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「エールはどこに消えた?」~私の銀行体験談 後編~

というわけで、後編です。
後編は不快に思われる箇所があるかもしれません。苦手な方はここでUターンしてください。

前編はこちら->

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全く馴染みのない大阪

前編で書いた通り、なんと自分がもらった辞令は大阪営業2部。当時、大阪営業部は1、2、3部と分かれていて、同期は各2名ずつ計6名配属されるとのこと。大阪配属の他の同期は皆、関西の大学を卒業しているのに、大阪に縁もゆかりもない自分。。どういう理由で自分が大阪配属になったのか、しばし悩んでみたものの答えがあるわけでもなし、新しい部署、新しい土地で初めての仕事を頑張ろうと気持ちを新たにしたのでした。
同じ寮から大阪配属になった同期もおり、一緒に引っ越し作業をして大阪へと向かいました。

都市伝説だと思っていた独身寮

さて、東京から一緒に来た仲の良い同期は違う寮になったため、途中で分かれ、自分の寮がある浜寺公園というところまでやってきました。駅名を聞くのも初めての状態だったが、降り立ってみてびっくり。なんと、見事に何もないのである。駅の周りにスーパーもコンビニもなにもない!東京の寮は中央線沿線にあったので、あまりの落差にびっくりしたのを覚えている。
そして、寮についてまたびっくり。噂にきいたことがあるオンボロ寮なのである。
まず見た目。思いっきり木造である。東京の寮は鉄筋コンクリート打ちっぱなしのおしゃれ感ある建物だったのに、こちとら木賃(木造賃貸アパート)。
そして部屋。6畳一間をベニヤ板でしきって二部屋にしてあります。すごく、隣の人の挙動が伝わってきます。。。東京の寮はもちろん6畳一間でした。
さらに風呂。なんかもう、汚くて湯舟に入りたくないのですが。。東京の寮ではマーライオンがいたのに!
これが大阪と東京との差なのか!と一人絶望しました。

配属初日の歓迎会

さて、そんなこんなで、勤務初日になります。
当日は緊張していたので、何をしたのかよく覚えていません。ただ、夜になると先輩が飲みに連れて行ってくれるということで、職場から近くの居酒屋(何故か九州料理の店)に行きました。飲み会自体はつつがなく終わったのです、そこで唐突にY先輩が、
〇〇君、アポロ行こうか?
と言われたのです。それって何ですか?と聞いたもののあれよあれよとタクシーに乗せられます。そうしているうちに同じ部に配属になった同期も他の場所で先輩と飲んでいたらしく、合流することになりました(*1)。
私はその同期とこれまで一言も話したことがなく、なんとなくいけすかない奴だなと思っていたんです(*2)。実は、大阪の同じ寮に住んでいるのに殆ど会話したことがない仲でした。そんな同期と連れられてきたのは、アポロビルというビル。
よくどっきり番組で、ネタ晴らしをするときに持っている「どっきり大成功」という看板がありますが、タクシーを降りるとそれに似た看板を持っている男が近づいてきて、「しぃー」と言われます。看板には「お静かに」という文字が。要は住宅街なので、静かにビルに入ってほしいようです。

というわけでいそいそとビルに入ってみて、度肝を抜かれました。なんと大音量の音楽がなる室内をほぼ裸、正確に言えば非常に小さい布面積のビキニのようなもの(ただし、透けてる。何がとは言わないが)を来た女性が「はいはーい♬」と言いながら闊歩しているのです。

これまでの人生でいわゆる風俗店はおろか、キャバクラやスナックといったものに一度も行ったことがなかった自分は驚愕して、頭がくらくらしました。それは同期にとっても同様、あるいはそれ以上の出来事だったらしく、「ここで帰ります」、「いやいや待てよ」、「いやいや帰ります」というコンボが発生してしまい、先輩と共に店から出てしまいました。

そうなると自分が盛り上げなければいけないという謎の使命感が出てしまい、大人しく先輩達のお供をすることに。一応、お店の話をすると、アポロビルは全階風俗店が入るビルで、1階から階が上がるごとにハードになっていくと(何が?)。ただし、いわゆる性行為やマッサージとかでなく、お客さんが参加する一体型エンターテイメントとのこと。
「何が、一体型エンターテイメントだよ!」と最初は思っていたのですが、いつの間にか上沼恵美子みたいな女性がマイクを持って、場を回し始めます。すると、先輩がいつの間にかローションプロレスというものに参加させられていました。それはまさにお客も参加するショーみたいなもので、おばちゃんの巧みなMCで笑いが巻き起こっていました。
そうこうしているうちに、自分もいつの間にかショーに参加させられ、「そうか、さすが大阪。観客を参加させる(若干、いや大分下品な)お笑いみたいなショーなんだな」と理解しました。
ここで頑張ったおかげか、先輩達からは後々可愛がってもらえるようになりました(*3)。

