの制服に目が行く。なんと機能的な、洗練された美の世界が制服に宿っていると感じてしまう。ルキノ・ヴィスコンティも関節的に、いや直裁的にヒトラーの美意識に魅了されたのだろう。
 ここだけの話だが、昔ある古物商に出入りして、そこのご主人との会話を楽しんでいた時期がある。基本古本を買っていたが、ご主人が上目遣いに私を見てこう言った。
「秋山さん、ナチスの制服お好きでしたよね」私はこう答えた。「はい、あの様式美が好きですよ」。そして、ご主人は手招きをして、「これ、これ」と指をさすと、そこには制帽から全て揃ったナチス上官の制服があった。「秋山さんならこの金額でいいですよ』と、ある金額を提示されたが、丁寧にお断りした。しかし、一瞬手元に置きたいと考えたことを告白しよう。
 フジテレビが、あの『サムライ』の映像を封印しなかったのは英断だと未だに思っている。
制服の詰襟にしてもブレザーにしても軍の名残であると考えている。陸軍、海軍関係なく明治から大東亜戦争までに、使用された軍服を靖國神社で観るのを楽しみにしている。時代時代の制服を眺めて至福の時間を楽しんでいるが、その布の裏地には命を賭けた男たちの肉体が包まれていたことを忘れた事はない。
靖國神社に行くといつも思い出すのは2・26事件で処刑された将校のことである。彼らは逆臣として祀られることはなく、渋谷に碑を遺すのみである。沢田のハーケンクロイツと結びつくのは、萩原健一が映画『2・26』で演じた野中四郎歩兵大尉であろう。500名の兵を率いて警視庁を一瞬でも占拠し、最後に自決を選んだ男の制服にも美はある。萩原健一に乗り移った野中の御霊は軍服と共にスクリーンで蘇った。軍服で昭和維新を叫ぶ萩原の表情は端正な表情で国難を慮り、挙に出た男の悲哀と迫力を蘇らせている。その萩原も今は居ない。
沢田研二のナチスの制服の美はDVDに刻まれ永遠となった。萩原の野中四郎も。コンプライアンスという言葉に毒された世間は、歴史も葬り去ろうとしている。おかしな世の中である。
2.26事件の映画は今後、再び創られるかもしれないが、ハーケンクロイツは無理だろう。
コンプライアンスは要らない。それを私は強く強く言いたい。

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