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幕末もおもしろい(2)

前回に続いて幕末について諸々書いていきます。

今回は、そもそも「なんで幕末の動乱は起きたか」ということについて、詳細を記載していきます。

▼ 世界の情勢

まず、日本を取り巻く世界の情勢について記載します。

1760年以降からイギリスで産業革命が起き、工業力や国力を強めていき、イギリスを中心とした欧米諸国はアジアに進出していきました。

極めつけは、中国(当時は「清」)という日本の近くにある大国が、1840〜1842年の阿片戦争でイギリスに敗れるということが起きて、日本のお偉いさんは非常に危機感を覚えました。

そんな中、1853年に、アメリカから黒船が江戸に近い浦賀港(現・神奈川県横須賀)に来航したのです。

▼ 国内の空気

国内はどういう状況だったのでしょうか。

国内では、1603年に幕府が開かれてから、200年以上続く平和を謳歌し、ほとんどの人達は良い意味で平和ボケしていました。

200年の平和が続いたのは、長い世界史において、パクス・ロマーナと呼ばれる紀元前27年〜西暦180年のローマ帝国時代と、日本の江戸時代だけと言われています。
※ 現代の日本でさえ、戦後75年です。

平和を満喫していたとはいえ、日本は慢性的な不景気が続いていました。

戦国時代から小氷河期(冷夏)が続き、なかなかお米が育たず、飢饉も続出しました。
※ お代官様への年貢に苦しむ農民のイメージは、この小氷河期によりお米が育たなかったことが原因です。

また、江戸幕府自体も、3代将軍家光の時代には佐渡や伊豆の金山から金が枯渇して掘れなくなり、徳川家康がのこした遺産を食い潰していったようです。

不況による国民の不満と、海外(欧米諸国)に対する危機感が募っていたのが、当時の状況です。

▼ 開国派 vs 攘夷派

当時の日本は鎖国を行っていて(海外の船が来航するのは長崎など一部に限定していて)、海外の方が日本に来ることはほとんどありませんでした。

海外に対する危機感が生まれてから、さらに海外の方を排除しようと思っていた方もいました。このように「海外の方を排除しようという考え方」を「攘夷」と言います。

逆に、日本より時代の先を進んでいる海外の方から学ぼうとして、「海外の方を受け入れよう」という考え方の方々が「開国派」です。

前回は、佐幕派 vs 倒幕派 と記載しましたが、幕府側の人達の中は基本的に開国派でした。

倒幕派の方々の中には、開国派の方と、攘夷派の方もいましたが、次第に開国派が主流となっていきました。

時代の流れや流行なども移り変わっていくので、今の時代にも通じる流れを知れて、とてもおもしろいなと感じます。

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