銀行の飲み会とは

そんなこんなで、次は部としての歓迎会が開かれることになりました。場所はとある町中になる銀行保有の保養所というもの。そこで部のメンバーが集まって飲み会をしました。またしても飲み会自体はつつがなく終わりました。衝撃を受けたのは締めの挨拶でした。

副部長「〇〇君(30歳くらいの先輩)、エールで締めてくれるか?」
先輩「はい。それでは、押忍は2回でお願いします。押忍!」
皆「押忍!」
先輩「押忍!」
皆「押忍!」
先輩「フレー、フレー、大阪〇部~!それっ!」

といきなり、応援団がよくやるような掛け声を叫び始めたのです。そして何故か当然のように続く他の先輩達。。これがいわゆるエールというものでした。

このエールですが、いろんな飲み会の締めで行われました。時には居酒屋で、時には電車のホームで、周りに人がいても関係なくやるのです。私も御堂筋のホームで転勤していく先輩にエールをしたことがあります。その時はエールの終わりと電車のドアが閉まるタイミングが絶妙で他の先輩からお褒めの言葉をいただきました。

上記でもわかるように、エールのやり方にも良い悪い(格好いい、悪い)があり、これをきちんとできると「あいつ、やるな」的な視線を受けれます(どう考えても不要)。
私が配属された部は旧富〇銀行の部署だったんですが(*4)、それぞれの部にそれぞれの流儀があるとのこと。大阪に配属された同期の間でやり方の確認をしました。押忍の回数や手の動きに違いがあり、慣れてくると一目見ただけで、あれは〇式だな、とわかるとのこと。

そして、飲み会の「格」に応じて、エールをする人が選ばれ、例えば、部長がいる公式の飲み会では、部のエース、若手の飲み会では新人みたいな序列があり、今となっては本当にどうでもいいなと思うのですが、その当時は自分たちもしっかりこなせるようにしようと思ってやっていました。

そんなこんなで銀行に馴染んできたある日、我々同期は部長室に呼び出されます。そこで、言われたのは、「クリスマス会をやるからそこで新人芸を披露しろ」ということ。
すでに銀行の文化に馴染みつつあった自分でも新人芸は初体験でした。というかクリスマス会ってなんだよ、昭和かよ!と思いましたが、いわゆる一般職の同期も含め、土日に集まって何回か練習をこなすことにしました。演目は当時流行っていたビリーザブートキャンプをやりながら、部の内輪ネタをぶっこんでいくというもの。そして迎えたクリスマス会当日。我々の新人芸はそれなりに受け、無事にクリスマス会は終了しました。が、その後二次会に連れて行かれ、自腹でお会計をさせらて、深夜料金のタクシーで帰ってきました。そして、風呂場で靴墨を洗い落としながらこう思いました。「あ、転職しよう」。

それから時が少したって、結局、自分は銀行を2年弱でやめました。

エールはどこに消えた?

その後、当時の同期や後輩から聞く限り、エール文化はどこかに消えてしまい、エールをやったということは聞きません。また、そもそも東京ではあんまりやっていなかったそうです。この習慣が消えたことを全く惜しんではいないのですが、当時自分たちが真剣にやっていたことが痕跡もなく消えてしまったことに不思議な思いがあり、ここに書くことで自分の中で供養したいと思います。

ちなみに私の上記の体験は一般的なものではないようです。東京勤務の同期に話すと一様に「濃いな」という感想をききます。
また、銀行に勤めたことでよかったなと思うこともたくさんあり、今でも社会人の基礎を作ってくれた銀行に感謝しています。

以上、なんのオチもないけどおしまい。

*1 部内に2チームあり、我々はそれぞれのチームに配属されました。歓迎会の一次会はそれぞれのチームで行ったわけです。
*2 もちろん今はそんなことはありません。戦友としてそれなりに仲良いです。
*3 ちなみに他にもユニークなお店がいっぱいあって、それこそ目から鱗が落ちたというか新しい世界が見えたというか。。
*4 驚愕することに、当時の大阪営業部は1,2,3部に分かれていたのですが、分け方が旧〇銀、旧第〇勧銀、旧富〇銀行というように思いっきり統合前の旧行を引きずっていました。