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パパはこうして歯医者になったのだ

歯科医といえば当然理系職だ。

なのに突然あるまじきことを言うが、私は理科が嫌いである。身も蓋もないが全く興味がない。

逆に1番好きで得意なのは地理で、高校時代は勉強しなくても偏差値80くらいあった。次が数学でこれも偏差値70を越えた。なのに他の教科は平均レベルというアンバランスだった。

 今は変わったようだが、当時我が母校の某地方国立大学歯学部は変わった受験科目を課していた。英語か数学か物理か化学か生物、どれかひとつ選んでその1教科のみで勝負、要は変態を抽出するような試験だ。

変態だった私は夜行列車に乗ってはるばる数学のみを受けにその街へ行き、そして当たり前のように受かって歯医者になってしまった。

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小さな接骨院を開院している私の両親は、サラリーマンを悪いものだと決めつけていた。自分のルール以外は一切認めない人たちだ。高校時代、大人になって自分の行きたい道を歩く希望はなかったし、それはワガママだと思っていた。だから勉強する気力はなかった。

両親は息子がそれなりに勉強が出来るのを知ると、どうしても医者か歯医者にしたがった。だけれど私は本当は社会や都市に興味があって、一橋大学に行きたいと思っていた。

17歳だった私は、両親の説得というか脅しというかサラリーマンになったら人生終わりみたいな思想を高校3年の時期に毎晩聞かされて結局歯学部を受けた。なので家で受験勉強をしたことがない。いや正確には一橋大学を目指そうとして1か月間は1日中勉強してたが、学校にまで根回しして教頭が出てきて説得されてそんな夢は終わった。

歯学部の勉強は死ぬほどつまらなかったが、成績はまあまあよかった。これもあんまり勉強せずに卒業して歯科医師になった。

困ったのはその後だった。

社会に出たら、うすうす感づいてはいたが自分の歯科医としての適性のなさに絶望した。ぶっちゃけ開業医は接客業である。下手くそだけど口が上手くて流行っている歯医者はいくらでも知っている。逆に本当に技術があるのに冴えない歯科医も知っている。

そんな現実を突きつけられたが、人生なんとか生きていかなきゃいけない。もう歯のこと以外わからない24歳、この道で生きる道を見つけないとどうしようもない。なので借金して何百万も注ぎ込んで一流の勉強会に参加して必死に勉強した。

人生で初めて真面目に授業を聞いて勉強したと思う。この頃の知識は専門的すぎて若手の頃は生きなかったが、ここ数年で本当に役に立っている。
要はどうしてこうなるかに興味はないけれど、実際どうやるかには才能を発揮しているのかもしれない。今頂いている仕事、外科処置だけをしに他の医院に出張できるのはとても幸せなことだ。

そんなこんなで結局サラリーマン歯科医をしているが、私は自分はトップになってお金を握らない方がいいタイプだと思っている。
今後の目標は出張、オペを増やすこと。1医院で診る症例は限られているから、それこそフリーの立場が生きてくるし、その先の夢もある。



38歳になってさ、思うところは色々あるよ。正直自分の本当にやりたいことで挑戦できなかった悔しい思いはある。けっこうある。
けど、今の幸せを大切にして、必死に生きるしかないね。

今年ハマったボードゲームは、この偏った脳の使いたかった部分を存分に使えるのが最高だ。これはオーバーじゃなく人生取り戻してる感じがする。

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