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散文だとか日記だとか:胸を張れ、フリーと名乗れ

やれ金欠だの暇だの、かと思えば仕事に追われているだのと、日々ぼやぼや呟きながらどうにか生活している。

仕事でペット葬儀についての記事を書いていたら、リサーチ段階でちょっと辛くなってしまって参った。

動物好きだし、実家でうさぎとかハムスターとか飼ってたし、最期の別れで大号泣したことを思い出す。いちいち感情移入してると効率が悪いんだけど、実体験を伴うものが入るとどうしてもね。

あの子は食パンが好きだったから一緒に入れてあげたなとか、もっといっぱい撫でてあげればよかったかなとか。あ、だめだ泣けそう


いやいや、ちがうちがう。湿っぽい話をしたかったんじゃない。


仕事、そう、仕事してるんです。こう見えて。どう見えてる?

去年会社勤めを辞めてからしばらくは、(ほぼ)無職として生活していた。それでも細々とライター仕事を請けたり、ちまちまと内職的なことをしたりで収入ゼロではなかったのだが。

ここでネタ的に「実質無職なのだわ~~!」と言いまくっていたのが良くなかったんだな。


最近とある友人が、子ども相手にわたしのことを「このひと無職。笑」と紹介した。

もちろんネタとして笑いを取る流れで言っていたのは間違いないし、その場でみんな笑って「いや、ちゃうやろー笑」「ライターさんや!笑」とツッコんでくれて和んだし、何も問題なかった。

何より子どもは分かってなさそうだった。友人は悪くないと思う。

でも少し、ほんのりと、ちいさーーーーくヘコんだ自分がいたのも確かだった。


わたしは今、人に頼ることなくやり繰りしている。自分でお金を稼いで、どうしても足りない分は貯金をちょっと崩して。

それが今の生活を選んだ責任だから。

まだ完璧に生活が成り立ってはいないものの、ある程度のところまではきた。今の社会情勢が落ち着いたら戻ってくる仕事(と収入)もある。支出とのバランスが整う見込みも立っている。

貯金を崩さなくて済む日も、たぶん近い。


フリーライター兼アルバイター。

いい大学まで行かせてもらった身として、世間体的には「良くない」のかもしれないけれど。この先どうするのか、5年後10年後までは正直考えられていない、けれど。

わたしはわたしの力で生きていると言って、差し支えないと思うのだ。

「無職」と言われると、「人に頼って生きている」と言われたような気がしてしまって。そんなつもりじゃないと分かっていても、うーーん難しいなあ。無職が悪いと言うつもりでもないし。


とにかくわたし、生きてます。働いてます。

本当にちっぽけですが、ちゃんとフリーランスやってます。

大きなことはまだ成し遂げられないかもしれない。覚悟だってぜんぜん持ち合わせてない。

ただ、自分の世界くらいは自分でつくっていると、知ってもらえたらうれしいのです。

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