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片隅まで透明に塗られた世界で / 原広司『均質空間論』をよんで

世界にはさまざまなバイブルがある。

キリスト教には聖書が、受験生には赤本が、シティボーイにはPOPEYEが、料理にはクックパッドが欠かせないように、建築を志す者にとってのバイブルの1つとして君臨しているのがこの原広司による『空間<機能から様相へ>』である。

学生の頃に図書館で読んだことがあったが、改めて読み返すと名言の嵐で傘も差せない。ということで、名言を容赦なく浴びせられズタボロになって読んだこの本の感想を書いてみたい。そもそも、ただの小説にもかかわらずAmazonにて8106円で購入した本書であるが、このベラボーに高い値段以上の価値は確実にあった。(ちなみにいまAmazonを確認すると、4000円台で売っているじゃないか!オーマイガッ!)

この本は「均質空間論」「<部分と全体の論理>についてのブリコラージュ」「境界論」「機能から様相へ」「<非ず非ず>と日本の空間的伝統」という5つの章から構成されているのだが、今回は「均質空間論」に絞って思ったことを書いてみる。

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ところで、このぼんやりとした曖昧な像を結んでいるのは僕の地元、名古屋市は千種区周辺の風景だ。なんだか道が広い。というところに名古屋らしさを感じるのだけれど、なんの変哲もなく建っているこれらの建物群が子供の頃から不思議だった。

「なんで世の中にはこんなに四角い箱ばかり並んでいるのだろう」

少年時代からの問いに、キレイさっぱり答えを出してくれるのがこの均質空間論である。哲学や数学、物理学や和歌など、どれだけ知識のレンジが広いんだ、という原広司さんの文章を読むのはまさに巨人の肩に立つような感覚。ただしそれだけではない。この本が伝えてくれるのは、均質空間がこの世に広く蔓延することになった過程だけでなく、その均質空間の根がどこまで深く私たちの奥底に這いつくばっているのか、そして、そのことに無自覚に生きている私たち自身の怖さを改めて認識させてくれる。

僕がこの会社に入って初めての歓迎会で、上司がプレゼンしていたオフィスのプロジェクトは、最新技術を駆使して、自由にデスクを配置できる無柱空間を実現させているというものだった。実際にたくさんの賞を受賞していたし、オフィスを使う企業にとっても広々とした空間を自由に使えるのはメリットなのだろう。だけど、プレゼンされた均質空間は建築というよりは建物だった。たしかに空調機によって均質な温度調整は可能だろうし、大きな柱によってコミュニケーションが阻害されることはない。でもなんだか物足りない。

原広司は、近代建築を総括して以下のように語っている。

わかりやすく言えば、近代建築が行ったことの総体は、ミースが座標を描き、コルビジェがその座標のなかにさまざまな関数のグラフを描いたという図式によって説明される。(p21)

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シーグラムビルもレイクショア・ドライブ・アパートメントにも行ったのに、今はこの写真しか手元になかったのだけれど、これはシカゴの連邦政府センターに行ったときの写真。ミースが作り上げたガラスと鉄のユニバーサルスペースは、合気道のような建築だと思う。つくらないことを徹底してつくられた建築。周囲の力を飲み込んで、自分のものとしてしまう建築。

このガラスの箱は、デーモンのように思える。この均質系は、いかなる混成系をもってしても、それを外から覆ってしまうかもしれないからである。ニュートンの絶対空間のように、ガラスの箱は幻想なのである。しかし、その幻想は、今日も世界の主要都市で次々と立てられている。私の期待は、ある日誰かがガラスの箱に代わる1枚のスケッチを見せてくれることだ。(p21)

例えば、図面枠が長方形なのも、世の中の紙がすべてきれいに真っ白なのも、どこかでわたしたちの創造意識の根底を支配している均質空間の表出物の1つなのだろう。もしかしたらわたしたちは、片隅まで透明に塗られたこの世界で、その透明さに気づくことなく生活し、設計活動を行なっているのかもしれない。10+1の記事の中で青木淳さんが使っていた表現で「西遊記で、孫悟空が活発に動きまわるけれど、所詮はすべて仏様の掌の上だったというような感じ」という表現があるけど、均質空間を乗り越えるために建築について考えるということも所詮そういうことなのかもしれない。均質空間を乗り越えるためには空間概念そのものについて考えなければならないのであろう。

僕はゼネコンで建物を設計する身であるけど、建築家の西沢大良はゼネコン建築と均質空間について以下のように語っている。

「均質空間論」という論文は、粗っぽく言い直すと、「ゼネコン建築論」と言えば通じるかもしれないです。今日のゼネコン建築は、元を辿るとミースのオフィス建築に行き着くわけですが、それらを批判的に考察した論文です。ミースのオフィス建築、および今日のゼネコン建築は、たしかに立派なものかもしれないし、不可避的かもしれないが、それで人類史が終わってしまうわけがないだろうということが書いてあります。(10+1 〈建築理論研究 02〉──原広司『空間〈機能から様相へ〉』西沢大良(ゲスト)+南泰裕+天内大樹)

子供の時に抱いたあの疑問をさらに加速させていくような業界で働いているのだが、心のどこかでその渦中にいるからこそできることがあると感じている。

原広司の文体で好きなところは、彼がよくその語尾に用いる「だろう」という言葉だ。この本が出版されたのは彼が52歳の時であるけれど、少年のような文体で、知識に裏付けられた推測をもとに未来を予測していく姿に感銘を受ける。「均質空間論」に続く「<部分と全体の論理>についてのブリコラージュ」「境界論」「機能から様相へ」の3つの章ではこの状況を打開するための作者の思索の奇跡が記されている。次は、これらの章に対して思ったことをまとめるとともに、自分なりの「だろう」について書いてみたい。

*空間<機能から様相へ> 原広司(岩波書店,2007)

*10+1 〈建築理論研究 02〉──原広司『空間〈機能から様相へ〉』西沢大良(ゲスト)+南泰裕+天内大樹

*10+1 続・かたちってなんだろう ──青木淳(建築家)+ 浅子佳英(建築家、インテリアデザイナー)





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